<愛子さまヒストリー:第2回>
第2回は、ご誕生から満1歳までの歩みを振り返ります。あどけない赤ちゃん時代、その愛くるしさに日本中が熱狂したものです。
★ご感想や追加情報などを、どうぞお寄せ下さい。関連写真や動画のURL情報もお待ちしています。(この記事はまだ編集途中です)
■平成14(2002)年
1月15日:雅子さまは「歌会始の儀」で、次の歌を詠まれました。
生(あ)れいでし みどり児のいのち かがやきて 君と迎ふる 春すがすがし
雅子さまはこの頃、次の歌3首も詠まれています。(宮内庁HPより)
乳母車 おして歩めば みどり児は 光あふるる 空にまばたく [生後3,4か月の頃]
子をつれて 君と歩めば 夕空に 一番星は はやかがやきぬ
あたたかく 陽のさす庭に 抱きいでて あどけなく笑ふ 吾子の重たさ [1歳近くになって]
★ ★ ★ 高松宮妃喜久子さまが『婦人公論』に愛子さま誕生を祝う手記★ ★ ★
高松宮妃喜久子さまは『婦人公論』1月22日号に、愛子さま誕生を祝う手記を寄せられました。以下は記事からの抜粋です。
皇太子妃雅子さま内親王御出産のことは、当日午後三時、宮内庁宮務課から「すでにご承知でございましょうが」と電話連絡があり、
うちの侍女長の松下正(みち)がそれを受けました。宮務課の人の言う通り、テレビは早くて、松下が急ぎ知らせに参りました時には、
私の見ていたNHKの画面にもう、繰り返し朗報が流されているところでした。新宮ご誕生僅か十数分後です。
ほんとうに嬉しゅうございました。初めての御子をお儲け遊ばしたお二方はもとより、天皇皇后両陛下始め各宮さま方、お里小和田家のご両親、
どんなにかお喜びであろうとお察し申し上げました。国民皆さんの嬉しそうな様子も、テレビによく映っておりました。
法律関係の責任者の間で慎重に検討して戴かなくてはならないのは、皇室典範の最初の條項を今後どうするのかでしょう。
女性の皇族が第百二十七代の天皇さまとして御即位遊ばす場合のあり得ること、それを考えておくのは、長い日本の歴史に鑑みて
決して不自然なことではないと存じます。古代の推古天皇、持統天皇から江戸時代中期の後櫻町天皇まで、幾人もの女帝がいらっしゃいました。
外国でなら、英国のエリザベス朝、ヴィクトリア朝のように、女王のもとで国が富み栄えた例もたくさんございます。
また、愛子さま誕生を祝う三首の歌も発表されています。
めでたさを 何にたとへむ 八年(やとせ)へて この喜びに いましあふとは
すこやかに 育ち給へと 祈らるる 我が国民(くにたみ)の ねがひ切なる
あれましし 内親王(みこ)すこやかに 育ちませ 待ちに待ちたる 今日のよろこび
▲高松宮殿下(昭和天皇の2番目の弟君)と同妃喜久子さま
★ ★ ★ ★ ★ ★
2月8日:雅子さまがご公務に復帰されました。
37歳11か月での高齢出産でしたが、産後2か月での公務復帰となりました。
2月23日:皇太子殿下お誕生日。
記者会見時の「子供とはこんなに可愛いものだったかと、改めて知ることになりました。」という殿下の言葉が印象的です。
以下は、宮内庁HP(皇太子殿下お誕生日に際し:平成14年)からの抜粋です。
新しい生命が誕生するということは、実に神秘的なことで、大きな感動を伴ったものでした。雅子には、本当に「御苦労様」という気持ちです。正直言って子供の姿を見るまでは、父親になるということは実感として湧きませんでしたが、生まれた子供の元気そうな様子を見て、初めてそれを実感したように思います。それとともに、この子供を今後大切に育て、守っていくことの責任を強く感じています。(中略)
子供の方は、お陰様で健康で順調に育っており、最近では、表情も豊かになって、声を発したり、それから笑ったりする回数も増えてきています。体も一回り大きくなったような感じがしまして、こういったことの中に、成長の様子をうかがうことができうれしく思います。子供とはこんなに可愛いものだったかと、改めて知ることになりました。
両陛下はじめ多くの人々への感謝の思い、国内外の子どもを取り巻く環境への思いを述べられた会見全文は、宮内庁HPでご覧ください。
この日、皇太子殿下お誕生日のお祝いの席で、高円宮さまが初めて愛子さまと面会されました。皇太子殿下と兄弟のように仲が良かった高円宮さま。愛子さまが誕生された際にはすぐに宮内庁病院へ駆けつけようとされましたが、三笠宮妃百合子さまの「まずは女性だけでお見舞いしましょう」というご配慮で行くことができず、大変悔しがられたと久子さまが手記に記されています。初めて愛子さまにお会いすることがかなった高円宮さまのお喜びがしのばれます。
3月13日:初宮参・初御参内。
愛子さまはこの日午前中、東宮女官長に抱かれて生後初めて宮中三殿(賢所、皇霊殿、神殿)を順に参拝されました。
初めての「賢所皇霊殿神殿に謁するの儀(かしこどころ・こうれいでん・しんでん に えっするのぎ)」を初宮参といい、一般でいうお宮参りにあたります。
その後、皇居を訪問され、宮殿「鳳凰(ほうおう)の間」で、両陛下にご面会されました(初御参内)。これが正式の初対面です。
この日愛子さまがお召しになっていた御初召一重(おうぶめし・ひとかさね)は、両陛下から贈られたものでした。
▲御初召姿の愛子さま。歌は雅子さまが2013年に詠まれたもの(2002年3月13日、東宮御所・檜の間で。宮内庁撮影)
▲愛子さまを抱いて、初宮参・初御参内のため皇居へ向かわれる雅子さまと見送られる皇太子さま(2002年3月13日、東宮御所にて)
4月2日:両殿下の記者会見(愛子さまご誕生について)。
この会見時の雅子さまの「生まれてきてありがとう」という言葉は日本中を感動させました。涙ぐみながらご出産の時のお喜びと感動を述べられたお姿に、私たち国民も「愛子さま生まれてきてくれてありがとう」という思いで一杯になりました。
両殿下のお言葉の抜粋を以下に記します。全文は、宮内庁HP(愛子内親王殿下御誕生につき:平成14年)でご覧ください。
皇太子さま:地球上に人類が誕生してからこの方、絶えることもなく受け継がれているこの命の営みの流れの中に、今私たちが入ったということに、新たな感動を覚えました。
雅子さま:無事に出産できましたときには、ほっといたしますと同時に、初めて私の胸元に連れてこられる生まれたての子供の姿を見て、本当に生まれてきてありがとうという気持ちで一杯になりました。今でも、その光景は、はっきりと目に焼き付いております。生命の誕生、初めておなかの中に小さな生命が宿って、育まれて、そして時が満ちると持てるだけの力を持って誕生してくる、そして、外の世界での営みを始めるということは、なんて神秘的で素晴らしいことなのかということを実感いたしました。
▲記者会見時の両殿下(写真出所:宮内庁HPより)
4月6日:葉山御用邸の海岸で一般市民と初めて面会。
愛子さまは戸惑って泣くこともなく、終始落ち着いていらっしゃいました。
5月8日:那須の御用邸へ。
この日初めて電車に乗られた愛子さまは、ちょっと驚いた顔をされていました。
このご静養の時に南ヶ丘牧場へ行かれ、愛子さまの小さな手がうさぎにタッチされたご様子を、記憶されている方も多いと思います。
この年6月、サッカーワールドカップが日本で開催されました。愛子さまは皇太子殿下とお揃いの日本代表のユニフォームをお召しになってテレビ観戦されました。
その際に撮影された写真を、この年の秋の園遊会で招待された日本代表の明神智和選手と松田直樹選手は、雅子さまから見せていただいたとのことです。
8月8日:那須御用邸でご静養。
那須塩原駅で初めて国民に元気よく手を振られました
8月16日:生まれて初めてのハイキング。
場所は昭和天皇が愛した沼原湿原で、皇太子殿下が背負ったベビーキャリーの中で那須の景色を眺められました。
またこの際に会った登山客との会話の中で雅子さまが「那須に来てからハイハイが出来るようになりました」と仰っています。
▲ベビーキャリーの中で那須の景色を満喫。皇太子殿下の髪(耳?)をグイグイされる愛子さま(2002年8月16日)
8月:須崎御用邸で両陛下、皇太子ご一家、秋篠宮ご一家お揃いでご静養。
▲須崎御用邸の海辺で皇后さまにあやされ笑顔の愛子さま(2002年8月)
10月11日:タイから贈られた2頭のアジア象が到着。
タイから愛子さまご誕生祝いに贈られた2頭のアジア象「ウタイ」「アティ」が、上野動物園に到着しました。
10月15日:雅子さまと愛子さまが初めてお二人で外出。
銀座教文館で催された「藤城清治影絵展」をご覧になられました。
藤城画伯は愛子さまご誕生を記念して『夢がとぶ』という絵を作られ、この日の展覧会で展示されました。
10月25~29日:栃木県高根沢町の御料牧場でご静養。
動物に興味津々、大きな牛に怖がらず手を伸ばしてタッチし、コニコご機嫌な愛子さま。周囲にも笑顔が広がりました。
▲御料牧場の牛に好奇心いっぱいに手を伸ばされていました(2002年10月)
11月21日:神宮外苑の銀杏並木を散策。
愛子さまはベビーカーにお乗りでした。
翌年の歌会始で、雅子さまはこの時の様子をこう詠まれています。
いちやう並木 あゆみてであふ 町びとに みどり児は顔 ゑみてこたふる
12月1日:愛子さま1歳のお誕生日。
愛子さまはご病気になることもなく、元気な1年を過ごされました。
前歯が4本、下の歯が3本生え、身長74・2センチ体重9320グラムとすくすくと成長され、お言葉も少し出るようになられたとのことです。
食事ではリンゴやミカンの果汁、野菜スープを召し上がるようになりました。
愛子さま満1歳のお誕生日に際し、皇太子ご夫妻が寄せられた文書回答から一部を引用します。
全文は、宮内庁HP(愛子内親王殿下一歳のお誕生日に際し皇太子同妃両殿下の文書回答)でご覧ください。
毎日の日課の中では、散歩と、絵本の読み聞かせ、お風呂が特に好きなように見受けられます。
お風呂の中では、湯船につかるととても嬉しそうににっこりして、湯船の縁につかまり、蛇口にさわるなど大変興味を示し、満足の様子です。(勿論、この間、体は親が後ろから支えています。)その後抱いて、肩までお湯につからせ、1から例えば10まで数えて温まるようにすると、とても気持ちよさそうに静かにつかっていて、可愛らしく思います。
お風呂は、私たちが入れられる日は、その日により、父親が入れたり母親が入れたりしますが、夜寝る前に親と一緒にお風呂に入ると安心するのか、その後、すーっと寝入ってくれます。
育児は、離乳食をあげること、お散歩、絵本の読み聞かせ他遊び、お風呂など、それぞれ時間を見ながら2人で協力しながらしていますが、我が家では寝かしつけだけは、どうも母親のほうが適しているようです。父親は、遊んでくれる相手と信じているようで、父親が寝かしつけようとするとどんどん目が輝いてきてしまうようなので、以後父親による寝かしつけはあきらめました。
親として、愛子には幸せな人に育ってほしいということが第一の願いです。人を愛し、他人を思いやる広い心を持った人に育って欲しいと思います。そのためには、まず、親が必要な愛情を十分に注いであげることが大切だと思っています。また、何事においても、その時その時だけでなく、長い目で見てあげること、それは親自身についても、その時その時に満点の育児が出来ているかということでなく、長い目で見て、ゆとりを持って自分たちのことを見ることが大事なのではないかと思います。
ちなみに、1歳の誕生日の映像で、オーストリアの「チロル・木のおもちゃ工房」で作られた押し車を押されていました。この映像を見た日本人が大量に注文したことで、倒産寸前だったチロル・木のおもちゃ工房が危機を救われました。このことは地元オーストリアでもプリンセスに救われたおもちゃ工房とニュースに取り上げられたほどです。
▲皇太子ご夫妻と愛子さま(東宮御所にて)。写真出所:宮内庁HP
12月9日:雅子さまお誕生日。
▲雅子さまのお誕生日に際して公開されたご近影。写真出所:宮内庁HP
東宮御所で5日に行われた記者会見で、雅子さまは愛子さまのご成長について次のようにお話しされています。
お陰さまで、とても今のところ身体が丈夫で、そしてまた、おおらかな性格といいますか、皇太子さまに似ましたのか、何ていうのかしら、ゆったりと、どっしりとしておりますので、その点健康に恵まれた子供を持っているということは、そうでない方もたくさんいらっしゃるわけなので、本当に恵まれたことだと思って有り難いことと思っております。
おおらかというか、明るいというのか、私驚きましたのは、赤ちゃんでも、本当に2か月、3か月でもユーモアのセンスというのがあるんだなというのがビックリしたことだったのですけれども。殿下が、今までもお話したことがございますけれども、本当にとても子育てを手伝ってくださって、本当に大きな力になってくださってますけれども、例えば、殿下が何かで、ちょっとガーゼを落としておしまいになった時に、私が「あっ」という顔してみますと、子供が「にやっ」とこう笑ったり、それが本当に2、3か月のころからそういうことがあって、こんなに小さな子供なんかにもユーモアの感覚というのがあるんだなと思いました。余り細かい、余りやっぱり神経質な感じは余りないかしらという思いがするのと、大勢の方に迎えていただいて、例えば、那須の駅ですとか、いろいろな所に出掛けましたときに、とてもたくさんの方に迎えていただきますけれども、何か皆さんの喜んでくださっているというのを、感じますのか、自分から一所懸命手を振ったりというのも、私たちが全く教えたわけではなくて、きっと皆さんのうれしそうにしている様子というのを感じ取って、それを素直に自分なりに表現しているのかしらと考えるのですけれども、おおらかというのが適切な言葉なのか分かりませんけれども、何となく日々の様子を見ておりますと、今のところそんな感じかしらという感じがいたします。
また、この年の11月21日に急逝された高円宮さまを悼み、次のように述べておられます。
私たちの結婚に至るまでの過程の中で、高円宮さまにはとても心を砕いてくださってましたし、そしてまた、結婚後も本当にいつも優しく心を寄せてくださって、皇太子さまにとっては五つ年上のお兄さまのような存在でいらした方で、本当にいつも温かく私たちを励まし、いろいろアドバイスしてくださってましたので、今回本当に突然の事でお亡くなりになってしまわれたことを本当に寂しく、本当に心が痛んでおります。妃殿下の久子さま、3人のお子さま方、そしてご両親でいらっしゃる三笠宮両殿下にはどれほどかお力をお落としのことと本当にご心中お察しするに余りある思いでおりますけれども、ご生前に宮さまから頂いた本当にたくさんの温かいお励ましを有り難く思っておりまして、ご冥福をお祈りしたいと思います。
その意味で、一つとても思い出に残っておりますのは、結婚の日の私たちのパレードがございましたけれども、ずっと皇居を出て新宿通りから学習院の初等科前を通って、鮫が橋門から入門してこちらの赤坂御用地内に入ってまいりまして、そして当時は東宮仮御所でございましたので、後ほど、こちらと御用地の反対側になるわけですけれども、そちらに向かう途中、いつも園遊会が開かれております赤坂御苑の所を通りましたのですけれども、その時に思いがけず、高円宮両殿下がそのころまだ初等科の低学年でいらしゃった承子女王さまをお連れになって、お池の所でとても温かく優しい感じでお迎えくださったのが本当に予期していないことだったんでございますけれども、その光景が本当にうれしいこととして大変思い出に残っております。
▲皇太子ご一家をいつも温かく励ましておられた高円宮殿下と同妃久子さま
なお、お誕生日の記者会見全文は、宮内庁HPで読むことができます。
※この連載は、事務局メンバーで皇室ウオッチャーのK・デイヴィスさんが、数多くの参考文献をもとに、
「ゴヨウツツジの会」のために書き起こしたものです。参考文献は次の通りです。
【参考文献:平成14年=2002年】
近重幸哉著『うまれてきてくれてありがとう 愛子さまの二年間』朝日出版社 2003年12月発行
高松宮妃喜久子著「<敬宮愛子さまご誕生に想う> めでたさを何にたとへむ」『婦人公論2002年1月22日号』中央公論新社 2002年1月発行
高円宮妃久子著『宮さまとの思い出 ウィル・ユー・マリー・ミー』扶桑社 2003年11月発行
天才工房編集『愛子さま「モノ」語り』東邦出版 2004年2月発行
『別冊週刊女性 雅子さまと愛子さま』主婦と生活社 2008年7月発行
友納尚子著『雅子妃 悲運と中傷の中で』文藝春秋 2008年7月発行
『皇室の20世紀10巻 敬宮愛子さまのご成長』小学館 2010年8月発行
『別冊週刊女性 雅子さま愛と絆の20年』主婦と生活社 2013年6月発行
友納尚子著『ザ・プリンセス雅子妃物語』文藝春秋 2015年1月発行
宮内庁HP
第2回は、ご誕生から満1歳までの歩みを振り返ります。あどけない赤ちゃん時代、その愛くるしさに日本中が熱狂したものです。
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■平成14(2002)年
1月15日:雅子さまは「歌会始の儀」で、次の歌を詠まれました。
生(あ)れいでし みどり児のいのち かがやきて 君と迎ふる 春すがすがし
雅子さまはこの頃、次の歌3首も詠まれています。(宮内庁HPより)
乳母車 おして歩めば みどり児は 光あふるる 空にまばたく [生後3,4か月の頃]
子をつれて 君と歩めば 夕空に 一番星は はやかがやきぬ
あたたかく 陽のさす庭に 抱きいでて あどけなく笑ふ 吾子の重たさ [1歳近くになって]
★ ★ ★ 高松宮妃喜久子さまが『婦人公論』に愛子さま誕生を祝う手記★ ★ ★
高松宮妃喜久子さまは『婦人公論』1月22日号に、愛子さま誕生を祝う手記を寄せられました。以下は記事からの抜粋です。
皇太子妃雅子さま内親王御出産のことは、当日午後三時、宮内庁宮務課から「すでにご承知でございましょうが」と電話連絡があり、
うちの侍女長の松下正(みち)がそれを受けました。宮務課の人の言う通り、テレビは早くて、松下が急ぎ知らせに参りました時には、
私の見ていたNHKの画面にもう、繰り返し朗報が流されているところでした。新宮ご誕生僅か十数分後です。
ほんとうに嬉しゅうございました。初めての御子をお儲け遊ばしたお二方はもとより、天皇皇后両陛下始め各宮さま方、お里小和田家のご両親、
どんなにかお喜びであろうとお察し申し上げました。国民皆さんの嬉しそうな様子も、テレビによく映っておりました。
法律関係の責任者の間で慎重に検討して戴かなくてはならないのは、皇室典範の最初の條項を今後どうするのかでしょう。
女性の皇族が第百二十七代の天皇さまとして御即位遊ばす場合のあり得ること、それを考えておくのは、長い日本の歴史に鑑みて
決して不自然なことではないと存じます。古代の推古天皇、持統天皇から江戸時代中期の後櫻町天皇まで、幾人もの女帝がいらっしゃいました。
外国でなら、英国のエリザベス朝、ヴィクトリア朝のように、女王のもとで国が富み栄えた例もたくさんございます。
また、愛子さま誕生を祝う三首の歌も発表されています。
めでたさを 何にたとへむ 八年(やとせ)へて この喜びに いましあふとは
すこやかに 育ち給へと 祈らるる 我が国民(くにたみ)の ねがひ切なる
あれましし 内親王(みこ)すこやかに 育ちませ 待ちに待ちたる 今日のよろこび
▲高松宮殿下(昭和天皇の2番目の弟君)と同妃喜久子さま
★ ★ ★ ★ ★ ★
2月8日:雅子さまがご公務に復帰されました。
37歳11か月での高齢出産でしたが、産後2か月での公務復帰となりました。
2月23日:皇太子殿下お誕生日。
記者会見時の「子供とはこんなに可愛いものだったかと、改めて知ることになりました。」という殿下の言葉が印象的です。
以下は、宮内庁HP(皇太子殿下お誕生日に際し:平成14年)からの抜粋です。
新しい生命が誕生するということは、実に神秘的なことで、大きな感動を伴ったものでした。雅子には、本当に「御苦労様」という気持ちです。正直言って子供の姿を見るまでは、父親になるということは実感として湧きませんでしたが、生まれた子供の元気そうな様子を見て、初めてそれを実感したように思います。それとともに、この子供を今後大切に育て、守っていくことの責任を強く感じています。(中略)
子供の方は、お陰様で健康で順調に育っており、最近では、表情も豊かになって、声を発したり、それから笑ったりする回数も増えてきています。体も一回り大きくなったような感じがしまして、こういったことの中に、成長の様子をうかがうことができうれしく思います。子供とはこんなに可愛いものだったかと、改めて知ることになりました。
両陛下はじめ多くの人々への感謝の思い、国内外の子どもを取り巻く環境への思いを述べられた会見全文は、宮内庁HPでご覧ください。
この日、皇太子殿下お誕生日のお祝いの席で、高円宮さまが初めて愛子さまと面会されました。皇太子殿下と兄弟のように仲が良かった高円宮さま。愛子さまが誕生された際にはすぐに宮内庁病院へ駆けつけようとされましたが、三笠宮妃百合子さまの「まずは女性だけでお見舞いしましょう」というご配慮で行くことができず、大変悔しがられたと久子さまが手記に記されています。初めて愛子さまにお会いすることがかなった高円宮さまのお喜びがしのばれます。
3月13日:初宮参・初御参内。
愛子さまはこの日午前中、東宮女官長に抱かれて生後初めて宮中三殿(賢所、皇霊殿、神殿)を順に参拝されました。
初めての「賢所皇霊殿神殿に謁するの儀(かしこどころ・こうれいでん・しんでん に えっするのぎ)」を初宮参といい、一般でいうお宮参りにあたります。
その後、皇居を訪問され、宮殿「鳳凰(ほうおう)の間」で、両陛下にご面会されました(初御参内)。これが正式の初対面です。
この日愛子さまがお召しになっていた御初召一重(おうぶめし・ひとかさね)は、両陛下から贈られたものでした。
▲御初召姿の愛子さま。歌は雅子さまが2013年に詠まれたもの(2002年3月13日、東宮御所・檜の間で。宮内庁撮影)
▲愛子さまを抱いて、初宮参・初御参内のため皇居へ向かわれる雅子さまと見送られる皇太子さま(2002年3月13日、東宮御所にて)
4月2日:両殿下の記者会見(愛子さまご誕生について)。
この会見時の雅子さまの「生まれてきてありがとう」という言葉は日本中を感動させました。涙ぐみながらご出産の時のお喜びと感動を述べられたお姿に、私たち国民も「愛子さま生まれてきてくれてありがとう」という思いで一杯になりました。
両殿下のお言葉の抜粋を以下に記します。全文は、宮内庁HP(愛子内親王殿下御誕生につき:平成14年)でご覧ください。
皇太子さま:地球上に人類が誕生してからこの方、絶えることもなく受け継がれているこの命の営みの流れの中に、今私たちが入ったということに、新たな感動を覚えました。
雅子さま:無事に出産できましたときには、ほっといたしますと同時に、初めて私の胸元に連れてこられる生まれたての子供の姿を見て、本当に生まれてきてありがとうという気持ちで一杯になりました。今でも、その光景は、はっきりと目に焼き付いております。生命の誕生、初めておなかの中に小さな生命が宿って、育まれて、そして時が満ちると持てるだけの力を持って誕生してくる、そして、外の世界での営みを始めるということは、なんて神秘的で素晴らしいことなのかということを実感いたしました。
▲記者会見時の両殿下(写真出所:宮内庁HPより)
4月6日:葉山御用邸の海岸で一般市民と初めて面会。
愛子さまは戸惑って泣くこともなく、終始落ち着いていらっしゃいました。
5月8日:那須の御用邸へ。
この日初めて電車に乗られた愛子さまは、ちょっと驚いた顔をされていました。
このご静養の時に南ヶ丘牧場へ行かれ、愛子さまの小さな手がうさぎにタッチされたご様子を、記憶されている方も多いと思います。
この年6月、サッカーワールドカップが日本で開催されました。愛子さまは皇太子殿下とお揃いの日本代表のユニフォームをお召しになってテレビ観戦されました。
その際に撮影された写真を、この年の秋の園遊会で招待された日本代表の明神智和選手と松田直樹選手は、雅子さまから見せていただいたとのことです。
8月8日:那須御用邸でご静養。
那須塩原駅で初めて国民に元気よく手を振られました
8月16日:生まれて初めてのハイキング。
場所は昭和天皇が愛した沼原湿原で、皇太子殿下が背負ったベビーキャリーの中で那須の景色を眺められました。
またこの際に会った登山客との会話の中で雅子さまが「那須に来てからハイハイが出来るようになりました」と仰っています。
▲ベビーキャリーの中で那須の景色を満喫。皇太子殿下の髪(耳?)をグイグイされる愛子さま(2002年8月16日)
8月:須崎御用邸で両陛下、皇太子ご一家、秋篠宮ご一家お揃いでご静養。
▲須崎御用邸の海辺で皇后さまにあやされ笑顔の愛子さま(2002年8月)
10月11日:タイから贈られた2頭のアジア象が到着。
タイから愛子さまご誕生祝いに贈られた2頭のアジア象「ウタイ」「アティ」が、上野動物園に到着しました。
10月15日:雅子さまと愛子さまが初めてお二人で外出。
銀座教文館で催された「藤城清治影絵展」をご覧になられました。
藤城画伯は愛子さまご誕生を記念して『夢がとぶ』という絵を作られ、この日の展覧会で展示されました。
10月25~29日:栃木県高根沢町の御料牧場でご静養。
動物に興味津々、大きな牛に怖がらず手を伸ばしてタッチし、コニコご機嫌な愛子さま。周囲にも笑顔が広がりました。
▲御料牧場の牛に好奇心いっぱいに手を伸ばされていました(2002年10月)
11月21日:神宮外苑の銀杏並木を散策。
愛子さまはベビーカーにお乗りでした。
翌年の歌会始で、雅子さまはこの時の様子をこう詠まれています。
いちやう並木 あゆみてであふ 町びとに みどり児は顔 ゑみてこたふる
12月1日:愛子さま1歳のお誕生日。
愛子さまはご病気になることもなく、元気な1年を過ごされました。
前歯が4本、下の歯が3本生え、身長74・2センチ体重9320グラムとすくすくと成長され、お言葉も少し出るようになられたとのことです。
食事ではリンゴやミカンの果汁、野菜スープを召し上がるようになりました。
愛子さま満1歳のお誕生日に際し、皇太子ご夫妻が寄せられた文書回答から一部を引用します。
全文は、宮内庁HP(愛子内親王殿下一歳のお誕生日に際し皇太子同妃両殿下の文書回答)でご覧ください。
毎日の日課の中では、散歩と、絵本の読み聞かせ、お風呂が特に好きなように見受けられます。
お風呂の中では、湯船につかるととても嬉しそうににっこりして、湯船の縁につかまり、蛇口にさわるなど大変興味を示し、満足の様子です。(勿論、この間、体は親が後ろから支えています。)その後抱いて、肩までお湯につからせ、1から例えば10まで数えて温まるようにすると、とても気持ちよさそうに静かにつかっていて、可愛らしく思います。
お風呂は、私たちが入れられる日は、その日により、父親が入れたり母親が入れたりしますが、夜寝る前に親と一緒にお風呂に入ると安心するのか、その後、すーっと寝入ってくれます。
育児は、離乳食をあげること、お散歩、絵本の読み聞かせ他遊び、お風呂など、それぞれ時間を見ながら2人で協力しながらしていますが、我が家では寝かしつけだけは、どうも母親のほうが適しているようです。父親は、遊んでくれる相手と信じているようで、父親が寝かしつけようとするとどんどん目が輝いてきてしまうようなので、以後父親による寝かしつけはあきらめました。
親として、愛子には幸せな人に育ってほしいということが第一の願いです。人を愛し、他人を思いやる広い心を持った人に育って欲しいと思います。そのためには、まず、親が必要な愛情を十分に注いであげることが大切だと思っています。また、何事においても、その時その時だけでなく、長い目で見てあげること、それは親自身についても、その時その時に満点の育児が出来ているかということでなく、長い目で見て、ゆとりを持って自分たちのことを見ることが大事なのではないかと思います。
ちなみに、1歳の誕生日の映像で、オーストリアの「チロル・木のおもちゃ工房」で作られた押し車を押されていました。この映像を見た日本人が大量に注文したことで、倒産寸前だったチロル・木のおもちゃ工房が危機を救われました。このことは地元オーストリアでもプリンセスに救われたおもちゃ工房とニュースに取り上げられたほどです。
▲皇太子ご夫妻と愛子さま(東宮御所にて)。写真出所:宮内庁HP
12月9日:雅子さまお誕生日。
▲雅子さまのお誕生日に際して公開されたご近影。写真出所:宮内庁HP
東宮御所で5日に行われた記者会見で、雅子さまは愛子さまのご成長について次のようにお話しされています。
お陰さまで、とても今のところ身体が丈夫で、そしてまた、おおらかな性格といいますか、皇太子さまに似ましたのか、何ていうのかしら、ゆったりと、どっしりとしておりますので、その点健康に恵まれた子供を持っているということは、そうでない方もたくさんいらっしゃるわけなので、本当に恵まれたことだと思って有り難いことと思っております。
おおらかというか、明るいというのか、私驚きましたのは、赤ちゃんでも、本当に2か月、3か月でもユーモアのセンスというのがあるんだなというのがビックリしたことだったのですけれども。殿下が、今までもお話したことがございますけれども、本当にとても子育てを手伝ってくださって、本当に大きな力になってくださってますけれども、例えば、殿下が何かで、ちょっとガーゼを落としておしまいになった時に、私が「あっ」という顔してみますと、子供が「にやっ」とこう笑ったり、それが本当に2、3か月のころからそういうことがあって、こんなに小さな子供なんかにもユーモアの感覚というのがあるんだなと思いました。余り細かい、余りやっぱり神経質な感じは余りないかしらという思いがするのと、大勢の方に迎えていただいて、例えば、那須の駅ですとか、いろいろな所に出掛けましたときに、とてもたくさんの方に迎えていただきますけれども、何か皆さんの喜んでくださっているというのを、感じますのか、自分から一所懸命手を振ったりというのも、私たちが全く教えたわけではなくて、きっと皆さんのうれしそうにしている様子というのを感じ取って、それを素直に自分なりに表現しているのかしらと考えるのですけれども、おおらかというのが適切な言葉なのか分かりませんけれども、何となく日々の様子を見ておりますと、今のところそんな感じかしらという感じがいたします。
また、この年の11月21日に急逝された高円宮さまを悼み、次のように述べておられます。
私たちの結婚に至るまでの過程の中で、高円宮さまにはとても心を砕いてくださってましたし、そしてまた、結婚後も本当にいつも優しく心を寄せてくださって、皇太子さまにとっては五つ年上のお兄さまのような存在でいらした方で、本当にいつも温かく私たちを励まし、いろいろアドバイスしてくださってましたので、今回本当に突然の事でお亡くなりになってしまわれたことを本当に寂しく、本当に心が痛んでおります。妃殿下の久子さま、3人のお子さま方、そしてご両親でいらっしゃる三笠宮両殿下にはどれほどかお力をお落としのことと本当にご心中お察しするに余りある思いでおりますけれども、ご生前に宮さまから頂いた本当にたくさんの温かいお励ましを有り難く思っておりまして、ご冥福をお祈りしたいと思います。
その意味で、一つとても思い出に残っておりますのは、結婚の日の私たちのパレードがございましたけれども、ずっと皇居を出て新宿通りから学習院の初等科前を通って、鮫が橋門から入門してこちらの赤坂御用地内に入ってまいりまして、そして当時は東宮仮御所でございましたので、後ほど、こちらと御用地の反対側になるわけですけれども、そちらに向かう途中、いつも園遊会が開かれております赤坂御苑の所を通りましたのですけれども、その時に思いがけず、高円宮両殿下がそのころまだ初等科の低学年でいらしゃった承子女王さまをお連れになって、お池の所でとても温かく優しい感じでお迎えくださったのが本当に予期していないことだったんでございますけれども、その光景が本当にうれしいこととして大変思い出に残っております。
▲皇太子ご一家をいつも温かく励ましておられた高円宮殿下と同妃久子さま
なお、お誕生日の記者会見全文は、宮内庁HPで読むことができます。
※この連載は、事務局メンバーで皇室ウオッチャーのK・デイヴィスさんが、数多くの参考文献をもとに、
「ゴヨウツツジの会」のために書き起こしたものです。参考文献は次の通りです。
【参考文献:平成14年=2002年】
近重幸哉著『うまれてきてくれてありがとう 愛子さまの二年間』朝日出版社 2003年12月発行
高松宮妃喜久子著「<敬宮愛子さまご誕生に想う> めでたさを何にたとへむ」『婦人公論2002年1月22日号』中央公論新社 2002年1月発行
高円宮妃久子著『宮さまとの思い出 ウィル・ユー・マリー・ミー』扶桑社 2003年11月発行
天才工房編集『愛子さま「モノ」語り』東邦出版 2004年2月発行
『別冊週刊女性 雅子さまと愛子さま』主婦と生活社 2008年7月発行
友納尚子著『雅子妃 悲運と中傷の中で』文藝春秋 2008年7月発行
『皇室の20世紀10巻 敬宮愛子さまのご成長』小学館 2010年8月発行
『別冊週刊女性 雅子さま愛と絆の20年』主婦と生活社 2013年6月発行
友納尚子著『ザ・プリンセス雅子妃物語』文藝春秋 2015年1月発行
宮内庁HP
(*´・∀・`*)
どれも可愛らしく、思わず顔が緩みました。
ずっと見ていたい写真ばかりですね。
なかでも、美智子皇后さまが敬宮愛子さまをあやしておられるものは初めて拝見しました。
このような表情もされるのか(皇后さまが)と、大層驚きました。
ずっとこの笑顔でいてくださったらよかったのにと、残念でなりません。
今、皇室は大変騒がしいことになっていますが、皇統が秋篠宮家へ移るのなら、次の御世で「皇室終了」でいいと私は思います。
敬宮愛子さまには、静かに幸せにお過ごしいただきたいです。
ただそれだけです。
この後、だんだん大きくなられる様子もご紹介いただけるんじゃないかと思っていますが…
実は私、この後、おいくつくらいの頃からか、敬宮さまを見くびることになるのです。
何かの機会にお父様にそっくりなご様子を拝見し、父方お血筋のご容貌なのかな?からの、何故か叔母上の内親王殿下に連想が直結。
で、「幸いにして賢そうなお子さまだもの。ちょっとくらい外見がアレでも大丈夫。過度な期待はすまい」と、割りと最近まで失礼な思い込みをしたまま。
すらりとしたお姿でご両親とお出ましになるのを拝見して驚いて思い込みを改めたのが、ここ2、3年くらいのことでしょうか?
その間まるで注目してこなかったことが悔やまれます。もったいなかった。
ご本人は外見のことでこんな思い込みをした者がいることなど、どうでもいいことでしょうが、ホントに失礼なことだったと思っています。
敬宮愛子さまがお生まれになった時の記者会見。
生まれてきてありがとうという気持ちになりました、と涙ぐまれた雅子さま。
努力で物事を乗り越えてきたであろう雅子さまが、努力だけでは如何ともし難い妊娠出産にご自分の存在意義を突きつけられて、そして生まれた女のお子さま・・・
そこにきてあの涙です。そして優しげに手を伸ばす当時皇太子だった陛下。
この方たちの精神は、なんて尊いんだろうと思いました。
たしかに悩まれたのでしょう。でも、その気持ちはお健やかで誠実なのだと思います。
この映像は、敬宮さまの拠り所になると思います。
この時、私はお手振り公務のニュースを聞くだけでは好きになれなかった皇室をこの一家限定ですが強烈に惹かれ始めました。
小さな時から、マスコミの目にさらされてきた敬宮さまがあんなに素敵に成長されたのは、ほんとにみんなを勇気づけてくれます。
これからの若い世代は、お手振り公務には価値を見出さないと思います。よって、こなした数なんて関係ない。
東宮時代のバッシング時代をみんな快く思っていなかったことの証明が、今のヤフコメです。
決して手のひら返しではなく、良識派が応援コメントを書き始めただけだと思います。
令和、そしてこの先に、時代にあった、新しい日本を見せていただけるといいな・・・
いま変わらなかったら、おそらく日本はずっとこのまま。