逗子市・・・「海岸での音楽禁止の条例化」とな?
以下は≪東京新聞:2013年11月12日≫より
海水浴場対策 逗子市、全国で例のない規制
http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20131112/CK2013111202000121.html
海水浴場の健全化に取り組んでいる逗子市は十一日、県や県警との安全対策協議会で、海岸での音楽全面禁止をはじめ、飲酒や入れ墨、バーベキューなどについて、条例や規則で厳しく規制する方針を説明した。来夏から実施の予定だが、海水浴場でこうした先例はなく、全国で最も厳しい規制となる。同様の事情を抱える鎌倉市など、近隣自治体に影響を与えそうだ。 (斎藤裕仁)
市によると、条例で砂浜など海水浴場全域でラジカセや拡声器などで音楽を流すことを禁止。海の家ではクラブイベントや生演奏、音響機器を使った放送も規則で禁止し、全面禁止とする。
藤沢市の片瀬海岸西浜海水浴場は今夏、海の家での音楽を禁止して効果があったが、これは海の家の運営組合による自粛。逗子市は、一段と厳しい条例による規制に踏み込む。
飲酒とバーベキューも、海の家以外の砂浜では条例で禁止。入れ墨の露出も条例で禁止し、違反者には警備員が指導や勧告を行い、従わないと市が中止、退出命令を出す。条例に罰則規定は設けないが、市は勧告や中止命令で実効性はあるとみている。
海の家の営業時間も今夏は午後八時半だったが、来夏は二時間繰り上げ、同六時半にする。海の家での適度な飲酒、バーベキューの安全管理などは、市と県、県警でまとめる運営方針で具体的に規定する。
今回の対策は、七月に暴力団員らの殺傷事件が起きるなど、逗子海水浴場の治安悪化や風紀の乱れを受けた措置。市は十六日に市民説明会を開くほか、市民から意見を聴くパブリックコメントを実施して条例案をまとめ、来年二月の市議会に提案する。
平井竜一市長は「治安の悪化は危機的な状況。日本一厳しい条例で、利用客の減少は避けられないが、逆に安全で落ち着いた、快適な海水浴場を求める多くの人に来てほしい。ピンチをチャンスに変え、全国に誇れる条例にしたい」と健全化に意欲を示した。
さてこれはどういう状況か。
音楽に対する逆恨みなのか、目的と手段との整理を誤っているというか、逗子市は随分と幼稚な条例案を出してきたものだと思う。
要するに、騒音がうるさいとか、時間帯を問題にしているのではなく、規制をしたい側は、公共財である海岸・海水浴場を、特定の層だけに利益を与えるような施設運用にしたいという目論みなのだと思う。勿論、憲法論からいっても、表現の自由や行動の自由も野放しであってはならず、絶えず人権の衝突の調整はしなければならない。その意味で利益調整のためのルールは必要であって、一方だけが自由を謳歌しているのに、もう一方が我慢を強いられている状態は修正されなければならない。 その意味では、確かに公物の管理権限は為政者にあるのだが、しかしそれは私有物の所有権ではなく、国民全体から委任された公物(その中でも一般の利用に供すべき公共用物)の管理権限である。なお少々深読みすると、元々神奈川県が有していた占有利用の許認可権限だが、これが古くから利権化していたということはないのであろうか。
また、県はこれまで「市町村は海岸利用については権限を有しない」としていたところを急転「逗子市から提案された『安全で快適な逗子海水浴場を取り戻すための6項目の考え方』(下記参照:)の6項目、飲酒、BBQ、入れ墨・タトゥー、音楽、営業時間、水上バイクについて、県は逗子市の自治事務となるので市の判断でやることであり尊重する」との回答だした。運用について、逗子市にほぼ丸投げしたわけであるが、行政委任・受任の関係であろうか?、それも許可に係る主要部分である。だとすれば、県は法源を明らかにされたい。
参照:「安全で快適な逗子海水浴場を取り戻すための6項目の考え方」
http://yaplog.jp/shunichi-k/image/1389/293
あと「海岸法」は下記(5条関係/知事と市町村長との関係は同条6項)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S31/S31HO101.html
しかし、それとこれとは違うと考えられる。即ち、為政者の理に適った一部の層を積極的に誘致しておきながら、他のある層の利用者を制限するか、若しくはその行動を教化矯正して、行動を変更させようとすることだと言える。そうだとすると住民福祉に供しているとは言えないし、これによって行き着くところは、当該施設を、一部の利用者と利害関係人(の中の選挙権を有する者や、集客・商売道具として)の趣味志向に合わせた、為政者のための集票装置に変容させることも可能となろう。
とにかくこういう趣味の問題で公物管理権・警察権の使い方は如何なものか。
嘗ての〝歌舞音曲の者入村すべからず〟の現代版ということだ。
そもそもレジャーは規制にはなじまない「私事」であるし、(行動の自由の範疇・・・もちろん前述の通り、権利衝突には調整は必要であるから、発せられる音=騒音の規制はすべきではあるが)、これではまるで収監者扱いである。
この次は → 自治体内に入るときの持ち物や服装の規制 → 市中で分布する際の刊行物の事前検閲、ということになるのかもしれない。逗子市では。
あ、あと、海に向かって「バカヤロー」と叫ぶのはどうなの?、生声ならOK?
この逗子市の行動から、我々は、最も民主的な方法によって、民主制の源である自由を奪うこともできるということを再認識しなければならないと思う。
なお、逗子市のパブコメ用の資料に改正案のたたき台が乗っているので参照されたい。
http://www.city.zushi.kanagawa.jp/global-image/units/60674/1-20131121143703.pdf
該当HP
http://www.city.zushi.kanagawa.jp/syokan/keizai/umi/p05159.html
それから、本来、都道府県が有する海岸利用の権原(処分権や管理権限)と、市が規制出来るとする権限の法的関係も明らかにされるべきだ。騒音防止や迷惑防止一般の条例とは全く異なる、狙い撃ち(それも相当な不意打ち)なのであるから。
≪追記≫・・ところで、下記のような自民党石破氏の発言も、単なる趣味の問題として片づけられそうにないと思われる(本人は自分の趣味として語ったのだろうが、好き嫌いなら格別”テロとと同質”発言は非常識を超えて不当である。以下氏のブログ
http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-18a0.html から引用・・
・・「今も議員会館の外では「特定機密保護法絶対阻止!」を叫ぶ大音量が鳴り響いています。いかなる勢力なのか知る由もありませんが、左右どのような主張であっても、ただひたすら己の主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為は決して世論の共感を呼ぶことはないでしょう。主義主張を実現したければ、民主主義に従って理解者を一人でも増やし、支持の輪を広げるべきなのであって、単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます。」・・・というもの。
さて、デモンストレーション(あるいはその方法の一部が)が違法だというのならともかく、叫ぶことが”テロと同質”という、この感覚こそがそもそも間違え。主義主張はそれを主張した人間が生きているうちに世間から支持を得られるとは限らないことを歴史から学ぶべきである。人間は主義主張があれば、たとえ現在の支持が得られなくとも叫びたいのなら叫ぶべきだ。
逗子市の海岸も一定の規制(例えば「多数の公衆が集まる屋外公共的施設における騒音規制条例」とか「目的外行為の禁止条例」とか)は必要だが、しかし最小限の行動の自由は支持が得られなくともやらせるべきだと思う。
≪追記の追記≫上記に関して、・・・自民党の石破茂幹事長は2日午前、11月29日付の自身のブログで特定秘密保護法案に反対する市民団体らの絶叫調のデモを「テロと本質的に変わらない」と批判した部分について、「本来あるべき民主主義の手法とは異なる」という文言に訂正し、謝罪した。(毎日新聞)・・・と言うことだそうだ。
以下は≪東京新聞:2013年11月12日≫より
海水浴場対策 逗子市、全国で例のない規制
http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20131112/CK2013111202000121.html
海水浴場の健全化に取り組んでいる逗子市は十一日、県や県警との安全対策協議会で、海岸での音楽全面禁止をはじめ、飲酒や入れ墨、バーベキューなどについて、条例や規則で厳しく規制する方針を説明した。来夏から実施の予定だが、海水浴場でこうした先例はなく、全国で最も厳しい規制となる。同様の事情を抱える鎌倉市など、近隣自治体に影響を与えそうだ。 (斎藤裕仁)
市によると、条例で砂浜など海水浴場全域でラジカセや拡声器などで音楽を流すことを禁止。海の家ではクラブイベントや生演奏、音響機器を使った放送も規則で禁止し、全面禁止とする。
藤沢市の片瀬海岸西浜海水浴場は今夏、海の家での音楽を禁止して効果があったが、これは海の家の運営組合による自粛。逗子市は、一段と厳しい条例による規制に踏み込む。
飲酒とバーベキューも、海の家以外の砂浜では条例で禁止。入れ墨の露出も条例で禁止し、違反者には警備員が指導や勧告を行い、従わないと市が中止、退出命令を出す。条例に罰則規定は設けないが、市は勧告や中止命令で実効性はあるとみている。
海の家の営業時間も今夏は午後八時半だったが、来夏は二時間繰り上げ、同六時半にする。海の家での適度な飲酒、バーベキューの安全管理などは、市と県、県警でまとめる運営方針で具体的に規定する。
今回の対策は、七月に暴力団員らの殺傷事件が起きるなど、逗子海水浴場の治安悪化や風紀の乱れを受けた措置。市は十六日に市民説明会を開くほか、市民から意見を聴くパブリックコメントを実施して条例案をまとめ、来年二月の市議会に提案する。
平井竜一市長は「治安の悪化は危機的な状況。日本一厳しい条例で、利用客の減少は避けられないが、逆に安全で落ち着いた、快適な海水浴場を求める多くの人に来てほしい。ピンチをチャンスに変え、全国に誇れる条例にしたい」と健全化に意欲を示した。
さてこれはどういう状況か。
音楽に対する逆恨みなのか、目的と手段との整理を誤っているというか、逗子市は随分と幼稚な条例案を出してきたものだと思う。
要するに、騒音がうるさいとか、時間帯を問題にしているのではなく、規制をしたい側は、公共財である海岸・海水浴場を、特定の層だけに利益を与えるような施設運用にしたいという目論みなのだと思う。勿論、憲法論からいっても、表現の自由や行動の自由も野放しであってはならず、絶えず人権の衝突の調整はしなければならない。その意味で利益調整のためのルールは必要であって、一方だけが自由を謳歌しているのに、もう一方が我慢を強いられている状態は修正されなければならない。 その意味では、確かに公物の管理権限は為政者にあるのだが、しかしそれは私有物の所有権ではなく、国民全体から委任された公物(その中でも一般の利用に供すべき公共用物)の管理権限である。なお少々深読みすると、元々神奈川県が有していた占有利用の許認可権限だが、これが古くから利権化していたということはないのであろうか。
また、県はこれまで「市町村は海岸利用については権限を有しない」としていたところを急転「逗子市から提案された『安全で快適な逗子海水浴場を取り戻すための6項目の考え方』(下記参照:)の6項目、飲酒、BBQ、入れ墨・タトゥー、音楽、営業時間、水上バイクについて、県は逗子市の自治事務となるので市の判断でやることであり尊重する」との回答だした。運用について、逗子市にほぼ丸投げしたわけであるが、行政委任・受任の関係であろうか?、それも許可に係る主要部分である。だとすれば、県は法源を明らかにされたい。
参照:「安全で快適な逗子海水浴場を取り戻すための6項目の考え方」
http://yaplog.jp/shunichi-k/image/1389/293
あと「海岸法」は下記(5条関係/知事と市町村長との関係は同条6項)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S31/S31HO101.html
しかし、それとこれとは違うと考えられる。即ち、為政者の理に適った一部の層を積極的に誘致しておきながら、他のある層の利用者を制限するか、若しくはその行動を教化矯正して、行動を変更させようとすることだと言える。そうだとすると住民福祉に供しているとは言えないし、これによって行き着くところは、当該施設を、一部の利用者と利害関係人(の中の選挙権を有する者や、集客・商売道具として)の趣味志向に合わせた、為政者のための集票装置に変容させることも可能となろう。
とにかくこういう趣味の問題で公物管理権・警察権の使い方は如何なものか。
嘗ての〝歌舞音曲の者入村すべからず〟の現代版ということだ。
そもそもレジャーは規制にはなじまない「私事」であるし、(行動の自由の範疇・・・もちろん前述の通り、権利衝突には調整は必要であるから、発せられる音=騒音の規制はすべきではあるが)、これではまるで収監者扱いである。
この次は → 自治体内に入るときの持ち物や服装の規制 → 市中で分布する際の刊行物の事前検閲、ということになるのかもしれない。逗子市では。
あ、あと、海に向かって「バカヤロー」と叫ぶのはどうなの?、生声ならOK?
この逗子市の行動から、我々は、最も民主的な方法によって、民主制の源である自由を奪うこともできるということを再認識しなければならないと思う。
なお、逗子市のパブコメ用の資料に改正案のたたき台が乗っているので参照されたい。
http://www.city.zushi.kanagawa.jp/global-image/units/60674/1-20131121143703.pdf
該当HP
http://www.city.zushi.kanagawa.jp/syokan/keizai/umi/p05159.html
それから、本来、都道府県が有する海岸利用の権原(処分権や管理権限)と、市が規制出来るとする権限の法的関係も明らかにされるべきだ。騒音防止や迷惑防止一般の条例とは全く異なる、狙い撃ち(それも相当な不意打ち)なのであるから。
≪追記≫・・ところで、下記のような自民党石破氏の発言も、単なる趣味の問題として片づけられそうにないと思われる(本人は自分の趣味として語ったのだろうが、好き嫌いなら格別”テロとと同質”発言は非常識を超えて不当である。以下氏のブログ
http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-18a0.html から引用・・
・・「今も議員会館の外では「特定機密保護法絶対阻止!」を叫ぶ大音量が鳴り響いています。いかなる勢力なのか知る由もありませんが、左右どのような主張であっても、ただひたすら己の主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為は決して世論の共感を呼ぶことはないでしょう。主義主張を実現したければ、民主主義に従って理解者を一人でも増やし、支持の輪を広げるべきなのであって、単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます。」・・・というもの。
さて、デモンストレーション(あるいはその方法の一部が)が違法だというのならともかく、叫ぶことが”テロと同質”という、この感覚こそがそもそも間違え。主義主張はそれを主張した人間が生きているうちに世間から支持を得られるとは限らないことを歴史から学ぶべきである。人間は主義主張があれば、たとえ現在の支持が得られなくとも叫びたいのなら叫ぶべきだ。
逗子市の海岸も一定の規制(例えば「多数の公衆が集まる屋外公共的施設における騒音規制条例」とか「目的外行為の禁止条例」とか)は必要だが、しかし最小限の行動の自由は支持が得られなくともやらせるべきだと思う。
≪追記の追記≫上記に関して、・・・自民党の石破茂幹事長は2日午前、11月29日付の自身のブログで特定秘密保護法案に反対する市民団体らの絶叫調のデモを「テロと本質的に変わらない」と批判した部分について、「本来あるべき民主主義の手法とは異なる」という文言に訂正し、謝罪した。(毎日新聞)・・・と言うことだそうだ。