うじじゅうじょう(宇治十帖) → うらをかえす(裏を返す)
「う」の仕切り直しは「裏を返す」。
「逆の見方をすれば」「本当のことを言えば」というような意味もあるが、それとは違う意味の「裏を返す」。
遊郭へ登楼する、といっても時代や場所、店の格式によってしきたりは異なるが、最初に登楼するのを「初会」といい、二度目にそこを訪れ初会と同じ遊びをすることを「裏を返す」という。そして3度目になると「馴染み」という。
一昔前の吉原の大見世では、(大見世は貸座敷(遊女屋)の一つ、ほかに中見世、小見世がある)、一見さんお断りなので、まず紹介者と一緒に引手茶屋に入り、そこで芸者や幇間などをあげて遊び、頃合いを見て大見世にあがる。初会の時は、花魁(おいらん)の本部屋で遊ぶだけで、寝所までは入らない。「裏を返す」時も同じように本部屋だけだが、花魁とは多少うち解けた雰囲気になる。3度目の馴染みになってようやく、ということになるわけだ。
「裏を返す」という言葉を耳にすることは、普通はまずないが、古典落語を聞いていると出くわすことがある。「居残り佐平次」という落語、好きな噺家の一人、柳家小三治師匠の話芸で楽しんだ。
舞台は品川。品川、板橋、千住、新宿は江戸のはずれで、江戸の四宿といわれていて、そこにも遊郭(貸座敷)があった。どの程度正確なのかはわからないが、最盛期吉原の遊女が3000人といわれていた頃、品川には1200人の遊女がいたといわれている。こちらの遊女は「宿場女郎」とか「飯盛女(めしもりおんな」と呼ばれていた。
品川といっても今のように東京湾の埋め立ては行われていないから、少し先は海だった。
この落語の枕の部分によると、遊びには上中下があって、「上はこず。中は昼来て昼帰り、下が夜来て朝帰り、そのまた下が流連(いつづけ)をして、そのまた下が居残りをする」ということらしい。居続け(延長)することは「直す」という。
佐平次は、途中の事情は省くが、品川遊郭へ一緒に来た仲間を先に帰し、勘定の催促を口達者で煙に巻いて居続ける。そのときの弁に、ゆうべの四人(よったり)がまたやってくるというときに「遊びをして裏を返さないのはお客の恥、馴染みをつけさせないのは花魁の腕が悪いぐらいのことは心得てるよ」というのが出てくる。
面白い落語だが、わからない言葉があると楽しみきれないだろう。だんだん演じられなくなってゆくのかもしれない。
遊郭というのは、性に対しておおらかな時代のサービス業である。わが国の歴史からすると、おおらかな時代の方がはるかに長い。サービス業として見るとき、そこから学べるヒントはたくさんあるだろう。
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