「病気は体内の不調和のあらわれ、細胞または特定の器官、たとえば心臓や肺におけるバランス失調のあらわれである。とすれば、共鳴という特性をもっているシンギングボウルは、それを奏で、それに耳をかたむける人に「宇宙交響曲」へのアクセスをうながすだけではなく、その人のからだとこころに調和を回復させる作用があるとかんがえられる。
わたしだけではなく、多くのヒーラーが、治癒はからだの調和が失われた部分―したがって病んだ部分―に正常な周波数の振動を回復させることによって達成できると信じている。音が振動であり、その振動がからだの内外を微細に震わせている以上、その音は耳を介してだけではなく、全身の細胞をつうじて「きこえている」とかんがえなければならない。脈はゆったりと打ち、呼吸は正常なリズムをたもっている。そのとき人は、静穏な、瞑想的なまなざしで自己のいのちをみつめることができる一種の変性意識状態に入っているのである。
そのことがわかればもうじゅうぶんなのだが、わたしのなかには、そのメカニズムや理由を理解したがる科学者の一面がある。というわけで、音響が人体の細胞、組織、器官にあたえるエネルギー的、生理的作用にかんする研究をくまなくしらべてみた。その最先端の研究の一部をここに紹介しておこう。
カリフォルニア州サンディエゴ市にあるシャープ・カブリリョ病院の神経科科長、および同市のチョプラ健康センターの医長であるデーヴィット・サイモン博士の研究によると、癒しを目的とする詠唱や音楽には計測可能な生理学的効果がある。サイモンは、詠唱によって脳内麻薬様物質の分泌が促進され、それが鎮痛作用と治癒作用をもたらすと指摘している。
サザンメソジスト大学の研究心理学者、マーク・ライダー博士は、病原菌の侵入を防衛し、障害組織の再生にかかわる免疫細胞への、音楽とイメージ法の影響について最大規模の研究をおこない、そのいちじるしい効果をみとめている。
カリフォルニア人間科学研究所教授、および神経聴覚研究所所長のジェフリー・トンプソン博士は、シンギングボウルをはじめとする楽器の生理作用にかんする画期的な研究をおこなっている。その結果、シンギングボウルが発する音の周波数と音調は天王星の輪が発している音のそれとおなじであるという、意外なことが判明している。
なお、天王星の輪の音は、NASAが最先端技術をもちいて録音したものである。トンプソンはみずからの研究結果を、学習遅滞児の治療やさまざまな身体的疾患の治療にも応用している。
「シンギングボウルであれ、ほかの楽器や人間の声であれ、治療法のひとつとして音を使うという発想は、医学教育には完全に欠如していた。にもかかわらず、わたしはこの六年間、もっぱら音―たいがいはクリスタルボウルの音だが―を治療に使ってきた。そして、そのことが、患者とわたしそれぞれの自己にたいする考え方、治癒というプロセスにたいする考え方をすっかり変えてしまった。わたしは音と瞑想とイメージ法の活用ががん治療の補助になるとかんがえているわけではない。それらのヒーリングワークはけっして補助的なものではなく、わたしにとっては腫瘍専門医としておこなう現代医学の治療におとらず重要なものになっている。」
「瞑想と誘導イメージ法にシンギングボウルと詠唱をくみあわせる方法は、わたしの診療内容を一変させてしまったといっても過言ではない。じつをいえばわたしは、これほど有益でありながら人に知られていない「音というくすり」は、現代医学であろうと相補医療であろうと、すべての治療家の往診かばんに入れておくべきものであるとさえかんがえているほどなのだ。われわれ現代人は視覚優位の文化に毒されすぎていて、聴覚刺激の生理学的作用を、つい軽視してしまいがちだ。数ある治療手段のなかに音が入っていないのは、おそらくそのことが理由なのだろう。しかし、音を活用する治療はいずれ、多くの医師や治療家にとって標準的なものになるだろうと、わたしは確信している。」
「音の優位性は、その治療効果によってあきらかだ。音には生理機能のすべてのレベルにはたらきかけ、そのアンバランスを調整する作用があるので、事実上、どんな症状や病気にも有効だとかんがえられる。わたしは経験的に、過去20年余にわたっておこなわれてきた、誘導イメージ法のリラクセーション作用と心身相関的治癒作用を立証する研究は、すべて音によるヒーリングにもあてはまるはずだとかんがえている。しかも、音は直接からだに作用するだけではなく、感情レベル、思考レベル、霊的レベルに深くふれ、その人を変容させることによって、結果的にからだに作用するという効果をもたらす。」
「ヴァネッサのケースもけっして例外的なものではない。(胸腺のがん患者で、ふたりの幼い子供をかかえ、忙しい仕事をもち、疲れきっていたのだが、二年後に、完全に健康を回復した。)ひじょうに多くの人たちが日々の責務に追われながら、立ちどまって自己や世界と調和するにはなにがたいせつなのか、なにが足りないのかについてかんがえる余裕もなく、生き急いでいる。自己や宇宙との調和が失われた状態のなかに閉じ込められたままで生きているのだ。そして、がんなどの危機に直面してはじめてなにがたいせつだったのかに気づき、生きかたを変えはじめる。本人がみとめているように、以前のヴァネッサは「オルタナティブ」(現状に代わる、より調和的なもの)にはいっさい興味がなかったが、シンギングボウルの音につつまれるという、ほんのささやかな経験を契機に自己の内部をみつめる作業をはじめ、執拗につきまとわれていた否定的な感情を手放すことができた。ヴァネッサはこういっている。
「クリスタルボウルの音をききながら瞑想やイメージ法をする時間がとても好きなの。40歳になったとき、わたしはひどく落ち込んでいて、自分の人生に不満だらけでした。もっとましなものがあるはずだと、そればかりかんがえていたんです。――たしかに、ましなものがありましたね。」
わたしだけではなく、多くのヒーラーが、治癒はからだの調和が失われた部分―したがって病んだ部分―に正常な周波数の振動を回復させることによって達成できると信じている。音が振動であり、その振動がからだの内外を微細に震わせている以上、その音は耳を介してだけではなく、全身の細胞をつうじて「きこえている」とかんがえなければならない。脈はゆったりと打ち、呼吸は正常なリズムをたもっている。そのとき人は、静穏な、瞑想的なまなざしで自己のいのちをみつめることができる一種の変性意識状態に入っているのである。
そのことがわかればもうじゅうぶんなのだが、わたしのなかには、そのメカニズムや理由を理解したがる科学者の一面がある。というわけで、音響が人体の細胞、組織、器官にあたえるエネルギー的、生理的作用にかんする研究をくまなくしらべてみた。その最先端の研究の一部をここに紹介しておこう。
カリフォルニア州サンディエゴ市にあるシャープ・カブリリョ病院の神経科科長、および同市のチョプラ健康センターの医長であるデーヴィット・サイモン博士の研究によると、癒しを目的とする詠唱や音楽には計測可能な生理学的効果がある。サイモンは、詠唱によって脳内麻薬様物質の分泌が促進され、それが鎮痛作用と治癒作用をもたらすと指摘している。
サザンメソジスト大学の研究心理学者、マーク・ライダー博士は、病原菌の侵入を防衛し、障害組織の再生にかかわる免疫細胞への、音楽とイメージ法の影響について最大規模の研究をおこない、そのいちじるしい効果をみとめている。
カリフォルニア人間科学研究所教授、および神経聴覚研究所所長のジェフリー・トンプソン博士は、シンギングボウルをはじめとする楽器の生理作用にかんする画期的な研究をおこなっている。その結果、シンギングボウルが発する音の周波数と音調は天王星の輪が発している音のそれとおなじであるという、意外なことが判明している。
なお、天王星の輪の音は、NASAが最先端技術をもちいて録音したものである。トンプソンはみずからの研究結果を、学習遅滞児の治療やさまざまな身体的疾患の治療にも応用している。
「シンギングボウルであれ、ほかの楽器や人間の声であれ、治療法のひとつとして音を使うという発想は、医学教育には完全に欠如していた。にもかかわらず、わたしはこの六年間、もっぱら音―たいがいはクリスタルボウルの音だが―を治療に使ってきた。そして、そのことが、患者とわたしそれぞれの自己にたいする考え方、治癒というプロセスにたいする考え方をすっかり変えてしまった。わたしは音と瞑想とイメージ法の活用ががん治療の補助になるとかんがえているわけではない。それらのヒーリングワークはけっして補助的なものではなく、わたしにとっては腫瘍専門医としておこなう現代医学の治療におとらず重要なものになっている。」
「瞑想と誘導イメージ法にシンギングボウルと詠唱をくみあわせる方法は、わたしの診療内容を一変させてしまったといっても過言ではない。じつをいえばわたしは、これほど有益でありながら人に知られていない「音というくすり」は、現代医学であろうと相補医療であろうと、すべての治療家の往診かばんに入れておくべきものであるとさえかんがえているほどなのだ。われわれ現代人は視覚優位の文化に毒されすぎていて、聴覚刺激の生理学的作用を、つい軽視してしまいがちだ。数ある治療手段のなかに音が入っていないのは、おそらくそのことが理由なのだろう。しかし、音を活用する治療はいずれ、多くの医師や治療家にとって標準的なものになるだろうと、わたしは確信している。」
「音の優位性は、その治療効果によってあきらかだ。音には生理機能のすべてのレベルにはたらきかけ、そのアンバランスを調整する作用があるので、事実上、どんな症状や病気にも有効だとかんがえられる。わたしは経験的に、過去20年余にわたっておこなわれてきた、誘導イメージ法のリラクセーション作用と心身相関的治癒作用を立証する研究は、すべて音によるヒーリングにもあてはまるはずだとかんがえている。しかも、音は直接からだに作用するだけではなく、感情レベル、思考レベル、霊的レベルに深くふれ、その人を変容させることによって、結果的にからだに作用するという効果をもたらす。」
「ヴァネッサのケースもけっして例外的なものではない。(胸腺のがん患者で、ふたりの幼い子供をかかえ、忙しい仕事をもち、疲れきっていたのだが、二年後に、完全に健康を回復した。)ひじょうに多くの人たちが日々の責務に追われながら、立ちどまって自己や世界と調和するにはなにがたいせつなのか、なにが足りないのかについてかんがえる余裕もなく、生き急いでいる。自己や宇宙との調和が失われた状態のなかに閉じ込められたままで生きているのだ。そして、がんなどの危機に直面してはじめてなにがたいせつだったのかに気づき、生きかたを変えはじめる。本人がみとめているように、以前のヴァネッサは「オルタナティブ」(現状に代わる、より調和的なもの)にはいっさい興味がなかったが、シンギングボウルの音につつまれるという、ほんのささやかな経験を契機に自己の内部をみつめる作業をはじめ、執拗につきまとわれていた否定的な感情を手放すことができた。ヴァネッサはこういっている。
「クリスタルボウルの音をききながら瞑想やイメージ法をする時間がとても好きなの。40歳になったとき、わたしはひどく落ち込んでいて、自分の人生に不満だらけでした。もっとましなものがあるはずだと、そればかりかんがえていたんです。――たしかに、ましなものがありましたね。」
ヴァネッサは、癒しの技法の一部に音を組み入れることによって精神的、霊的にめざめはじめた多くの人たちのひとりである。瞑想やバイオフィードバックなどの心身相関技法を単独にもちいているだけでは得られなかった癒しが、音を使うことによって可能になるという経験は、わたし自身においても患者においても、くりかえし観察されてきたことである。」
「内部の本質から無尽蔵にながれるいのちのエネルギーに気づき、「無限の可能性」にめざめること以上にすばらしい経験はないと、わたしは信じている。なぜならわたしは、あらゆる病気が生理レベル、分子レベル、遺伝子レベルにおける不調和のあらわれであるとかんがえているからだ。治癒の最終地点は――たんに身体的疾患の症状が寛解することではなく――不調和のなかから調和を再形成するところにある。しかし、治癒は同時に内奥の本質とつながる手段でもあり、われわれはそのことによって、自我に根ざした有限の自己をこえ、アイデンティティを大きくひろげることができるのだ。
「われわれ自身がリズムである」とハズラト・イナーヤト・ハーンはいう。「心臓の拍動、手首や頸部でふれる脈、血液や体液の循環、からだの全機構のはたらきがリズムを刻んでいる」。医師としてのわたしは、ハーンのことばが事実であることを知っている。ヒーラーとしてのわたしは、シンギングボウルの音に波長があっているとき、からだが自分の声ともっともよく共鳴するものだと信じている。そして、細胞レベルで共鳴するようになると、身体的、精神的、霊的な治癒がおこるのだ。」
「30年近くIBMの主任研究員をしていた科学者で、クォーツクリスタルの研究歴がながいマーセル・ヴォーゲルは、その研究結果をこう結論づけている。「クリスタルは、それを使う人のこころの力を拡張し、増幅するような波動を放出する。レーザー光とおなじく、クリスタルも位相がそろった高密度のエネルギーを放出し、そのエネルギーが、使う人の意のままに物体や人間に移送されるのではないかとおもわれる」
ヴォーゲルのこの仮説が正しいとすれば、エネルギーのさまざまなパターンを吸収・放出し、心身にさまざまな作用をもたらすために、さまざまな方法でクォーツクリスタルが使われていることが納得できる。ガーバーが指摘しているように、結晶構造は音をふくむエネルギーのスペクトルに特異的かつ正確に反応する。クリスタルボウルは強力な音波を発生する周波数で振動するが、その音はボウルそのものの結晶構造がもつエネルギーが外部にあらわれたものである。
ボウルの音が人体に特異的かつ調和的に共鳴するのは、マーセル・ヴォーゲルにいわせれば、人体の組織が液状構造というより、むしろ結晶構造に近いものだからだという。とりわけ、骨やコラーゲンは部分的に燐酸カルシウムの結晶そのものでできている。そうした人体の結晶構造のすべてに「共鳴的素因」がある以上、クォーツクリスタルの発する音が、非結晶的な材質でできたボウルや楽器の音よりも、人体の結晶構造に調和的であるのはとうぜんのことである。
「内部の本質から無尽蔵にながれるいのちのエネルギーに気づき、「無限の可能性」にめざめること以上にすばらしい経験はないと、わたしは信じている。なぜならわたしは、あらゆる病気が生理レベル、分子レベル、遺伝子レベルにおける不調和のあらわれであるとかんがえているからだ。治癒の最終地点は――たんに身体的疾患の症状が寛解することではなく――不調和のなかから調和を再形成するところにある。しかし、治癒は同時に内奥の本質とつながる手段でもあり、われわれはそのことによって、自我に根ざした有限の自己をこえ、アイデンティティを大きくひろげることができるのだ。
「われわれ自身がリズムである」とハズラト・イナーヤト・ハーンはいう。「心臓の拍動、手首や頸部でふれる脈、血液や体液の循環、からだの全機構のはたらきがリズムを刻んでいる」。医師としてのわたしは、ハーンのことばが事実であることを知っている。ヒーラーとしてのわたしは、シンギングボウルの音に波長があっているとき、からだが自分の声ともっともよく共鳴するものだと信じている。そして、細胞レベルで共鳴するようになると、身体的、精神的、霊的な治癒がおこるのだ。」
「30年近くIBMの主任研究員をしていた科学者で、クォーツクリスタルの研究歴がながいマーセル・ヴォーゲルは、その研究結果をこう結論づけている。「クリスタルは、それを使う人のこころの力を拡張し、増幅するような波動を放出する。レーザー光とおなじく、クリスタルも位相がそろった高密度のエネルギーを放出し、そのエネルギーが、使う人の意のままに物体や人間に移送されるのではないかとおもわれる」
ヴォーゲルのこの仮説が正しいとすれば、エネルギーのさまざまなパターンを吸収・放出し、心身にさまざまな作用をもたらすために、さまざまな方法でクォーツクリスタルが使われていることが納得できる。ガーバーが指摘しているように、結晶構造は音をふくむエネルギーのスペクトルに特異的かつ正確に反応する。クリスタルボウルは強力な音波を発生する周波数で振動するが、その音はボウルそのものの結晶構造がもつエネルギーが外部にあらわれたものである。
ボウルの音が人体に特異的かつ調和的に共鳴するのは、マーセル・ヴォーゲルにいわせれば、人体の組織が液状構造というより、むしろ結晶構造に近いものだからだという。とりわけ、骨やコラーゲンは部分的に燐酸カルシウムの結晶そのものでできている。そうした人体の結晶構造のすべてに「共鳴的素因」がある以上、クォーツクリスタルの発する音が、非結晶的な材質でできたボウルや楽器の音よりも、人体の結晶構造に調和的であるのはとうぜんのことである。
さらにクリスタルの他の特性、たとえば人間の意識を反映し、それに影響をあたえるといった、エネルギーの吸収・放出特性を考慮すれば、クリスタルボウルに特異な力があったとしても驚くにはあたらない。
わたしのこの説は推論の域をでないものだが、クリスタルボウルを使ったわたし自身と患者たちの経験は、この仮説の正当性をつよく裏づけるものである。とりわけ、クリスタルボウルが発する倍音にからだが共鳴するのを感じるときは、他のどんな治療法よりも治癒効果があると実感することができる。クリスタルボウルは人間の声と共鳴する音を発生する。その音はわれわれのからだに浸透し、エッセンスと共鳴して、内的な混乱や葛藤や不協和音を、たちどころに調和へと変える力をもっている。」
「たとえば、首の痛みを自覚するようになってはじめて、首にストレスをかかえこんでいたことに気づいたとしよう。温湿布やアスピリンはその状態を一時的に解消するかもしれないが、症状はかならずぶりかえす。やがて、背中がひどく痛むようになり、がまんできない状態になって、やっと病院にいくと、医師から「椎間板ヘルニアです」という診断がくだされる。適切な治療をしなければ、ヘルニアによって腕もまわせなくなり、あとは手術しか方法がなくなってしまう。
しかし、症状――首のこりであれ、腫瘍、がん、心臓疾患であれ――の奥に目をやり、からだの不調和の背後にある、こころに原因をもとめたとしたら?苦痛を癒すために、こころのもつ並はずれた能力を活用したとしたら、どんなことがおこるだろうか?
スーフィーの師、ハズラト・イナーヤト・ハーンは、音の影響にかんしてつぎのように語っている。「音のもつ物理的な作用は人体にも多大な影響をおよぼしている。筋肉も血液循環も神経も、人体のあらゆるメカニズムが振動の力によって作動しているからだ。すべての音に共鳴があるように、人体も生きている音の共鳴体であり……自然に発生された声の調子にはすべて、その人自身を癒す力があり、自分を癒す声で歌をうたえば、それが他者を癒す力にもなる」。こころの力によって生理的なアンバランスを矯正するという思想は、もはや革命的だとされる段階をすぎて、とうぜんのことだとされるようになっている。いま、盛んにおこなわれているのは、その力を強化するために音や音楽を利用する方法の研究である。」
「深刻な不安をかかえ、混乱や狼狽状態にある人たちが音の効果によって落ちつきをとりもどす現場に、わたしは何度となく立ちあってきた。瞑想とボウルなどの音、それに声を利用する方法には、こころをしずめ、心身にリラクゼーション状態をもたらして、その人を重圧から解放する作用がある。最初は一時的な解放でしかないが、回をかさねるうちに持続的なものとなり、束縛の縄がほぐれて自由になっていく。
音には精神性、霊性、身体性のすべてのレベルに影響をおよぼす力がある。その三つのレベルはたがいに錯綜しているが、その錯綜を整理して、それぞれのレベルにたいする音の作用をあきらかにすることは可能である。ボウルの音、声、歌、ある種の音楽は、興奮状態にある人に深いリラクセーション状態をもたらす。また、衝撃的な経験やトラウマによってこころが凍りついている人の内奥に隠れている痛ましい感情をなだめることもできる。悲しみに打ちひしがれている人、怒りにとりつかれている人にとっても、そうした音が鎮静作用をもたらす。」
わたしのこの説は推論の域をでないものだが、クリスタルボウルを使ったわたし自身と患者たちの経験は、この仮説の正当性をつよく裏づけるものである。とりわけ、クリスタルボウルが発する倍音にからだが共鳴するのを感じるときは、他のどんな治療法よりも治癒効果があると実感することができる。クリスタルボウルは人間の声と共鳴する音を発生する。その音はわれわれのからだに浸透し、エッセンスと共鳴して、内的な混乱や葛藤や不協和音を、たちどころに調和へと変える力をもっている。」
「たとえば、首の痛みを自覚するようになってはじめて、首にストレスをかかえこんでいたことに気づいたとしよう。温湿布やアスピリンはその状態を一時的に解消するかもしれないが、症状はかならずぶりかえす。やがて、背中がひどく痛むようになり、がまんできない状態になって、やっと病院にいくと、医師から「椎間板ヘルニアです」という診断がくだされる。適切な治療をしなければ、ヘルニアによって腕もまわせなくなり、あとは手術しか方法がなくなってしまう。
しかし、症状――首のこりであれ、腫瘍、がん、心臓疾患であれ――の奥に目をやり、からだの不調和の背後にある、こころに原因をもとめたとしたら?苦痛を癒すために、こころのもつ並はずれた能力を活用したとしたら、どんなことがおこるだろうか?
スーフィーの師、ハズラト・イナーヤト・ハーンは、音の影響にかんしてつぎのように語っている。「音のもつ物理的な作用は人体にも多大な影響をおよぼしている。筋肉も血液循環も神経も、人体のあらゆるメカニズムが振動の力によって作動しているからだ。すべての音に共鳴があるように、人体も生きている音の共鳴体であり……自然に発生された声の調子にはすべて、その人自身を癒す力があり、自分を癒す声で歌をうたえば、それが他者を癒す力にもなる」。こころの力によって生理的なアンバランスを矯正するという思想は、もはや革命的だとされる段階をすぎて、とうぜんのことだとされるようになっている。いま、盛んにおこなわれているのは、その力を強化するために音や音楽を利用する方法の研究である。」
「深刻な不安をかかえ、混乱や狼狽状態にある人たちが音の効果によって落ちつきをとりもどす現場に、わたしは何度となく立ちあってきた。瞑想とボウルなどの音、それに声を利用する方法には、こころをしずめ、心身にリラクゼーション状態をもたらして、その人を重圧から解放する作用がある。最初は一時的な解放でしかないが、回をかさねるうちに持続的なものとなり、束縛の縄がほぐれて自由になっていく。
音には精神性、霊性、身体性のすべてのレベルに影響をおよぼす力がある。その三つのレベルはたがいに錯綜しているが、その錯綜を整理して、それぞれのレベルにたいする音の作用をあきらかにすることは可能である。ボウルの音、声、歌、ある種の音楽は、興奮状態にある人に深いリラクセーション状態をもたらす。また、衝撃的な経験やトラウマによってこころが凍りついている人の内奥に隠れている痛ましい感情をなだめることもできる。悲しみに打ちひしがれている人、怒りにとりつかれている人にとっても、そうした音が鎮静作用をもたらす。」
「病気を契機とするケースが多いとはいえ、人生の限界点に達するのは、かならずしも生命の危機にかかわる病気になったときとはかぎらない。結婚生活の破綻、家族の死、経済的ないきづまり、長期にわたる感情のもつれなどによって、われわれは表面的な心配や関心の領域をこえて、深刻な限界点に達する。
こころの奥底に葬り去った傷は、自我を遠ざけて、よりひろい視野で問題点をみつめなおす機会があたえられれば、自然に癒えていく。愛と平和のこころでものごとに対処しているときは、われわれのことば、想念、行動、感情が、普遍的な生命力という無限のエネルギーとつながっているときである。内奥にたたずむやすらぎの場所にたちもどって自己のエッセンスにふれる。そうした深い静寂の境地に入るための、もっとも容易で、もっとも直接的なルートが<音>である。それが、わたしのささやかな経験から生まれた発見なのだ。」
こころの奥底に葬り去った傷は、自我を遠ざけて、よりひろい視野で問題点をみつめなおす機会があたえられれば、自然に癒えていく。愛と平和のこころでものごとに対処しているときは、われわれのことば、想念、行動、感情が、普遍的な生命力という無限のエネルギーとつながっているときである。内奥にたたずむやすらぎの場所にたちもどって自己のエッセンスにふれる。そうした深い静寂の境地に入るための、もっとも容易で、もっとも直接的なルートが<音>である。それが、わたしのささやかな経験から生まれた発見なのだ。」