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【京都旅行2016夏】その13 北野天満宮

2016年09月06日 12時00分00秒 | 旅行 京都

今年の夏の家族旅行は「京都」。
準備期間が少なかったこともあり慣れ親しんだ旅先を選びました。

旅行2日目は 朝から「御所」→「白峰神社」→と上京区のあたりをふらふら
次の目的地は白峰神社から堀川今出川通りをバスで5、6分の「北野天満宮」。

姪っ子が来年大学受験と言う事で、「頼れるものはなんでも頼っとけ!」と

学問の神様にお参りです。 

粟餅・澤屋で腹ごしらえをして、、今出川通りを渡ると「一の鳥居」。
真ん中は神様が通るから人は歩かないように丸太が置いてあるのか?
と一瞬思いましたが 車が入らないようにですね、、

参道は広く、車でも十分入って行けそうです。

しばらく進むと 楼門。額には「文道大祖 風月本主」と
菅原道真をたたえる言葉がかかれています。
 

更に進むと「三光門」。
勅額は後西天皇 筆で『天満宮』と書かれます。かっこいー。
(一番上の写真参照)

太陽・月・星の彫刻があることから三光門と呼ばれているそうですが
太陽と、月の彫刻はあるモノの、、星は見当たらず。

北野はかつて朝廷があった大極殿から望むと北極星が輝く場所から、
天空と一つになって平安京を守っていた場所と言う説もあるそうで、、

確かにこの写真を見ると説得力があるような、、

http://kitanotenmangu.or.jp/about_history.php 

そして、いよいよ道真公の祀られている 本殿(国宝)。
桧皮葺(ひわだぶき)の屋根。カッケー。

さて、北野天満宮についてですが、、「ざっくり言うと」

菅原道真公をご祭神として祀った天満宮の総本社で
言われなき罪で大宰府に追いやられて亡くなった道真公を
死後、名誉挽回の意も込めて947年朝廷によって社殿が造営されたのが始まりで
(987)に一條天皇によって北野天満宮と神号が定められた物が現在の天満宮。

元々は道真公の追悼の意味の神社だったものを江戸時代の寺子屋で
天神様が祀られそこから学問、芸術の神様として知れ渡ったとか。

神社って 昔の権力者の没後に勝手に誰かが祀り上げるって多いですよね
そう思うと元々は祀られた人の為の極めて私的な場所なんだろうか。。 

あ、、、人気者の記念館みたいなものか。 
没後もみんなで慕って集まろうって場所か。

敷地内、各所に奉納された臥牛(伏した牛)の像があって。
撫で牛として撫でると願いが叶うとか。

これは道真公が丑年生まれだからとか、葬儀の際移動の途中で牛が動かなくなって
その付近のお寺に安置したからだから(なので臥牛)とか、そもそも
遺言で決まった場所では無く牛の行く先に任せて葬儀せよとあった
とかとか、所説あるようです。

途中途中、臥牛が居て、きっと本殿に近いほうが霊験あらたかか?
と後半の方の牛を撫でたのですが、、由緒正しい「一願成就のお牛さん」
と言うのは本殿の裏側にいたらしく。撫でられすぎて頭は地面に落ちてるらしいです。

旧暦の七夕と言う事で七夕飾りを飾っているところも多く。
特に こちらはお星さまに関連した神社だからより一層かな?

娘は学問の神様っぽいお願いを書いてました。 

神社の神紋にもなっている 北野天満宮の梅。
一の鳥居の西側に梅園が広がっていて、毎年巫女さんが6月に実を収穫し、
8月のこの時期一か月ほど天日干しして塩漬けにするそうです。
これが年末に「大福梅」として授与され各家庭の正月の祝膳になるそうで。。

道真は梅好きだったそうで、左遷の際に読んだ句に
「東風吹かばにほひおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな(れそ)」なんてーのがあります。 

もうここには戻ってこれない、、と言う思いもあると考えると 寂しい句ですねぇ、、

因みにこの梅が九州の大宰府まで飛んでったと言う とび梅伝説もあったりして
この辺りも北野天満宮の梅うんちくには必ず出てくるようです。 

 

この日は「泣き相撲」が開催されるらしく。会場が設営されていました。
今調べると 第二回、、とあるので 新しいイベントなんですね。
菅原道真公の祖先 野見宿禰公は「相撲の祖」と讃えられる神様なんだそうです。 

御朱印も頂きました。

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北野天満宮
http://www.kitanotenmangu.or.jp/ 



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