日々・ひび・ひひっ!

五行歌(一呼吸で読める長さを一行とした五行の歌)に関する話題を中心とした、稲田準子(いなだっち)の日々のこと。

夜桜花見

2005年04月15日 | お仕事な日々
着付けに行くつもりだったのに、
かなり葉桜なのに。

     ★

それは
すでに定年退職していたり、
今の職場をやめた人や
今も職場にいる人や
人事異動で遠くに行っちゃった人が、
内々でする夜桜花見。

去年、仕事帰りで桜の中をブラブラしてたら、
なりゆきでそのまま、合流させてもらった。
あまりにも楽しかったから、
年賀状を下さった方々に、
今度はちゃんと
誘ってくださいと書いたことを
覚えてくださっていたのだ。

社交辞令と思われてなくて、嬉しかったから、
着付けのお稽古をさぼった。

     ★

会社関係で繋がりながら、
多少の体育会系的ニオイもありながら、
ちょっとひいちゃう(ははは……)下ネタもありながら、
私はこの人たちが大好きだ。

何が好きかって、
この人たちの会話のうねりが好き。
キャッチボールの中に、
その人となりを感じるのが好き。

     ★

私は
人という単体では、
あまり興味を持たない気がする。

(でも、五行歌を始めてから、
歌を通して興味を持つようには
昔よりは、なったと思う)

が、
人と人とがどのような関係を築き上げているかには、
ものすごく関心を持っている。

どのような規範を持った集団かによって、
私の中のその人の規定は偏る。
きつい言い方をすれば、「決め付け」だ。
その偏りを「縁」と呼ぶ。

その「決め付け」は、
その集団内でのその人との関係に
とても有効に作用する。
だけど、それを活用するためには、
その集団以外だと、
有効だとは限らなくなることを
自覚しておくことが大切。

どんなに厳しい上司でも、
家に帰れば子煩悩なパパかもしれないことを
腹を立たせながらも想像できること。
そうすれば、極端な言い方だけど、
殺意は芽生えても、本当に殺すことはできない。
(つまり、殺意はゆるしてるのね)


     ★

「決め付け」がひとりの人の「核」をついている程、
自分のその人に対する態度は
どんな場であっても、
そんなには変わることはないだろう。
それには、いろんなタイプの場の中に、
身を置き換えながら、その関係性を結ぶことが必要だ。

だから、飲み会というものがあるのだろう。

厳しい上司が、鍋奉行のようなマメさを見せると、
子煩悩なパパかもと思って、
殺すことを止めるためにする想像は、
よりリアルさを増す。
無数の想像より、ひとつのリアルのほうが、
こういう場合は、自分のまともさを助ける。

     ★

だが、私は、いろんな人の「決め付け」を
「核」まで深めたいという欲求は低い。
そういう意味では、人間愛は薄いかも。

人を、関係性を、
深めたくなるか、浅めで抑えたくなるか、
それはいつだって、独断と偏見だ。
だが、頑ななわけでは、決してなくて、
ひょんなことから、二転三転していく。

声をかけてくれたのが嬉しくて、
酒も焼き肉もうまかった、
去年の夜桜花見のように。

     ★

花見が終わったのは9時だった。
一本締めをして、
私は別れた。

他の方たちはほろ酔い気分で、
そのままスナックへ行った。
(※私以外は全員男性です)

職場より一歩進んだ密な関係を結んで、
私の中の人ひとりひとりの「核」を深めたけど、
それ以上濃密に知る必要もなく。

花びらよりも揺るがなく芽吹く桜並木の中、
夫が帰ってくるであろう家へ帰ったのでした。

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