笑わぬでもなし

世相や世情について思いつくまま書き連ねてみました

鏡の中の鏡子さん

2005-12-02 | 文学
漱石の妻が悪妻であるとは、巷間囁かれることであります。しかしながら、小生は、生来のつむじ曲がりから、鏡子さんが悪妻であるとは全く思えないのであります。なるほど、漱石の作品に出てくる女性を取り上げて、嫂の登世であるとか、祇園の芸者であるとか揣摩臆測が飛び交っております。なれどそれは、読み手の勝手な解釈であり、かくいう小生の良妻説も勝手な解釈であると思ってくれて構いません。そうお断りをした上で、良妻であることを述べますれば、漱石が帝大の職を辞し、朝日の嘱託になり、作家として起つのを決断する際に、彼が頭を悩ませたのは、金でありました。帝大からの給金と朝日からの稿料、作家として起った時の稿料、印税、朝日からの給金を天秤にかけ、支出の面、とりわけ漱石に無心に来る産みの親の存在と鏡子さんの実家への仕送りに頭を悩ませたのであります。
 なるほど、鏡子さんは判事の娘であり、かたや漱石の出自は庄屋の娘でありますから、身分さと生活様式の違いに戸惑いを覚えたこともあるでしょう。文化は池の違いが時に、誤解を生むこともあったがゆえに、悪妻説が広まったのではと考えて見たりもします。
 作家としてたつべしと決断した漱石には「高蕩遊民」とは無縁の「生活人」としての見識が感じられます。そこには、妻への愛情も感じられます。それだけ愛されている女性が、勘違いをすることがあるでしょうか、あるかもしれません。
 なるほど、漱石死後、鏡子さんは、漱石の直筆のものをすべて捨てたり、人に譲ってしまったという挿話があります。漱石の才能を知らない無知な女という符牒を貼るには好都合の話であります。しかしながら小生はそれを持てるもののゆとりと考えます。紙切れ一枚よりも大切なものが自分にはあるという強みであります。
 鏡子夫人の「漱石の思い出」をあらためて読み返したくなる師走の日であります。
 お知らせ:二転三転しましたが、あらためてテンプレートを変えました。 

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