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異形の仲間たち見聞録

私が見てきた精神疾患者たち

異形の仲間たちとの見聞録 「生活保護バッシング」

2023年05月06日 21時39分52秒 | 異形の仲間たち見聞録
「行政=内閣」を始めとする役所や「司法=裁判所」はお坊ちゃま育ちが多いのと裁判所は役人や内閣の大臣の顔色ばかり気にして国民の顔色など気にせずに平気で弱者切り捨ての「冷たい資本主義」の一面を見せる。ちなみに、G7の中でGNP(国民総生産)比較では、日本が生活保護に対する割合は最下位である。

14日、一連の裁判で初めての2審の判決が言い渡され、大阪高等裁判所の山田明 裁判長は、「物価の変動率の算定にあたって受給者の消費構造をどの程度、考慮するかは厚生労働大臣の裁量に委ねられている。支給額の引き下げの判断は不合理とは言えず裁量権の逸脱や乱用は認められない」などとして1審の判決を取り消し、受給者の訴えを退けました。
※判決文を抜粋
不景気や物価上昇は考慮しない判決。
役人や裁判官を務めているような、お坊ちゃまお嬢ちゃまにはわかるまい、といったところですかね。

さまざまな事情で生活保護を受けている人に対して世間の風当たりは厳しい。ことに身内にそういう人がいれば、なお風当たりは厳しいのは悲しいかな当然の話だろう。いわば「身内の恥」というわけである。
…私の知人でSNS上で親戚から生活保護を受けていることに対して批判的な激しいコメントがあって、その親戚をブロックしたという話しを聞いた。親戚の内でも仲がいい人でショックは大きかったようです。結局、和解も亡いまま相手は亡くなって「当て逃げ」のような格好になったようですが、SNS上で批判すると万人の中で批判されるのですから、当人間での話しでは無くなってきます。
兄弟からも「お前は(金銭面で)世話になっているんだから、面倒はお前が見ろ」と親の看取りを一人任されたそうです。単に面倒を見たくない言い訳にされたようです。
このような認識が世情に蔓延すると「生活保護は恥」という意識になってしまって、「保護を受けるようなら体を壊しても良いから働く」という方も多い。
しかし、「生活保護を受けて気が楽になった、助かりました」という話しは枚挙に暇が無いのも事実。これはいつ誰が受給対象の生活レベルになってもおかしくないことであり、「他人事」というにしては身近な存在過ぎます。












異形の仲間たちとの見聞録 「障害年金受給バッシング」

2023年04月25日 18時11分12秒 | 異形の仲間たち見聞録
「障害年金」というのは障害が労働に差し支えて十分な収入を得られないためにあるものと私は理解しています。ですが、理解のない無責任な隣人やネットで通りすがりに見た当事者意識がない人間からのこころない発言や文字で打ちひしがれる人は多く居るのは悲しい現実です。批判する側は何に怒っているのか?察するに「オレが毎日苦労して稼いでいるのに、障害者の奴らは楽してお金もらってやがる」という感じでしょうかね?楽はしておらんのです。毎日シンドイ思いをしているのですからね。以前、障害者の当事者会でとある障害当事者から年金受給者への質問で「年金をもらっていることに後ろめたさはありますか?」。障害者間で共有出来る思いなんですね。その質問への答えは「私は十数年働いて厚生年金を支払っていたので、もらっても後ろめたさはありません」。この答えも私から言わせていただくと年金受給をしている全ての障害者をフォローしているとは到底言いがたい。「働いた経験が無い人の救い」にはなっていない。
一方、法律がどうなっているかわかりませんが、とあるYouTubeで人気のある?方は十分な収入があっても障害者年金を受給しています。これについてはご本人が受給をし続けている理由をYouTube内で仰っています。抜粋した中か印象的だった一つを上げますと、「収入が上がって年金受給を必要としなくなった際に『この収入を維持しなければならない』というプレッシャーから精神的な負担になりかねない」。いつでも安心して落ちることができる、といってはおかしいけども楽に仕事を続けられるセーフティーネットを維持し続けることが大事と言うことなんだと思いますが、なんらかの障害を抱えている人は、いつ持っている障がいが重くなって、また働ける状態でなくなる可能性を抱えて生きています。このことを理解できれば現在の生活に支障がない程度の収入があるのに年金を受給し続ける理由が理解できるかと思います。
ここで私がさらに言いたいのは「障害年金+生活保護の二階建て」という仕組みがないことです。例えば生活保護を13万円(家賃など込み)受給している人がいて、障害年金を5万円受給している人は13万円+5万円=18万円とはならない。生活保護は全ての収入の上限を設定しいるので、この場合上限は13万円ですので13万円-5万円=8万円が生活保護費になるわけです。受給側の手取りは13万円のままというわけです。これではいつまで経っても生活保護は脱することは出来ないことはお解りいただけるかと思います。ことに亡くなった安倍元首相は生活保護に対して厳しい姿勢を取っていたので、前政権の菅前首相、現政権の岸田首相もこの姿勢を崩していません。また、司法も判決にムラはありますが生活保護に対しては政権の言いなりという形です。一部、違憲という判決もありますが減額分を生活保護受給者や過去に受給していた方々への追加支給は認めていません。これほど国民に向き合っていない国家の仕組みはありません。
障害年金に理解がない市井の人間からはバッシングを受け、行政からも司法からも追い出しを喰うのは、さらに障害者の立場を不利にするものはないと考えています。

異論、反論、賛同お待ちしております。










異形の仲間たち見聞録 「自殺の時期」

2023年03月04日 15時26分23秒 | 異形の仲間たち見聞録
穏やかでない題名です。
今日は3月4日です。季節は変化していきながら春になろうとしています。その「変化」ですが『気温・気圧』は健常な方でも体調を崩しがちです。精神に疾患がある方などは、さらに敏感以上過敏で気分の浮き沈みが激しくなります。他の方を見ていると気分が沈んで「決めた!」となると明るくなって、数日後には自死行為をするのを数人見てきました。未遂で終わればいいのですが、当人たちが「確実に…」と思う方法の一つが電車への飛び込みです。私が通勤に使っている電車も「人身事故により、ただいま運休しております/遅延しております」というアナウンスやアプリに登録してある別の路線も同様の案内があったりします。この春先という時期は多く、また夏から秋に換わる時期などもそうです。先ほど言ったように『気温・気圧』の変化が激しい時期で、秋にかけては台風の接近が多く体調の変化で低気圧や台風の接近が解る方も少なくありません。だからといって「自分で気をつけてください!」なんていってもなんの効果もありません。

では、隔離する?薬を多く盛る?話し合いの場、コミュニケーションを多く取る?

様々な方法があると思いますが、どうでしょうか???
自死行為に至る気持ちの過程で当事者以外の人間がどの程度の事が出来るのか?タイミングや接する人でも大きく変わってくると思いますが、私が数人見てきた中で感じるのは『それほど効果が無い』と思います。でも手に手を尽くしたい。「自死行為に至る気持ちの過程」の入り口の手前で何とかしたい。その道に踏み込んでしまうと引き返してもらうのは難しい…。
未遂になればいいのですが。
著名なカウンセラーや医師の多くは成功例しか見せない、残念な結果は書かない事が多い。または漠然とした手法、応用が付かない各論など。
著名な精神科医の方はメディアの露出を控えて「へき地医療」に転向した方もいます。なにか疑問に感じたのかも知れません。携わっている全ての人達は最悪の結果にならないように試行錯誤し続けなければならない。私はどの分野のいわゆる『プロ』と言われる人間が職場で愚痴り始めると「お前商売でやってるんだろ!ちゃんとやれ!!」と毒づいたります。(言っちゃダメですよ)「プロならプロとしての誇りを持って携わっていただきたい」という気持ちなんです。疾患当事者は自分の疾患の「プロ」なのでしっかりと耳を傾けてオーダーメイドの関わり方を編み出して欲しいと思います。

今日はちょっとキツ目かな…。



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異形の仲間たち見聞録 「部屋を片付けられない人」

2023年01月10日 11時14分30秒 | 異形の仲間たち見聞録
ふと思ったのですがカテゴリーの名前が「異形の仲間たちとの見聞録」になってますが、「見聞録」というより「交遊録」した方がいいのかな?と思いました。ご意見があればコメントください_(._.)_

・・・さて、間隔がずいぶん空いてしまいましたが、久しぶりに書きます。
私が会った「異形の仲間たち」のほとんどが『部屋を片付けられない人』でした。ご多分に漏れず私もそうです。何人か見ていると、いくつかのパターンがあるようです。今回は二つだけあげてみます。

うつ系」・・・症状が酷いと倦怠感が強くて自宅でほぼ寝込んでいて、そもそもやる気どころか、その元気も無い。外ではそこそこ活動できても自宅、自分の部屋は「休むところ」なので、帰宅するとバタンと倒れるように横になってしまう。こうなると家事全般出来ない人が多く、ゴミ捨てもままならず「ゴミ屋敷化」してしまうパターンが多い。これは症状が軽減するのを待たなければならず、数年・十数年かかる可能性があり、もしくは生涯そのままというパターンは多いと思います。ヘルパーに来てもらったり、親族が時々来て片付ける。という支援が必要です。ほとんどの人は「これではいけない」と思いつつ手が付けられない事が多い。しかし、ヘルパーや下手をすると医師などから「怠けているだけ」というレッテル貼りする方も少なくありません。

発達障害系(若干の知的障害の可能性あり)」・・・片付けたい意識はあるが出来ない。子供の頃から部屋は散らかっている傾向があって、これまた「ゴミ屋敷化」になっているパターンも多い。こだわりが強い分野「ペット」「収集癖」に関しては積極的に行動するが関心の薄い「炊事洗濯」などは手を付けない。自身は問題意識が薄く「そのままでも別に構わない」という感じが見受けられる。これは「うつ系」と大きな違いだと思う。意識付けやSSTなどで改善できるのか?チェックリストなどを作り行動をパターー化してやってみる価値はありそう。…などなど

やる気はあるが、倦怠感が強くて出来ない
部屋にゴミがあるけど、慣れれば居心地は悪くない
この違いは大きい。
支援する方は当事者の意識や症状を踏まえて寄り添って欲しいと思います。『当事者意識を持つ』ということです。













異形の仲間たち見聞録 「自傷行為をする彼/彼女たち」

2022年11月03日 19時04分50秒 | 異形の仲間たち見聞録
『自傷行為』と聞いて、まず思い出すのは「リストカット」だろう。私が会って事のある人でいうと「リストカット」「自分で自分の首を絞めてしまう行為」「首を吊ろうとする/吊る」「過食/拒食」など。多くは「本当は死のうとは思っていないがそれをやると気分が楽になる」という人が多い。「首を吊ろうとする/吊る」は『死のうとする覚悟』の割合が多いように思います。私が関わった人でも「首を吊ろうとする」行為を繰り返した人がいた。何度も試みてその度に脚立を買うという周りから見ると不思議なことをしていて、「いっぱいあるからひとつあげようか?」といわれたことがあった。結局その方は自宅とは別のところで『縊死』を遂げてしまった。(過去記事にあるはず・もしくは「うつせみ和尚のお説教」の中か?)その時、本当に自殺を遂げたかったのかは今となっては分からないが、なんともやるせない気持ちになった。
 今回の『自傷行為』は『自殺行為』とは区別したい。「自傷行為」は彼/彼女たちの「ストレスのはけ口」昨今は「心の叫び」なんていう言い方もありますが、「自分のことを分かって欲しい」という一面もある。どちらにせよ「あやまって亡くなってしまう」ということもある。危険な行為ではあるが本人達にとっては「こうやることの他に選択肢がない」と思い込み?があるように思いますが、なかなか一歩下がって見ることは出来ない。これまた私の接してきた人の中ですが「リストカット」「拒食」が止まった人がいる。
 「リストカット」の人は家族関係で心に傷を持つことになって「自傷行為」を繰り返してきた。本人に寄れば「親からの虐待があった」と訴えて、実家を飛び出したが家族と連絡を取ると過呼吸になったり、想像しただけでも過呼吸になるのも見たことがあります。また「リストカット」をしたりと一時期は症状が激しく出ていた。私と知り合ったときは、その激しい時だったのでそのような人と会うのは初めてだったので言葉も出ない時もあった。専門家のコラムや行政機関のHPなどを見ると「止めることを強制してはならない」など書かれているが、そのようにするしか手がないというのが現状のようだ。家族関係で自傷行為を繰り返した人は紆余曲折があったのちに現在は家族との和解が出来たようで症状は収まっているようです。その間、入院や薬物療法、カウンセリングを行ってきたことは知っているし、実際にその間も密に連絡を取っていたが私が近くで見ていた限りにおいては成果はなかった様に思う。中には「家族から虐待にあったのは虚言だ」ということを言う人もいて医療者、支援者としての取り組みなどを考えさせられた。
 「拒食症」の人は家族の中で孤立していると考えたり、兄弟姉妹とのコンプレックスで「拒食」になって私が会ったときはやせ細っていて、その時も私は「拒食症当事者」と会ったのも初めてだったので非常にショックでした。勉強熱心で今思うに自分を追い詰める傾向のある人なんだと思います。非常に努力家で国家資格も働きながら複数取得したりしてそばで見ていて「オレには出来ない」と思いました。
 「自分を追い詰める」「追い詰められたと思う」ことで様々な心の不調になって「自傷行為」になって考えも狭くなってなかなか抜け出せない抜け出すことが難しい状態になる。私自身もそのような状態になって「過食」「多量飲酒」「希死念慮」さまざまな事があって苦しみました。自分を客観視できるようになったのはつい最近です。…といっても「つまづき」があればまた同じ『穴』に落ち込んでしばらくはまったままになることもしばしばです。「寛解」という言葉がありますが、いつどんなときも「穴にはまる」ということと背中合わせで危うい生活を送っていることが「寛解」という言葉の意味です。その言葉の真意が健常者にはなかなか理解が出来ないは厳しい現実です。そのようなギャップが医療・支援側からの何気ない一言に当事者が右往左往してしまうのです。当事者の理解をしようとやっきになる専門職・医療職また当事者が当事者を知ろうとすることもありますが『100%はムリよ』というこいとを前提としないと支援する側が徒労にくれますから「とりあえずここまで知ることが出来た、もう少し分かるかな?」という程度のスタンスがよろしいかと思います。大上段に構えるのは自分を追い詰めることにもなりますので…。また支援を受ける側もあまり期待せずに期待するという程度。相手に丸抱えを期待しないということが肝要かと思います。丸抱えしてもらえないと思ったときの落胆は厳しいので…。
 自分を追い詰める・追い詰めてしまうという事までに至るには厳しい過程があってのことです。少しでも肩の荷物を軽くして生きたいもんです。「人に頼る」ことをためらわずにすることが一番の近道です。
難しいけどね。(それが出来れば病んでねぇよって)