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横浜の石井琢朗が通算2000本安打達成。勝利投手経験者が2000本安打樹立と川上哲治氏以来の快記録

2006-05-12 00:41:09 | Weblog
横浜ベイスターズの石井琢朗選手(35)が11日、横浜スタジアムであった楽天3回戦の第1打席で、愛敬投手から中前安打を放ち通算2000本安打を達成した。石井は投手として入団し勝ち星を挙げている。勝利投手経験者が2000本安打を達成するのは、元巨人の川上哲治氏以来2人目となる快記録も生み出した。プロ入り18年目での達成。これまで大きなケガをせずコツコツ積み重ねた結果の大記録。「無事これ名馬」とは石井のための名言かもしれない。

石井はプロ入り後3年間(当時は大洋)は投手としての登録だった。1989年がルーキーイヤー。この年の10月10日のヤクルト戦で初先発し初勝利を挙げたほか、この試合でプロ入り初安打をマークしている。3年間で28試合に登板し1勝4敗、防御率5.69と十分な結果を出せず、野手への転向を志願した。

野手転向後の92年以降、着実にレベルアップし、横浜が日本一となった98年には174安打を放ってリーグ最多安打に輝いた。2001年にも171安打を放って再びリーグ最多安打をマークした。

走攻守のすべてに秀でた選手で、走塁面では1993年と1998-2000年の4回盗塁王に輝いた。守備面でも1993年から3年連続で三塁手、1998年には遊撃手として計4度のゴールデングラブ賞に選ばれた。ベストナインにも1997年から5年連続で選出されている。

勝利投手経験者として2000本安打を記録した初代の川上氏は、巨人時代に4年間で11勝9敗、防御率2.61の記録を残し、打者に転向した。石井が今後10勝を挙げて川上氏の投手記録に並ぶことは無理だろうが、川上氏が18年間で残した2351安打を超えることは可能だ。

石井は投手時代の3年間は「石井忠徳」という名前で登録していたが、打者転向と共に「石井琢朗」に変更している。改名は見事成功したが一つだけ気になった。ホワイソックスの井口もダイエー時代の2001年シーズンに「忠仁」から「資仁」に改名している。井口もその年に盗塁王に輝くなど改名効果があったが、2人とも元の名前に「忠」の字があった。「忠」の字が付く野球選手は大成しないのだろうか。