日々・ひび・ひひっ!

五行歌(一呼吸で読める長さを一行とした五行の歌)に関する話題を中心とした、稲田準子(いなだっち)の日々のこと。

「気」じゃない「場」じゃない「空気」って?④

2008年01月05日 | 言葉や思いをめぐらす日々
そうそう。

ウィキペディアで、
場の空気
ってのを見つけました。

ま、ますます、前半に書いたことの、
「場を読む」って言い方のところ、
説得力が……ほ、崩壊……。

まぁいいや。考えることに意義があるんでぃ!

続けます。

     ★

いつだっただろう。
去年なことは、去年のような気がするのだが。

日本テレビの特番で、
さんまちゃんが主に出ていたTV番組で、
80年代、90年代、00年代を、
バラエティ色豊かに、でもちゃんと鋭く、
振り返っていた番組があった。

最後の方には、ビートたけしさんも出演していた。

そして、さらに最後の方には、武田双雲さんも出演していた。

私が、
凍りついたのは、エンディングの方だった。

今後の豊富だったのか、
未来を予想してのことだったのか、
まず武田さんが、
大きな半紙に、大きな筆で、
自分の思ったことを書いた。

それは、さんまちゃん、ビートたけしさんの分も
用意されていた。

さんまちゃんは、真面目に何かを、
書くつもりでいたように見受けられた。

いや、真面目に書くつもりはなかったかも。
笑わすために、ふざけたことを、
書くつもりではいたのかもしれない。

そのくらいなら、私は気持ちの用意が出来ていた。

が、ビートたけしさんは、
予想をはるかに越えていて、
バケツ(?)の中に入っていた墨汁を、
大きな白い半紙にぶちまかした。

さんまちゃん、慌てる。司会者(誰だったかなぁ……)も、慌てる。

彼らは、なんとか、笑いにつなげようと努力していた。
そんな痕跡は、放映されていた。

白い大きな半紙は、めちゃくちゃになる。
着ている服も、墨汁でめちゃくちゃになる。
そんな中を、笑いにつなげようと、
番組の意図しているところに戻して行こうと、必死に。

気になったのは、武田さんが映し出されないこと。
おそらくカットされているんだと思った。

だが、完全なカットは、無理だったんだろう。
武田さんはところどころで現れた。

顔こそアップにならないけれど、
声が聞こえる。

「じゃあもう、ここから始めましょう」とか、
そういう、仕切りなおしのようなことを、
言っていたような気がする。

その声が恐くって、胸が痛かった。

表面上の行為は、同じだったかもしれない。
さんまちゃんや、司会者と。

だが、ビートたけしさんの振る舞いを
やめさせる根拠は、
番組の体裁のためでは、決してなかったと思う。

「書」というものの為に、
必死で冷静を保ちながら、
仕切り直しをしようとしていたように、
見受けられた。

私の感情移入は、
ほとんど映し出されることはなかった、武田さんに対してだった。

画面を見ながら私の気持ちは、あわわあわわとしていた。

その時のことが、
「空気を読む」ということについて、
ひらめきを感じたとき、
そのフラッシュバック並みの一瞬に
含まれていた。

     ★

今でも、私の気持ちの位置は、
武田さんの方に連動するようになっていて、
思い出すたびに、胸が痛い。

胸が痛いけど、
決して、ビートたけしさんを非難する気にもなれない。

ビートたけしさんが、
そういう振る舞いをしたのは、
シャイな人だから、ということと、
とても賢い人だからなんだろうな。

番組の意図通りにすることが、
とても恥ずかしく(ダサく)思えたんじゃないかと思う。
ビートたけしさん、かなり過剰に。

んで、
空気を読むことにとても長けてもいるから、
読んだとおりに絶対するもんか、って。

でも、例え意図をひっくり返しても、
番組を成立させてみせるという
プロ(芸人?)としての覚悟があるから、
行動に移せるんだろうな、って思う。

だから、
決して、「書」を冒涜する動機では、
なかったと思う。

例えば、それが、
番組最後の締めが、
「書」ではなく、
「絵」だろうが「コメント」だろうが、
ビートたけしさんは、壊しにかかっていただろうと、
私は思う。

だけど、私が、
冒涜ではないにせよ、
自分の大切にしていたものを、
番組の意図を壊す道具に使われたら
武田さんのように(いや武田さん以上に)、
声を震わせていただろう。

とっさには、絶対ビートたけしさんを思いやれないことは、間違いない。

でも、激怒が収まったら、
寛大に受け入れれるように、
気持ちを整理する方向へ、
持っていくように、努力すると思う。

二度と関わらないと、心に決めながらでも、
周囲には険悪関係と見受けられても、
心の中だけでも、その時なりに、
許す方向へ持っていけるだけ、持って行こうとするだろう。

     ★

ビートたけしさんは、
空気を読まない人ではないと思う。
決して、「KY」な人じゃない。

空気を読んだ上で、空気を読まないだけなんだ。

おそらく、ビートたけしさんっていう人は、
そうやって、
ずーっと第一線で活躍している人なんだろう。

そうやって、
自分の道を切り開いてきた人なんだろう。

空気を読み続け、それに沿ってきた人たちは、
やがて、飽きられるものね。

好きじゃないタイプだし、
憧れも何にもないけれど、尊敬できる。

だから、思うのだ。

空気が読めない人、
空気を読まない人、
空気を読んだ上で、読まない人、

そんな人たちは、
なんらかのかたちで、
周囲の人に迷惑をかけている。
場合によっては、人を傷つけている。

そこにある状況に、何かプラスを与えようとする、
「気」がないのだから、不可抗力なんだろうけど、
巻き込まれてしまう誰かが現れる場合がある。

だけど、こういう人たちこそが、
新しい風……新鮮な空気を運んでくれるから、
換気ができるんじゃないの?

何か、当たり前になっているヤバイものを、
立ち止まって、考えさせてくれるんじゃないの?

空気を読むことに躍起になったり、
人に要求ばかりしていると、淀んでいくんじゃないの?
おかしくなっちゃうんじゃないの?

空気が読めない人も、自信を持って。
空気が読める人は、寛大になって。

その摩擦でおきたともし火が、
次の未来を照らす。

決して、簡単なことではないけれど。

     ★

あーすっきりした。
もう途中から、やんなってたんだけど。

っていうか、
PCにかじりすぎてて、他の事、全然出来ないんだもの。

東大阪歌会で着た着物も、まだ片付けていないし(笑)
(ちなみに今日は、1月8日。歌会は6日だったのね)。

確かめようもないけれど、
ビートたけしさんと武田双雲さんのことは、
思い出すたびに、
「たけしさん、謝りはった?武田さんに」
と、心の中で問いかけてしまう。

何度思い出しても、オロオロする自分が悲しい。
もう忘れよう。あほらしすぎる。

あぁ~肩こったけど、
明日は東大阪歌会のこと、なんとか書いて、
一段落したいです。

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