水屋神報 第一八一号
平成十九年七月十三日
当社に残る最も古い棟札 宮 司
当社に残る最も古い棟札には 「大和州阿伽桶庄宮奉加造営之事 願主 太夫三郎国重 大工 紀内太夫
文中二年 発丑九月初八日」と記されています。
ところで文中とはわが国の南北朝時代の元号の一つで、南朝方で使用されました。一三七二年から一三七四年までの期間を指しています。
この棟札の年号の呼び方により、この辺・飯高町は南朝方であったとはっきりします。
そして南朝方が長慶天皇の、北朝方は後円融天皇の治世でした。幕府将軍は足利義満です。
さらに文中二年/応安六年(一三七三年)はどのような年であったのかというと、南朝方では後醍醐天皇の皇子・懐良親王(四五) が九州で奮闘していたものの、 十一月十六日には味方の菊池武光が没し、さらに親王が率いる征西府は、筑後高良山から最後の砦というべき肥後の菊池にさらに後退していますから。南朝方にとっては絶体絶命の窮地に陥っていたわけです。こうした当時の情勢の中、村の人々はどういう願いを込めてこのお社を造営したのでしょうか。
六月三〇日 三宗教のコラボ挙式
ギリシャ・スピッツェス島での結婚式より、手伝いのために同伴させた妹と共に無事帰国しました。
三つの宗教、神道ベースで、ユダヤ教とカソリック教とが仲良く集う画期的で、感動を呼んだすばらしい式でした。
新郎の父上(ギリシャ大手レコード会社のオーナー)所有の豪華クルーザーでアテネからスピッツェス島に渡り、プライベートビーチのある、とてもすばらしい景色の大きな別荘で、約百人のセレブたちが集った結婚式でした。
日産自動車ギリシャ社長も参列されていたそうです。結婚式は親族、友人など親しい人が中心だったそうですが、七月五日のアテネでの披露宴にはビジネス関係者たちの披露宴が行われ、そこで結婚式のビデオが映されたそうです。
東儀秀樹さん演奏のCD雅楽も好評で、式全体に流されました。神道の祭壇の素木(しらき)や注連縄の白色がエーゲ海の青さや芝生の緑に映え、日本から持ち込んだ祭壇についても、何人かに「ビューティフル」と賞賛されました。
ともかく、前代未聞の結婚式でした。これを企画した新郎新婦お二人に拍手を贈りたいと思います。式後も私に「ファンタスティック」「ビューティフル」「サンキュー」の讃辞の嵐でした。中には「私の人生において経験した最高の結婚式だった」という人もいたそうです。
また、我々は、「世界平和」と「水」の大切さを祈り、富士山の水、大和三輪山の水、フランスの水、そして水屋神社の水を一つの容器に溶かし、結婚式の神饌のお水、手水用の水として、そしてエーゲ海にも注いで来ました。
ご報告
○五月十九日、水屋神社は氏子三十名、第六十二回神宮式年遷宮御木曳に参加しました。
暑くもなく、寒くもなく。前日の天気予報では大変心配しましたが、雨は大丈夫でした。そしてお木曳車の前という、写真撮影には絶好のロケーションです。宮司は普段、足を鍛えてないので正直くたびれました。村瀬登総代長も頑張っています。とても幸せな瞬間を味わいました。感謝。
○今年の春日大社へのお水送りは、六月十一日(春日大社旬祭)に行われました。
貞観元年十一月九日より春日大社への奉納を始め、天正五年(一五七七)の兵乱で途絶するまで春日暦印刷用のお水として奉納していましたが、平成十四年に四二五年ぶりに復活して以来、今では春日大社ご本殿をはじめ境内全てのお社に御神水として奉納されています。
○六月十七日(土) 午後六時より 彗星探索家 木内鶴彦講演会が社務所において開催されました。
プロフィール 長野県佐久郡出身。二三才目前、世界で例のない30分もの呼吸、脳波、心臓停止の死亡状態から生還。その後、独自の軌道計算により4つもの彗星を発見し、それら彗星の一つが地球に衝突すると示唆。映画「ディープインパクト」「アルマゲドン」のモデルとなる。彗星探索の他に星の教室で子供たちに星を見せる観望会や、天文や環境問題を説く講演会を各地で行っている。特に光害と環境破壊を強く訴えている。著書に「宇宙の記憶」(龍鳳書房)、「生き方は星空が教えてくれる」(サンマーク出版)がある。
○宮司のブログを開始しました。ご笑覧いただければ幸いです。
「私、水屋神社宮司です」 というタイトル。 http://blog.goo.ne.jp/goo25715/です。
平成十九年七月十三日
当社に残る最も古い棟札 宮 司
当社に残る最も古い棟札には 「大和州阿伽桶庄宮奉加造営之事 願主 太夫三郎国重 大工 紀内太夫
文中二年 発丑九月初八日」と記されています。
ところで文中とはわが国の南北朝時代の元号の一つで、南朝方で使用されました。一三七二年から一三七四年までの期間を指しています。
この棟札の年号の呼び方により、この辺・飯高町は南朝方であったとはっきりします。
そして南朝方が長慶天皇の、北朝方は後円融天皇の治世でした。幕府将軍は足利義満です。
さらに文中二年/応安六年(一三七三年)はどのような年であったのかというと、南朝方では後醍醐天皇の皇子・懐良親王(四五) が九州で奮闘していたものの、 十一月十六日には味方の菊池武光が没し、さらに親王が率いる征西府は、筑後高良山から最後の砦というべき肥後の菊池にさらに後退していますから。南朝方にとっては絶体絶命の窮地に陥っていたわけです。こうした当時の情勢の中、村の人々はどういう願いを込めてこのお社を造営したのでしょうか。
六月三〇日 三宗教のコラボ挙式
ギリシャ・スピッツェス島での結婚式より、手伝いのために同伴させた妹と共に無事帰国しました。
三つの宗教、神道ベースで、ユダヤ教とカソリック教とが仲良く集う画期的で、感動を呼んだすばらしい式でした。
新郎の父上(ギリシャ大手レコード会社のオーナー)所有の豪華クルーザーでアテネからスピッツェス島に渡り、プライベートビーチのある、とてもすばらしい景色の大きな別荘で、約百人のセレブたちが集った結婚式でした。
日産自動車ギリシャ社長も参列されていたそうです。結婚式は親族、友人など親しい人が中心だったそうですが、七月五日のアテネでの披露宴にはビジネス関係者たちの披露宴が行われ、そこで結婚式のビデオが映されたそうです。
東儀秀樹さん演奏のCD雅楽も好評で、式全体に流されました。神道の祭壇の素木(しらき)や注連縄の白色がエーゲ海の青さや芝生の緑に映え、日本から持ち込んだ祭壇についても、何人かに「ビューティフル」と賞賛されました。
ともかく、前代未聞の結婚式でした。これを企画した新郎新婦お二人に拍手を贈りたいと思います。式後も私に「ファンタスティック」「ビューティフル」「サンキュー」の讃辞の嵐でした。中には「私の人生において経験した最高の結婚式だった」という人もいたそうです。
また、我々は、「世界平和」と「水」の大切さを祈り、富士山の水、大和三輪山の水、フランスの水、そして水屋神社の水を一つの容器に溶かし、結婚式の神饌のお水、手水用の水として、そしてエーゲ海にも注いで来ました。
ご報告
○五月十九日、水屋神社は氏子三十名、第六十二回神宮式年遷宮御木曳に参加しました。
暑くもなく、寒くもなく。前日の天気予報では大変心配しましたが、雨は大丈夫でした。そしてお木曳車の前という、写真撮影には絶好のロケーションです。宮司は普段、足を鍛えてないので正直くたびれました。村瀬登総代長も頑張っています。とても幸せな瞬間を味わいました。感謝。
○今年の春日大社へのお水送りは、六月十一日(春日大社旬祭)に行われました。
貞観元年十一月九日より春日大社への奉納を始め、天正五年(一五七七)の兵乱で途絶するまで春日暦印刷用のお水として奉納していましたが、平成十四年に四二五年ぶりに復活して以来、今では春日大社ご本殿をはじめ境内全てのお社に御神水として奉納されています。
○六月十七日(土) 午後六時より 彗星探索家 木内鶴彦講演会が社務所において開催されました。
プロフィール 長野県佐久郡出身。二三才目前、世界で例のない30分もの呼吸、脳波、心臓停止の死亡状態から生還。その後、独自の軌道計算により4つもの彗星を発見し、それら彗星の一つが地球に衝突すると示唆。映画「ディープインパクト」「アルマゲドン」のモデルとなる。彗星探索の他に星の教室で子供たちに星を見せる観望会や、天文や環境問題を説く講演会を各地で行っている。特に光害と環境破壊を強く訴えている。著書に「宇宙の記憶」(龍鳳書房)、「生き方は星空が教えてくれる」(サンマーク出版)がある。
○宮司のブログを開始しました。ご笑覧いただければ幸いです。
「私、水屋神社宮司です」 というタイトル。 http://blog.goo.ne.jp/goo25715/です。
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