上野動物園にて
本書は昭和9年頭山満の金婚式を記念して編纂され、翌10年、当時の「大日本雄弁會講談社」から出版されたものである。
数年前、ある人から
「私が持っているより、先生が持っていてくれた方が相応しい」とて、私の手に渡った。まさにご神縁である。
それはどうかわからないが、私に祖国・日本への何か「使命」を託されたような気がしてならない。
奥付
がっしりした箱に入り、すばらしき紙質・装丁で、当時でもとても高価な書物であったであろう。
復刻版
復刻本でさえ相当の値である。 呉竹会HPより
しかし、読めば読むほどそのスケールのでかさに舌を巻く。
れんだいこ氏のHPより
http://www.gameou.com/~rendaico/kuromakuron/toyama.htm
呉竹会HPより
頭山満翁は、わが国の近代・現代史に数々の足跡を残した人物でありながら、一般にはあまり知られることがない。その理由は、翁が枠に収まり切らない人であったからであろう。
翁は、勤王、自由民権、条約改正とさまざまな運動を先導して来たが、理を語るのみの思想家たることを潔しとせず、徹底して行動の道を歩んだ。その後の馬賊軍を率いての日露戦争への参戦、孫文やラス・ビハリ・ボースら革命家の支援に至っては、思想を超えて精神の発露と時代の要求のままに行動している。
また、公的な組織には属すことなく、自らが興した玄洋社も一人一派的な集団であったことを思うと、基本的な身分は常に私人であったといえる。蒋介石との和平工作も、東久邇宮が私人頭山満を頼みとして企図されたのである。
しかし、表舞台に立つことなく自由に振る舞う故か翁には謎めいた印象がつきまとい、「右翼の大物」「影の実力者」 等と呼ばれたりもするが、もちろんそれは頭山満の正当な姿を伝えるものではない。
翁の呼称をあえて求めるなら、頭山満は一人の人間であり、日本人であった。
翁への誤解を一掃し、是は是、非は非としてありのままの人物像を見つめることは、歴史への理解を深めるばかりでなく、未来の日本と日本人像を探る上での大いなる一助となると確信するものである。
広田弘毅の題字
‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥
「頭山満翁写真傳」の一ページ目には、これまた当時の重要人物による「頭山満」評が載せられている。これらの評から窺うに、頭山満のスケールの程がわかるというもの。
【一】 矍鑠(かくしゃく)たる頭山翁の厳姿
昭和九年八月十一日撮影(翁八十歳)、茲に近世偉傑の頭山観を録して廬山の面目を窺ふの資とする。
頭山立雲翁八面観
三浦観樹将軍曰く………頭山といふ男は、チヨツト見透しのつかぬ男ぢや。俺が一生懸かつて勉強した所を、彼は生まれながらに之を備えて居る。彼は話しのわかる任侠な國士ぢや。それを伊藤(博文)や井上(馨)が無暗に恐ろしがつたのはをかしい。
大隈重信候曰く…………頭山は、ドコガエライといふ掴みどころのない所に何だか大きな所がある。
松方正義公曰く…………頭山さんはスルメを噛むやうに、噛めば噛むほど味のある人物ぢや。
西郷従道候曰く…………頭山を口説いて俺ドンさへ口説き損なつた。あれは俺ドンよりやヨツポド上は手ぢや。
副島種臣伯曰く…………頭山君を元亀天皇の頃に生れしめたなら天下を蓆の如く捲いたであらう。支那で云へば漢の高祖劉邦がかういふ風な人物ぢやつたらう。
鳥尾得庵将軍曰く………頭山は禅をやつたことはないさうじやが、あれに法衣を着せればそのまま立派な管長じや。
東郷平八郎元帥曰く……頭山といふ人は何しろ輪郭の大きな人ぢやネー。
中江兆民居士曰く………頭山満君大人長者の風あり、今の代、古の武士道を存して全きものは獨り君あるのみ。
本書は昭和9年頭山満の金婚式を記念して編纂され、翌10年、当時の「大日本雄弁會講談社」から出版されたものである。
数年前、ある人から
「私が持っているより、先生が持っていてくれた方が相応しい」とて、私の手に渡った。まさにご神縁である。
それはどうかわからないが、私に祖国・日本への何か「使命」を託されたような気がしてならない。
奥付
がっしりした箱に入り、すばらしき紙質・装丁で、当時でもとても高価な書物であったであろう。
復刻版
復刻本でさえ相当の値である。 呉竹会HPより
しかし、読めば読むほどそのスケールのでかさに舌を巻く。
れんだいこ氏のHPより
http://www.gameou.com/~rendaico/kuromakuron/toyama.htm
呉竹会HPより
頭山満翁は、わが国の近代・現代史に数々の足跡を残した人物でありながら、一般にはあまり知られることがない。その理由は、翁が枠に収まり切らない人であったからであろう。
翁は、勤王、自由民権、条約改正とさまざまな運動を先導して来たが、理を語るのみの思想家たることを潔しとせず、徹底して行動の道を歩んだ。その後の馬賊軍を率いての日露戦争への参戦、孫文やラス・ビハリ・ボースら革命家の支援に至っては、思想を超えて精神の発露と時代の要求のままに行動している。
また、公的な組織には属すことなく、自らが興した玄洋社も一人一派的な集団であったことを思うと、基本的な身分は常に私人であったといえる。蒋介石との和平工作も、東久邇宮が私人頭山満を頼みとして企図されたのである。
しかし、表舞台に立つことなく自由に振る舞う故か翁には謎めいた印象がつきまとい、「右翼の大物」「影の実力者」 等と呼ばれたりもするが、もちろんそれは頭山満の正当な姿を伝えるものではない。
翁の呼称をあえて求めるなら、頭山満は一人の人間であり、日本人であった。
翁への誤解を一掃し、是は是、非は非としてありのままの人物像を見つめることは、歴史への理解を深めるばかりでなく、未来の日本と日本人像を探る上での大いなる一助となると確信するものである。
広田弘毅の題字
‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥ ‥‥‥‥‥‥
「頭山満翁写真傳」の一ページ目には、これまた当時の重要人物による「頭山満」評が載せられている。これらの評から窺うに、頭山満のスケールの程がわかるというもの。
【一】 矍鑠(かくしゃく)たる頭山翁の厳姿
昭和九年八月十一日撮影(翁八十歳)、茲に近世偉傑の頭山観を録して廬山の面目を窺ふの資とする。
頭山立雲翁八面観
三浦観樹将軍曰く………頭山といふ男は、チヨツト見透しのつかぬ男ぢや。俺が一生懸かつて勉強した所を、彼は生まれながらに之を備えて居る。彼は話しのわかる任侠な國士ぢや。それを伊藤(博文)や井上(馨)が無暗に恐ろしがつたのはをかしい。
大隈重信候曰く…………頭山は、ドコガエライといふ掴みどころのない所に何だか大きな所がある。
松方正義公曰く…………頭山さんはスルメを噛むやうに、噛めば噛むほど味のある人物ぢや。
西郷従道候曰く…………頭山を口説いて俺ドンさへ口説き損なつた。あれは俺ドンよりやヨツポド上は手ぢや。
副島種臣伯曰く…………頭山君を元亀天皇の頃に生れしめたなら天下を蓆の如く捲いたであらう。支那で云へば漢の高祖劉邦がかういふ風な人物ぢやつたらう。
鳥尾得庵将軍曰く………頭山は禅をやつたことはないさうじやが、あれに法衣を着せればそのまま立派な管長じや。
東郷平八郎元帥曰く……頭山といふ人は何しろ輪郭の大きな人ぢやネー。
中江兆民居士曰く………頭山満君大人長者の風あり、今の代、古の武士道を存して全きものは獨り君あるのみ。
中身は見なくてもよろしいから。