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「梅田塾」の教え

2004-12-31 20:12:34 | Weblog
毎回更新を楽しみにしていたCNET Japan梅田さんのブログが、2004年12月30日のエントリで最終回となりました。とても残念ですが、まずは長期にわたり質の高い連載を続けてこられた梅田さんに「お疲れさまでした」を伝えたくて、トラックバックさせていただきます。

思えば梅田さんのブログ「梅田望夫・英語で読むITトレンド」を一番最初に読んだのは「若者はバンテージポイント(有利な場所)でキャリアを磨け」というエントリからだったと思います。

私は梅田さんのおっしゃる、いわゆる「日本の大企業に勤めるたくさんの人」の中の一人です。そこそこの大学を卒業して、そこそこ名の通った企業に就職しました。そして入社して数年は「大企業に就職したことだし、あとは一所懸命今の仕事の能力を努力して磨いていけばいい。それで一生安泰だろう」と考えていました。

ところがどうも雲行きが怪しい。いわゆるITバブルがはじけ、当時自分の担当していた仕事が属する事業の環境は、急速に悪化していきました。そして「ひょっとしたら、今自分が積んでいるキャリア、仕事で磨いている能力というのは、近い将来全部無駄になってしまうのではないか?」と思うようになり、当時かなり悩みました。

そして悩んだ結果が、社内の制度を利用して、自分にとってまったく異なる能力を必要とする部署へと異動することでした。異動しようと思ったのは漠然とした危機感からでしたが、今思えば上記のエントリで言う「バンテージポイント」を探していたのだな、と思います。

しかし新しい仕事は、自分がそれまで積んできたキャリアや経験がまったく生かせず、むしろ自分にとって苦手とする、今まで身に着けることを避けてきた能力が要求される場所でした。その結果、せっかく選んだ新しい仕事に対しても「このままこの分野でキャリアを積むこと、この分野の能力を磨いていくことには、少なくとも以前の仕事よりは意味がある。しかし、これは本当に私のやりたい仕事ではなかった」と思うようになってしまったのです。

梅田さんのブログとの出会いは、まさにそんな感じで悩むプロセスのさなかに出会ったのでした。

そのなかで先ほどの「若者はバンテージポイント(有利な場所)でキャリアを磨け」というエントリのほかに、「年を取ってから後悔しない人生デザイン」や、「キャリア選びで重要な「向き不向き」の問題」のふたつのエントリは、大いに参考にさせていただきました。

そして「自分の好きな仕事は何なのか」「その仕事が本当に向いているか」を、まずは今の自分の会社の中で出来るだけいろいろな仕事を経験して、探して行こうと決意したのでした。


話は変わりますが、以前のエントリでも書いたとおり、私はここ最近ずっと「現在の日本は幕末に似ている」と感じています。どんな風に似ているかというと、「内憂外患の亡国の危機にあること」です。世界とどう付き合っていくのか、その上で日本のアイデンティティをどうするのか。

今、大変な岐路に日本は立たされているのですが、そのことに気がついている人はどのくらいいるのでしょうか。幕末と現在が異なるのは、「危機感がないこと」かもしれません。

幕末には、こうした国の危機を打破するために、志を持った青年たちにより、奇跡の明治維新が成し遂げられました。その志を持った青年たちの多くは、松下村塾の門下生たちでした。

梅田さんのブログは、「現代の(IT業界における)松下村塾」なのかもしれない。勝手ながら、私はそんなことを感じているのです。ここに集まった人たちは、これまでよりもずっと、広い視点を持ってIT業界を俯瞰できるようになっているはずです。IT業界以外でも、そうした松下村塾のような役割を果たすサイトが登場してくる(あるいは、もうすでにある)のかもしれませんね。

近い将来、松下村塾ならぬ「梅田塾」の門下生たちが日本の危機に立ち向かい、他のさまざまな分野の志を持った青年たちとともに、日本を救う日が来るかもしれません。そのためには門下生たちは塾で学び続けていてはだめで、それぞれの分野で各自が自分なりの試行錯誤を繰り返しながら、それぞれの各自の世界を創っていく必要があるのでしょう。

梅田さんはこれからも「はてなダイアリー」でブログは続けられる
ようですが、今後はこれまでのCNETでの連載のような「整備された高速道路」のような内容ではなさそうですね。梅田さんのCNETでの連載終了は、まさに「梅田塾の卒業式」だったのかもしれません。熱心な読者の皆さんなら、もう何をすべきかわかっていることでしょう。以前のエントリで書いたとおり、「守破離(しゅはり)」の「守(しゅ)」の部分を「高速道路」で駆け抜けた今、その先を各自で切り開くことがもっとも重要なことなのですから。


なんだかまとまりのない文章になってしまいましたが、再度「お疲れさまでした」。そして「ありがとうございました」!

今後もいちファンとして、今後の梅田さんの新しいブログである「My Life Between Silicon Valley and Japan」、注目させていただきます。

ご参考:今まで私が書いた梅田さん関係のエントリ一覧

『Googleが見ている未来と「動物農場」』

『高速道路と「守破離(しゅはり)」』

『日本が「真の力強さ」を持つには』

高速道路と「守破離(しゅはり)」

2004-12-07 12:37:45 | Weblog
私が毎回更新を楽しみにしているブログの一つ「梅田望夫・英語で読むITトレンド」の12月6日のエントリがとても興味深かったので反応してみます。

「梅田さんと、将棋の名人として有名な羽生さんとの会話」ということ自体がまた興味深いのですが、それはさておき。その中で「インターネットの普及によって、将棋の世界で何が変わったか」という問いかけに対する羽生さんの次の発言が実に興味深くて面白いと感じました。

「将棋が強くなるための高速道路が一気に敷かれたということだと思います。でも、その高速道路を走り切ったところで大渋滞が起きています」

詳しくは元の梅田さんの記事を読んでいただきたいのですが、これを聞いて「守破離(しゅはり)」という言葉を思い出しました。

「守破離(しゅはり)」とは、元は茶道か何かの言葉だったと思いますが、これはあるものを学び始めてからその道を極めるまでの三つの段階を表した言葉です。「守」は教えを守り学ぶこと、「破」は教えを元にしつつもそれを破るように応用すること、「離」は教えから離れて自分の世界を創ることです。

この話を梅田さんが要約されている将棋の羽生さんの発言に照らしてみると、

「情報の整理のされ方と行き渡り具合の凄さ・迅速さ(序盤の定跡の整備、最先端の局面についての研究内容の瞬時の共有化、終盤のパターン化や計算方法の考え方など)」

という部分が「守(しゅ)」に相当して、

「24時間365日、どこに住んでいようと、インターネット(例、将棋倶楽部24)を介して、強敵との対局機会を常に持つことができる」

という部分が「破(は)」に相当する(「破」をガンガン試すことができる)のではないのかなあ、と個人的には思います。

つまり、昔なら厳しい修行を必要としていた守破離の「守」「破」については、「高速道路」の整備によって、誰もが恐ろしいほどのスピードで達成することができるようになって来ている、とも言い換えられそうですね。

しかし「離(り)」となると、話は別のようです。

また梅田さんが要約されている将棋の羽生さんの発言を引用すると、

「そうやって皆で到達したところで直面する大渋滞を抜け出すには、どうも全く別の要素が必要なようである」

なるほど、本当に深い発言ですね。個人的には、ここでいう「まったく別の要素」とは、抽象的なことですが「その人の思想」なのかもしれませんし、「その人の魅力」とでも言うべきものなのかもしれないなあ、と個人的には考えています。

ここで出てくる将棋の羽生さんは、まちがいなく「離」の境地に達した方ですが、たったこれだけの会話の中からも羽生さんとしての思想が垣間見えますし、また魅力的な人であるということを感じ取れます。

この「離」の境地に達する方法については、多分永遠のテーマでしょう。私も今後、継続的に考えていきたいものです。