日々・ひび・ひひっ!

五行歌(一呼吸で読める長さを一行とした五行の歌)に関する話題を中心とした、稲田準子(いなだっち)の日々のこと。

あれから10日。

2008年05月15日 | お仕事な日々
あぁ、あれから10日たった……。
もう、時効成立だよな。

10日前とは、こどもの日の出来事。
あのご婦人、結局クレームの電話しなかったのね。

     ★

その日の仕事は、
パンの品出しの仕事だった。

平台に特売のパンを並べていた。

ひと箱分出しては、
空になったパン箱を、
邪魔にならないようなところに
立てかけて。

不意に視線を感じ振り向くと、
ひとりのご婦人が立っていた。

いや、立っているだけではなく、
弁慶の泣き所のあたりまで、
ズボンの裾を上げて私を見ていた。

そこには、蚊に刺されたように、
小さく丸い赤い腫れがあった。

……意味がわからなかった。

でも、時々、
試食販売なんかをしていると、
自分の話をよくしてくる、
おじいちゃんとか、おばあちゃんとか、
いたりするもんだから、
なにか話が始まるのかな?と思って、
しばし「なにかな?」という感じの表情で、
次の言葉を待ってみた。

が、なんにも始まらなかった。しーん。

そして私は忙しく……う~ん……。

「大変でしたね」

よくわからないけれど、
少なくともいいことではない事は、
わかったので、
そんなことを言って、
平台にパンを敷き詰める作業に戻った。

しかし、ご婦人は引き下がらない。

私の視界に入るところに来て、
また、その弁慶の泣き所の御身足を私に見せてくる。

よくわからない。

よくわからないけど、
実感は全く持てないけど、
状況的にはじわじわと、さすがに連想できてきた。

「私のせいですか?」

大きく深くうなづくご婦人。

それでもやっぱり実感が持てない。
どうして私が、
どうやってそこに怪我をさせたの?

「すいませんでした」

実感が持てないままの言葉に、
気持ちなど込められるわけもなく。

結果、火に油を注ぐはめに。

「ちょっと、あなたY(パンのメーカー名)の人?」
平台に敷き詰めているパンがYだった。
「いいえ違います」

あ、わかった。
パン箱に足をぶつけたんだ。

Yのパン箱は、
空箱を積み上げるとき、かさばらないような
工夫がなされていて、
その工夫のせいで、角っこが少し尖っている。

私が平台の横に立てかけたパン箱に、
足をぶつけたのかな、と推測する。

あぁそれならそれで。

私の立てかけ方が悪かったんだと、
実感できるように、
どんな感じで足をぶつけたのか、
説明してほしいな、と思うけど、
そんな冷静なことを聞ける雰囲気ではない。

火に油を注がれて、
ご婦人は、
私を追い詰めることしか、頭がいっていない。

「じゃ、スーパーの人?」
「いえ、違います」

しーん……。

『どこのメーカーよ!』と、
聞かれれば答える気でいたけれど、
それは聞いてこない。

聞かれないから、答える気にならない。

なんだろう。このご婦人。
さっきから、
私との会話の呼吸が合わない。

何もいわなくても、
こうすればわかるだろう、ああすればわかるでしょう、
という前提で、
見ず知らずの人間に言葉を求めてくる。

沈黙が嫌になったので、
「Fです」とメーカー名を答える。

「Fに連絡するわよ!!」

あぁ、それが言いたかったのか、と思ってしまう。

あかんて。それでは。
まだ私が怪我をさせたことに対する、
罪悪感が持てないわ。

心からの謝罪の言葉を、心が作ってくれないわ。

仕方なく、状況から割り出した、
「申し訳ありません」という言葉を、
頭を下げながら言った。

「だいたい、Fなのに、なんでYのパンを出してるの?
スーパーがやらしてるの?」

矛先がスーパーに向かったとき、
自分の感情が少し動いた。

「いえ、Fからこのスーパーの品出しのお手伝いをするようにと、
言われているんで、それは別におかしいことでは……」

まぁ正確に言うと、
派遣元に言われてしているんだけどね。

不意に子供の時、
近所の子らとケンカして、
「おかあちゃんに言うよ!!」
と言って逃げ帰って、
実際に母に話したら、
「自分でなんとかしてきなさい」と、
突き放されたときのことを思い出した。

このご婦人が、
やたらめったら「Fに言うよ!!」という
決め手にならない決め台詞を言い出したので、
「あかんて。親に言ったって、私が突き放されるだけなんだから」
なんて思ってしまい、
ますます、罪悪感が沸いてこない。

罪悪感は沸いてこないが、
時間は経つし、状況には追い詰められていく。

「すいません」「本当に申し訳ありません」

機械的に言葉を繰り返す。

ご婦人が、イライラしているのがわかる。
かたちばかりの私に。

私だって、
「かたちばかりの私」になっているのは、
よくないのはわかるんだけど……。

そういう感情のぶつけ方では、私は打ちのめされないのよ。

仕方ない。
感情にコなくても、建設的だと、
頭で思うことをやってみよう。

「では事務所に行きましょう」

下げ続けていた頭を上げて、私はご婦人を見つめ返す。

「そんなにお怪我が痛いのでしたら、
なにか絆創膏なりなんなり、なにかお手当を……」

「いいわよ!!」

じゃあ、どうしろと。

私は本質からずれたくないのに、
このご婦人の怒りは、
もはや怪我からの二次災害(私の態度やね……)で、
いっぱいになっている。

その後も何故か、メーカー名を聞かれ、
「Fです」と私は繰り返した。

はいそうです。ええそうです。
お電話なら、Fにしてください。

あなたがそれで満足するなら。

     ★

結局、
スーパーの店員さんは登場することなく、
ご婦人はそのまま消えていった。

スーパーの店員さんにも言われたほうが、
私は二次的にでも罪悪感を持っただろう(助かったと思っているけど)。

いなくなってからの方が、
その婦人に対してというよりは、
周囲に迷惑をかけるんじゃないかという動機から、
嫌な気持ちになっていた。

念の為、担当の人には、
「もしもこのことでクレームの電話があったら、犯人は私です」
ということで、すぐに報告した。
帰りに「電話ありました?」と聞いたら、
「ないよ。そんなにたいした怪我じゃないんでしょ?」
と、気にしていない様子。

その晩、夫に話したら、
「……クレームの電話のしようがないやろ。
怪我させた本人に直接文句を言って、謝罪もされたし、
手当だって申し出だされたんだし。
第一、怪我をした瞬間を見たの?見てないんでしょ?
本当に準子ちゃん(ここでは仮名)のせいだといえる
証拠もないやん」

と、彼も冷静。

「ただ、あんたは、何かに集中したら、それしか見ないからな。
平台にパンを置くことだけに集中して、
『ここまでパン箱を立てかけると、お客さんに迷惑』とか、
そういうこと考えへんやろ?
考えたとしても、自分の都合のいいように、
『ま、大丈夫やろ』って思ったりして」

グサグサグサグサ……。
今回のことで、一番反省の感情が湧き出した。

私は言う。
「あの人(ご婦人のことね)、もしかしたら、
何か別のことで、頭にきていることがすでにあって、
私のことは、ほんのちょっとのきっかけに過ぎなかったのかも」

ふとつぶやいてみる。

「それはあるかもね」
夫はもはや、TVのほうを気にしながら、うなづいた。

実際のところは、わからない。

ご婦人を怒らせた決定的な一言を、
私が見逃しているだけかもしれない。

あれから10日。
クレームの連絡はなかった。

喪に服すように、
例えすぐ連絡がなくても、
10日はビクビクするつもりでいた。

あのご婦人の決め台詞に反応したくて、
このくらいの気の重さを持たなければ、
なんだか申し訳なくって。

ご婦人の
蚊に刺されたような、あの赤いふくらみは、
青い痣になって、すでに黄色になっているだろうか。

傷と一緒に私のことも、
ぜひ忘れていただきたいです。

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