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円高

2011年08月12日 04時01分06秒 | ハチパパのひとり言

猛烈な円高と世界同時株安。今回の経済・金融不安は根深い。立ち直るまでに相当長い期間がかかるだろう。輸出産業の打撃は大きく、個人資産の目減りも大きい。デフレと低金利はまだまだ続く。銀行や郵貯などの金融機関は、定期預金を売るより投資信託を売る時代。株価の下落は元本割れを生じ、経済不安は生活不安ともなり、消費低迷はなお続く。景気の悪循環である。 

円高、円安の意味は、連日マスコミが伝えるとおり、一般の人にもよく知られるようになった。外貨に対して円の価値が高いとか低いということである。特に、世界の基軸通貨と言われる米ドルと欧州通貨ユーロに対して日本円はいくらかという報道が毎日時々刻々わかる時代である。円高になれば輸入品が安く買える、海外旅行に安く行けるなどというのはもはや常識になっているし、自動車産業などの輸出企業は、1円円高になると100億円損をする企業もある。輸出代金をドル建てにしているからで、円建てにしていれば損失はないということになるが、大国アメリカのドル建てがほとんどである。

私は現役時代、銀行の外国為替の仕事の経験が10年以上あるが、一時大手楽器会社の輸出手形買取業務をしていたころ、時々刻々変わる為替相場に神経を集中させていたのを思い出す。たとえば100万ドルの輸出手形を買い取る場合、すぐにドルを円に変えるため、外国為替担当本部に架電して、インターバンク仲値に原則1ドル1円の売買益を加減したレートで日本円に換算する。これは両替や海外送金も同じ仕組みである。このため、電話を失念したりして為替相場が急速に円高になると、日本円の金額が大きく減るために取引先に迷惑をかけることになり、損害賠償を請求されてもおかしくない事態になる。100万ドルで1円円高になれば100万円の損失になるというわけである。ちなみに、外国為替相場というのは、株式のように証券取引所なるものがあるわけでもなく、今では呼称が変わっているかもしれないが、当時はテレホンマーケットといって電話による通貨の売買を行っていた。

私が在籍していたのは信託銀行で、高度経済成長期には「財務のデパート」として、金融・証券・年金・不動産業務など多岐な業務を行っていた。昭和40年代の主力商品は貸付信託で、国の基幹産業である電力、鉄鋼などの設備投資資金に運用されていた。受益者は預金者で、半年ごとに収益分配金を受け取ることも出来て、金利は変動するが当時は年7.37%。1000万円で半年ごとに368500円、1年で737000円もの利息をもらえたのである。ちなみに当時の貸付信託は、収益分配金を複利で運用すると、元金1000万円が10年で2倍になった。

現在の定期預金は年0.3%、1000万円でわずか年30000円の利息である。昔の定年退職者は、退職金の運用金利で旅行や買い物が出来た。消費をするから企業も潤い、税収にも好影響となる。金は天下の回りものと、個人の貯蓄を消費に回さないと、国内景気は一向に良くならない。そうかといって、私みたいに消費ばかりで貯蓄がないのでは、老後不安が残るばかりである。

 



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