私がまだ小学生の頃、とぉ~い昔のお話です。
盆と正月は、母方の祖父母の家で
札幌や旭川に住む従妹たちと再会。
朝から晩まで合宿のように遊びまわりました。
叔母たちはおしゃべりを、叔父達に囲まれ
(終戦時、多くの韓国人採炭夫から
感謝された)祖父もニコニコ、お酒を飲む姿を
今でも覚えています。
祖父の趣味はカナリア。
鈴を転がすような美声を楽しんでいたのです。
ある夏の日、従妹達が居ない午後。
1人残された私は、裏庭の木に吊るされた
カゴを揺らし遊んでいました。
祖父の大事なカナリアに、軽い嫉妬を
感じていたのかもしれません。
かごの中で大暴れするカナリアを
逃がしてしまいました。
当然、祖母や叔母達から大目玉。
「お祖父ちゃんの可愛がっていたカナリアだよ!」
しっかり怒られました。
当然ですよね。
でも、一番カナリアを可愛がっていた祖父は
「いいんだよ。気にするな。」
そう言って寂しく笑うだけです。
(怒られなくて良かった。)のと
ちょっぴり後悔の小学生の私。
今、自分が年を重ねて思うのは大人の祖父。
自分の愛鳥を逃がした相手に、
私は祖父のような寛大な姿勢を示せるだろうか?
感情の赴くままに相手を責めるかも?
今更祖父の人間の器の大きさを感じます。
大人になること(肉体的成長)と
大人であること(精神的成長)は違うのさ。
もっと祖父と話がしたかったなぁ。
あの時は、本当にごめんね&ありがとう
盆と正月は、母方の祖父母の家で
札幌や旭川に住む従妹たちと再会。
朝から晩まで合宿のように遊びまわりました。
叔母たちはおしゃべりを、叔父達に囲まれ
(終戦時、多くの韓国人採炭夫から
感謝された)祖父もニコニコ、お酒を飲む姿を
今でも覚えています。
祖父の趣味はカナリア。
鈴を転がすような美声を楽しんでいたのです。
ある夏の日、従妹達が居ない午後。
1人残された私は、裏庭の木に吊るされた
カゴを揺らし遊んでいました。
祖父の大事なカナリアに、軽い嫉妬を
感じていたのかもしれません。
かごの中で大暴れするカナリアを
逃がしてしまいました。
当然、祖母や叔母達から大目玉。
「お祖父ちゃんの可愛がっていたカナリアだよ!」
しっかり怒られました。
当然ですよね。
でも、一番カナリアを可愛がっていた祖父は
「いいんだよ。気にするな。」
そう言って寂しく笑うだけです。
(怒られなくて良かった。)のと
ちょっぴり後悔の小学生の私。
今、自分が年を重ねて思うのは大人の祖父。
自分の愛鳥を逃がした相手に、
私は祖父のような寛大な姿勢を示せるだろうか?
感情の赴くままに相手を責めるかも?
今更祖父の人間の器の大きさを感じます。
大人になること(肉体的成長)と
大人であること(精神的成長)は違うのさ。
もっと祖父と話がしたかったなぁ。
あの時は、本当にごめんね&ありがとう