笑わぬでもなし

世相や世情について思いつくまま書き連ねてみました

早稲田文学 廃刊

2005-04-23 | 文学
 いささか旧聞に属するが、早稲田文学が廃刊し、フリーペーパーとして再出発する。年間1千万ほど大学からの補助金で隔月刊誌を発行していたと聞く。日垣隆氏の「売文生活」の中に筒井康隆全集の発行部数が書かれている。筒井康隆氏ほどでも、4万部という程度であるから、いかに小説というものが読まれなくなったのかがわかる。毎年、芥川、直木賞が発表されるが、ここ数年の受賞者を挙げられるものがどのくらいいるのだろうか。日々新刊が発行され、文庫化することは、それだけ別の文庫が押し出されることになる。10年ほど前、角川は復刻と題し、表紙も金装飾で絶版になっていた文庫を売り出した。角川の成功を見て、岩波が新書の復刻をして二匹目の泥鰌をとろうとしたが、その成果はいかほどか詳らかではない。
 物価の上昇と生活水準の向上を考えれば、文芸賞の賞金は安いと言って、ひとりサントリーミステリー大賞だけは高額賞金を出している。ミステリーなら売れるだろう。たとい売れ行きがそこそこでも、ドラマ化、映画化と転用が利く。遅ればせながらと芥川、直木も賞金を上げたが、あれは名誉賞だからといって、純文学だけは妙な矜持をみせて、踏みとどまった。文学を描く才能はどこへと慌てたところで、目端の利くもの、才知あるものは劇画、漫画の世界へ飛び込んでいった。劇画、漫画の頭打ちを感ずるや、ゲームクリエイターに転じた。
 一人の作家、一つの作品と出会い、本の世界を渉猟する機会なぞ持たぬ輩を作り出したのは教育だけではあるまい。早稲田文学は逍遥が興し、抱月が筆を振るった。ならば芋づる式に露風、緑雨、二葉亭、泡鳴と足跡を辿れるだろうに。二葉亭、岩野は文庫でもお目にかかるが緑雨はない。才知溢れる先人の健筆振りを真似て、真似て、真似てこそ新たな才能が開花するというのに。あてどもなく賞を出すのは何ゆえかしらと考え、あれも広告かと悟った。ならば「才能はどこへ・新人発掘」はキャッチコピーの類と思う今日このごろである。
 
 

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