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趣味いろいろ

私の趣味としてやってきた事をいくつか紹介します。

北向き観音参り

2006-10-03 22:21:59 | Weblog
ガラスの球体     三重の塔      北向き観音      先日客の接待として信州の諏訪を中心に考え、何処を案内すると喜ばれるかを考えた結果、やはり諏訪神社(上社、下社)と思いまず上社を案内する。本堂、御柱、力士(雷電)の像など見てもらい、ガラスの里へと案内する、素晴らしいガラス細工の器を見たり、写真のガラスの球体などを見てもらう。案内版を見ると世界一精密に作られた球体であると書かれていた。昼食は信州では、そばが良いのではないかと思い、老舗で美味しいそば屋と言われている(諏訪の田毎庵)を案内する。

霧が峰高原を通り上田市の別所温泉へと向かう、温泉内には北向き観音、愛染カツラの木、(幸福堂)、三重の塔などがある。客に聞いたところ以前長野の善光寺参りをした事があるので、今度は北向き観音にお参りしたいとの事で行く事にした。北向き観音は全国でも珍し霊場で「厄除け観音」として南向の長野の善光寺に向いて建てられており、北向きに建てられた観音は日本にはあまり無いとの事である。善光寺にお参りしたら、北向き観音にお参りしないと、片参りと言って、ごりやくが薄いと言われているらしい。

北向き観音本堂となりに、映画で有名になった、愛染カツラの木がある。隣の幸福堂を包み込むほどの大木である。幸福堂にてお参り済ませ愛染カツラの木の前にて記念写真を取る人でにぎわっていた。1㌔程はなれた所に安楽寺国宝八角三重の塔がある。この塔は鎌倉末期に建立された、八角の形で現在に残っているのは珍しいと言われている。「金剛界大日如来」が奉られているとの事である。少し欲張って信州の名所観光地を案内したけれど、喜んでもらえた様であつた。

山野草花紹介 Ⅱ

2006-09-05 16:23:08 | Weblog
 トリカブト        マツムシソウ       マツムシソウとミヤマリンドウ
暑い夏も終わり秋の気配を感じ始めた今日この頃、深山ではナナカマドの葉が色ずき期始めた。夏の中旬頃、盛んに咲いた花でトリカブトの花がある、この花は皆様も良く知っておられるが、トリカブト事件でお馴染みの花で、根は猛毒であり、昔は、矢じりにこの毒を塗りつけてウサギや小動物を捕らえた、と言われ痺れ、痙攣が起きるらしい。花は紫色をしており武将の兜に似ていることから、トリカブトと名付けられたと聞いているが、実に綺麗な花であり、群生して咲く。

次にマツムシ草であるが、この花も色は薄紫で、高山に咲く花である、葉は細葉で花は菊の花に似ており全体が薄紫である、高山のお花畑を飾る綺麗な花である、此花も群生して咲く、マツムシ草に混じって深山リンドウが咲く残念ながら時期が遅い為に枯れてきており写真ではよく解からないが、やはり紫色の綺麗な花を見る事が出きる。

そんな中にピンク色した撫子を見る事ができるが、この花は非常に難しい花で環境が合わないとすぐ消えてしまうので中々数が少なくあまり見る事が少ない。よく珍しい花や可愛い花を見つけると持ち帰り育てようとする人が居るが、撫子だけは殆んどねずかない、自然の花は環境を変えると消えてしまうので大事にしたい物です。


山野草・花紹介

2006-08-22 09:07:03 | Weblog
  レンゲショウマ     レンゲショウマ      ショウマ
今日は少し珍しい花を紹介します。写真1・2の花がレンゲショウマという花ですこの花は、少し暖かな地方、山梨県などの山中に生息する植物で日当たりの悪い日陰を好む植物です。花を見ると蓮の花(蓮華)を逆さにした様に見えるのでレンゲショウマと名ずけられた様である。

花の咲く次期はちょうど8月のお盆頃咲きす、山中で見つけると、群生して咲いているので少し紫がかった色で実に見事な、お花畑に出会う事があるが、最近ではやはり乱獲されてなかなかお目にかからない様である。

写真3は草原で見かける普通のショウマで、白い粟粒上の花が咲く、葉っぱはレンゲショウマも、普通のショウマと似ているので見分けるのが難しいが、植物が生長すれば良く解かる。

ショウマは成長すると茎がそのまま伸びて花を付けるが、レンゲショウマは新たに茎が出てきてそれに花をつける。下向きで実に可憐な花でお盆花としても良いような花である。この写真は自宅の庭先で写したもので、今年は天候の加減か少し少なめであった。

きのこ・・紹介

2006-08-05 14:31:51 | Weblog
    コウタケ       タマゴタケ
久々の投稿てある。今年7月には大雨により災害が各所でおこり、大変の年となったが、気温も低く秋の気温と同じような日が数日続いた為か、秋の茸が出来た。写真のきのこは、8月の始めに採れたものだが、非常に大きく成長したものである。

最初のきのこは、香茸といい食用きのこである、臭いがとても良く、食しても美味しい茸である。傘の大きさは、約20センチ程あり、茶色でシイタケと同じようなかさかさした肌である。食べ方は軽くゆでて大根おろしで食べるか、焼いて食べても美味しい。

次にたまご茸について紹介します、この茸はとても綺麗に見えるきのこで、良く似た茸で毒キノコでよく知られている、べに天狗茸に似ているが、良く見ると傘の上に白い班点が付いているのが、毒キノコの紅天狗茸で、白い斑点が付いておらず、茸の根元にゆで卵より生えててきた様な幕が付いている。

この茸はタマゴダケといい食用の茸である、食べるとしょきしょきした食感の美味しい茸である。ゆでると白くなり、食べ方は大根おろしを乗せて食べるか、和え物にするか、すき焼きに入れても美味しい。この茸は群がって出来、一本見つけるとその周囲で数本採る事ができるが、充分に気を付けて、くれぐれも紅天狗茸と間違えない様にしよう。

石仏観音の紹介

2006-07-14 16:43:09 | Weblog

奥蓼科高原(湯みち街道)に石仏観音が道路沿いに無数奉られている。場所は茅野市より国道299号線を八ヶ岳麦草方面に走り途中堀地区を真っすぐ上ると須栗平地区を通り笹原地区に出る、笹原公民館前に最初の一番観音がある。

其処から明治温泉庭先まで永遠と33対の石仏観音が奉られている。渋温泉も同じで33対の石仏があるので道路沿いはにぎやかである。この石仏は約190年前より在ったと言われている。昔温泉と言えば自然に地上に湧き出ているのを見つけて、それを沸かしたり薄めたりして、温泉として利用されていた。

当時渋川河川沿いには温泉が湧き出していた場所が数箇所あり、その中に明治温泉、渋温泉がある。腰の痛みや、婦人病などに良く効くと言われている。昔農家の人達が農繁期が終わると骨休みとして唯一の楽しみの場でもあった、湯治場としてにぎわった様である。場所が山の中で非常に厳しい山道を登り数時間歩いて、やっと温泉に到着した様で。

道路脇に奉られた観音像には番号が付られてており、その番号を頼りに33番にて温泉に到着するので、それを目安に頑張って登った様である。観音は旅の安全と道しるべとして置かれていた様で、仏像は長年の間に壊れたり盗難にあい、地元の名詞の方々が復元寄贈されたものらしい。

今では道路も良くなり車にて楽に行く事ができる。叉渋温泉は八ヶ岳登山の入り口でもある。今ではボウリングの技術も進み何処を掘っても温泉が出ると言われ、茅野地域でもいくつもの温泉施設ができて、(硫黄泉、鉄鉱泉等)色々の温泉を楽しむ事ができる。当地区に来られたら、66たいの石仏観音をじっくり見るのも宜しいかと。





山菜(ゼッタ)紹介

2006-07-03 01:07:58 | Weblog
  ゼッタ       ゼンマイ      シダ 
山菜ゼッタに付いて紹介します。 シダの仲間で山菜として食する事の出来る植物でゼッタが有ります。皆様もゼンマイは知っているでっしょうが、ゼッタは知らない人が多いと思う、この植物は信州でも諏訪地域の霧が峰、白樺、蓼科高原に生息する植物で、ゼンマイに良く似ているが良く見ると葉っぱの形など大分違いがあるが、食べ方はゼンマイと同じように食べる事ができる。

春先タラノ芽、コゴミ、などの山菜が採れ始めると、続く様にしてワラビ、ゼンマイ、ゼッタなどが採れる。食べるところは新芽の茎である。茎には、淡褐色の棉毛で保護されているが、丸まって球状の部分や棉毛を取り除き、茎のみを灰や重曹にて灰汁抜きをして乾燥させ保存食として必要の時に料用される。

漢方薬としても食され、利尿、補血,盆血、強壮、血圧降下などに良く効くと言われている。食べ方は乾燥したゼンマイ、ゼッタを水で数日さらすと元に戻るので、茎を5cm程に刻み味噌汁の具、またわ炒め物として食すると、歯ごたえも良く美味しい山菜である。シダは、非常に灰汁が強く食べられない、と言われている。昔より伝えられてきた山菜の食べ物も健康食品である。    

父の日の贈り物

2006-06-20 17:04:42 | Weblog
      6月18日父の日・・・父の日とやらで、子供もから贈り物が届いた。贈り物をもらってこんなに嬉しかった事は久々である。送られた物で喜んだのではなく、長年父親として子育ての一つをになって来たつもりでも、母親と父親を比較すると、母親の方が子供と接する機会が多いのか、母の日の贈り物は早くから届いていたが、父の日の贈り物は初めてである。

今までは母に送られるカーネーションの花を見ながら、親に感謝の気持ちを持ってくれる事での喜びを感じていたが、改めてプレゼントされると、やっと父親としてへの感謝の気持ちを受け取った気がする。我々が育った時代はまだ封建制度が残っており、父親は生活費を稼ぐ為に頑張り、家庭の子育ては、母親の役目的な処があり、あまり子供とのコミニケイションを取れなかった思いもある。

そんな為か、子供よりうちは母子家庭?と言われた事があったと、妻から聞いた時に、始めて父親として失敗したかなと気ずくが、妻が子供には、言い含めていた様で、問題を起す事も無く成人してくれた事に感謝する。子供達もそれぞれ家庭をもち、親への感謝の気持が見えてきた様に思え嬉しいプレゼントであった。

山野草紹介

2006-06-06 10:52:59 | Weblog
    今日は山野草の一つでもある。岩ひばと行者にんにくに付いて書き込んでみます。まず最初の二枚の写真が岩ひばてあるが、写真の岩ヒバは現在鉢植えにして育てられている、よそ様の物であるが。元は少し暖かい地方の大きな岩場に生息していた植物で、葉を見るとヒバの木の葉っぱに似ているので、岩ヒバと言われているが、ヒバの木とは全く違う植物である。

よく標高の低い地域を車などで走っている時に山の一部に大きな岩があり、良く見ると岩の中に緑の植物を見る事があると思うが、わずかの土に生息する植物である。雨水や霧の水分で生きており、天気がよく乾燥している時には、枯れているかの様に見えるが、雨などの水分をを貰うと途端に元気になり枯れた様に見えた葉っぱが緑色に変化する。

成長が遅く、鉢植えされた岩ひばの大きさに成るには、おそらく数百年は経っていると思われる。現在ほとんど乱獲され、少なくなって居るが、自然が壊される事は、非常に残念である。ウチョウランや、イワチドリなどは天然の岩ひばの中で自然に生息した物の中から取り出して育てたものであるが、ヒメユリなども生息している。

三枚目の写真が行者ニンニクである。葉っぱや茎の臭いを嗅ぐとニンニクと同じ臭いがする。この植物も自然に生息しており、山菜として人気のある植物で、土や環境にあうと栽培にて増やす事が出来る。にんにくと同じ栄養かの高い山菜として、市場でも買う事ができる。生でも刻んでそばやうどんの薬味として食べると美味しい。機会があったら食べて見たらいかがでしょうか。

蓼科高原と私

2006-05-31 21:51:51 | Weblog
    茅野市街地よりビーナスラインを進むと、左側には蓼科山、右側には八ヶ岳連峰が見える。いまが季節で新緑,若芽の黄緑色が実に美しい。藤の花が咲き始め淡い紫色,花を眺めながら進むと、蓼科高原カントリー倶楽部が見える。以前よく楽しませて貰った倶楽部である。月に数回はゴルフを行っていたが、残念の事に今では、怪我の為クラブを握る事が出来ず、以前の思い出のみである。

このルート(ビーナスライン)は蓼科高原プール平らをへて白樺湖へ湖を眺めながら車山高原、霧が峰へと続き美ヶ原高原に至る道路で、観光名所が多く特にドライブを楽しむ人達で賑わいでいる。私も3年ほど前までは蓼科高原に20年ほど住んでいたが、標高1500m以上の所での生活は中々厳しい。ちょうどロープウェイの隣に位置する所で、Tと言う薬品会社の山荘で、建物の周りの植物は殆んど高山植物である。毒草ではあるがスズランやトリカブトの群生地であり、今頃はスズランが可愛い白い花を咲かせている頃でっしょう。

1年を通して夏が非常に短く暖房を止めるのは1・2ヶ月、もちろんクーラー、扇風機などは必要ない、空気は薄く気圧の変化を感ずる。でも湿度が非常に低い為かあまりカビはつかず、布団は干す必要が無い程で、夏場の一時期、生活をするには良い別荘地である。お湯は100度が沸点であるが、ここでは90数度が沸点である為に、普通状態でご飯を炊いても芯が残り、ご飯が不味い、お米の良し悪しはあまり関係ない様だ。

春秋には山菜、きのこ、などは豊富に採れるが、冬は大変である雪との格闘が始まる。雪の多い年など時々家より脱出できなくなるし、一日数回の雪掻きが必要で、一日に2mも積もった事もあつた。仕事として住んでいたが、歳を取っての永住は厳しい様に思える。最近信州のとう地に永住される方も多くなって来たが、標高の高い所での生活は何かと大変な事が多いと思われる。私は現在、標高約900m程の地域での生活に変ったが、まだ体が気圧の変化に慣れず暑さに苦しんでいる。障害を持った今日そんな事との戦いの毎日である。

映画と私

2006-05-16 10:12:53 | Weblog
  蓼科高原には、日本映画界の三大巨匠と賞された、(小津、黒沢、溝口)一人、小津安二郎監督の別荘「無藝荘」がある。上の写真が別荘であるが、蓼科プール平に移築改修された、木造平屋建てで屋根は茅葺き、昔懐かしいたた住まいである。見学出きるようで、室内には囲炉裏があり、小津安二郎監督が昭和の30年頃シナリオライター野田高梧氏と共に、静かな高原の生活を楽しみながら、数々の名作を練リ上げた場所である。

いくつもの名作の中でも蓼科を愛して作られたと言われる「小津の秋」は深まる蓼科高原を背景にロケイションした作品で、本年度の映画祭にてプレミア上映される様である。私もとうじ高校生でアルバイトとして撮影機材を霧が峰の草原に背負って登った事もあったが、映画の全盛期時代と言おうか、唯一の娯楽として映画を楽しんだ。

当時映画館の数も多く茅野市内にも3館ほど有ったし、諏訪市には4.5館あった様に思う。上映される映画は殆んど見たように思うが、特に洋画は好きで諏訪のオデオン座には定期券を発行してもらいたい程かよった。名画と言われた色々のシーンはいまだに忘れる事が無い。白黒映画よりカラー映画に変り、シネマスコープに変る画面を広く見せ、ステレオ音響へと変ったが、テレビのふきゅうと共にテレビドラマへと変った。

なかなか映画館にも足を運ばなくなり、次々に閉館、今では1館のみととなったが、最近では映画シアターと言う、50人程度のボックススタイルの建物を5・6戸連ねて色々の映画を上映している。私も時々岡谷スカラザ、山形村のアイシティシネマに見に行くが、昔と違いまず音響が良い事、映像も立体感があり、画面の中に引き込まれる様な錯覚をおこす程である。韓流ブームもあってか、また映画フアンも増えつつある様だが、昔の様な時代は来ないでしょう?。一度シアターにて現在の映画を体験して見ては如何でしょうか。