私、水廼舎學人です

久保憲一のプライベートな世界。なんでもありです。

後日談 吉元将軍 

2009年03月11日 | 海外
以前、吉元将軍像が帰還された話をこのブログに書きましたが、実は若干、後日談もあるのです。
台湾・白馬将軍廟の堂守、郭海寮さんから代筆者の林王秀蓮さんを通じて便りが届きました。これももはや8年前のことになりますが。





久保様

日本語を解しない郭海寮さんの依頼でこの手紙を頼まれて早や四~五月過ぎてしまいました。“ほんとに御免なさい” 卓上の文献に紛れて忘れていたところ“ふるさとの訛なつかし”が目に付き、おもしろくよんでいたら忘れた御あいさつを思い出しペンを取りました。慶隆廟の御縁で吉元将軍を御国に仮の現象で帰国できたこと共に喜びたいと思ひます。 私も蔭ながら廟の興建に力を出した一人ですが“人道的にもあまたの遺骨を整理して中山國中(昔の台南二高女)の雨天体育場校庭に埋めた当時の役人の粗什さにあきれます。 私もその校庭で四年間終戦迄勉強した一人です。霊的なことは解りませんが放課後運動部(場)の後始末には足の踏み入れを拒む霊気が立っていたことは私の経験でした。一世紀近く校庭に埋もれた牛車十三台分の南門城外の骨と今廟に入る向ひ即ち復興國中の門前と結ぶ線で発掘された骨は頭なし腕なしの数々共に廟に収めています。 人道的立場で私は銭を出しました。 今、郭さんは無償でセッセッと朝晩の焼香につとめています。御著作は私が代りにいただいてたのしませていただいて居ります。簡単ですが“確かに受け取りました ありがとうございました”を代筆させていただきました。お元気で‥‥‥‥    王秀蓮
             ※“ふるさとの訛なつかし”は私の父(久保良任)著の方言集。





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