コタローの奮戦日記~脊髄小脳変性症克服に向けて~

脊髄小脳変性症と診断されて10年が経ち発症して人生観が変わりました。そんな僕の過去・現在・未来について語っています

春物・・・

2010年04月28日 00時16分37秒 | Weblog
僕は検査入院で、病気と分かっても、5年前迄、仕事を続けていた。

今42歳だから、37歳までの15年間。


仕事の内容は、会社や担当する仕事は変わったが、洋服を作る仕事をしていた。

洋服を作るといっても、自分でミシンを踏んだり、ハサミや針を持つわけでは
なく、俗に言う、アパレル という会社に勤めていた。
実際の服作りは、国内では、新潟・山形・・・、海外では上海地区や香港近郊で、

女性物を作る会社に長くいたのだけれど、紳士服を作る会社にも最後の1年はいたので
あらかたの、服作りは、分かる。


この業界は、農家と同様に、天候に大きく左右されやすい。
春・夏・秋・冬で、販売時期に合わせて、しっかりと売るものを、
流行にのせて、作りこんでいるから、今年の様に、GW前だというのに
冬物を着なくては、寒い天候になると、完全に春物として、
仕込んでいた商品が、販売されずに、在庫として
売れ残ってしまう・・・今の時代、在庫を持ちすぎると、’デットストック’と言われる
様に、会社の経営そのものを直撃して、最悪、倒産という会社を今迄、何十と知っている。

冬はおもいっきり寒く、夏はおもいっきり暑く、春・秋は季節の切り替えが実感出来る
ようでなければ、洋服にも旬というものがあるから、早く、平年の季節感になってもらいたい。
もう、業界から離れて、5年弱になるが、今でも、季候は気になる。


僕が、業界で働いていた頃は、今の世の中の様ではなく、結構皆が洋服という物にお金を使ってくれていた。
そのお陰で、年齢の割には、給与も結構もらっていたし、派手にお金を使ってもいた。

でも今は、ユニクロに代表されるファストファッションといわれるほんの一握りの会社の一人勝ち状態で
既存の洋服屋は、売れていないし、僕が以前勤めていた会社も、『売上が厳しいよ・・・』
と言った声が今でも付き合いのある、会社の人からメールがくる。

おにゃんこクラブや今流行のAKB48のプロデユーサーの秋元康が以前言っていたのだが
『プロというのは言い訳をしないで、結果を残せる人』と言っていたのを思い出した。

社会人は、皆、労働をしてその対価として、お金を得る。という事はどんな職種・仕事であれプロである。


そんな事は、皆、百も承知で、頑張っているのだが・・・。

この異常な季候のせいも影響して、今年の春物は、あのユニクロでさえ、売れていないらしいから
雨が降るのは仕方ないけど、4月も後半になるのだから、寒さだけは、何とかしてもらいたいと思う。

7回忌・・・

2010年04月19日 19時22分28秒 | Weblog
東京地方は日々変化する気温の連続で、昨日は久しぶりに
春らしい陽気になった。

本当は、今日4/19がお袋の命日なんだけど
昨日7回忌の法事を行った。

人が亡くなると、通夜・告別式・1周忌法要・49日・3回忌・7回忌・13回忌・・・
と続いていくが、最近になってなのか、法事は1年前倒しに行われる事が多いようだ。

亡くなって、2年目に3回忌、6年目に7回忌という様に・・・正確には、お袋が他界したのは
6年前である。

だけど、供養の為に、親戚が集まってくれたけど、7回忌ともなると、喪主である
父親とも相談したのだけ、親戚といっても、ごく親しい人にしか声はかけずに
本当の身近で、坊さんにお経を読んでもらい、焼香をして、寿司屋の座敷で会食
をした。(10数名だったけど、笑い声が絶えず、良い供養になったと思う)

80歳になる人が3人、70歳台が3人もいて、今は皆、元気なのだが、
高齢者が多く、今度の6年後の13回忌は、親戚も呼ばずに、家族だけで
やろうという話になっている。

だけど、そう言っている父親も70歳を越えているし、僕だって
6年後はどうなっているか分からない・・・

だけど、人の寿命程、分からないものはない。
どんなに、有名であっても、財を成しても、人の一生というものは
10代で事故で命を落とす者もいれば、100歳近くまで
命を永らえる方もいるし、本当に千差万別だ。
くさい質問かもしれないけど、『あなたは今という時を・・・一生懸命に生きていますか?』

基金の件・・・

2010年04月13日 23時46分52秒 | Weblog
久しぶりの更新である。
まずは、基金の設立の件については・・・


現状では、『○でもなく×でもなく・・・保留といった状態である。』

コメントや直メールで、圧倒的に、賛成の意見が多かったのは事実だが、
実際の運用面を考えると、あくまで寄付といった形で、ちりも積もれば・・・・的な発想なのだが
『孤発性・遺伝性、遺伝性の中でも何十も病型があり、集まったお金の研究機関への分配方法は?
多種ある病型の、研究費の助成の為の基金の設立である為、今後スタートして
最初の何年かは、そこそこ、寄付金は集められると思うけど、ゴールが見えないのでは
先細りしてしまう恐れがある・・・などの様々なケースを考えると、まだまだ、僕が、提案しようと
思った、NPO法人には、まだ発案者の僕自身が、迷っているのに、提案は出来ないと
考え、提案自体を保留にしてもらった。

パーキンソン病の場合、元ハリウッドスターが自分の資産を投げ出して、基金を設立したから
ある意味研究が大幅に進歩したが、この病気の場合はそうではない・・・

だから、より以上に、運用面をしっかり、考える必要があるし、これだけ不況の現在
実際、いくらの寄付金が集まるのか(最低でも年間、1億以上集められなければ、
研究費の助成などにもならないし)・・・

そんな事を考えている内に、『実現可能?』という???マークが増えてきて
一旦『保留』という形にした。

一介の庶民では、やはり、限界があるし、患者である僕だけで
考える問題では無い気もしてくる。
命の次に大事なお金が絡んでくる話なので、この病気で苦しんでいる
人達にも、本当に実現性があり、失敗出来ない案件なので、
わが事の様に考えてもらいたい・・・。

だけど、行政任せでは、駄目で、実際病気で苦しんでいる自分や家族の
現状打破は、様子見的な、考えでは、急速な進歩は、考えられないのも
事実ではないでしょうか・・・。

高額な薬代・・・

2010年04月03日 18時13分28秒 | Weblog
4/1の読売新聞の医療ルネサンスという記事に興味深い記事が掲載されていた。

心臓から肺に向かう肺動脈が狭くなって血圧が上がり、心不全などの症状を引き起こす
難病・・・『PAH』を患う20歳台の女性の医療費の件だ。最も効果が高い治療薬があるのだが、その治療薬が高すぎるのだ。
99年に薬が保険適用になって、この病気は医療費の自己負担がほとんどない、
難病指定になっているのだが、明細書をみて、その医療費の薬の費用が膨大な事に驚いた。

なんと1月の薬代が770万・・・年間約1億円・・・と明細書に書かれていたのだそうだ。

医療機関(病院)は、高額な薬の使用を避けたがる傾向にある。
それは、健康保険組合から、不正な治療を疑い、支払に意義を唱える事
が出来る制度があるためだ。
その為、この治療薬を処方してくれる病院は全国に数箇所しかなく
居住地が静岡でも、薬を貰う為に、月1回、東京の病院迄
通院を強いられていた。

最近、病院ごとに1日の入院医療費が定められている『包括払い』制度を導入する
病院が増えている。これらの病院でも、『赤字になる』として高額な薬の使用を
避けたがる。


この薬を使用している患者は800人程とされており、希少難病の為
製薬会社も研究・開発費で膨大な金額を使用しており、その研究・開発費が
薬にのってくる為、膨大な金額になるというのだ。

製薬会社も民間の病院も営利企業である為に、赤字の事業には、手を染めたくないし
避ける気持も、民間企業で働いていた自分には理解が出来る。

だけど、この難病を治癒出来る薬の開発を願う気持もあるのも事実だ。

近況その②

2010年04月01日 19時21分54秒 | Weblog
昨日、一昨日と年度末という事で、通所のセンターでの訓練(火はST、水はPT)が休みだった。
そのセンターの職員さんは、役所から出向で来ていたり、専門のSTやOT・PTの指導員は別にして
移動など、役所の年度末は大変であるから、休みになってもおかしくない・・・。

で、僕は火曜は約3ヶ月弱ぶりに、美容院に行って、髪をカットしてもらい、いつもの様に
染を入れてもらった。
ちゃんとした、綺麗で2年も経っていない、美容院である。
仕上がりも、ちゃんとしているだけど、明細を聞いて少し驚いた。
『¥3980です。』
都内に10年以上住んでいた僕にはありえないほど、リースナブルな値段である。
値段が安かろう、サービス悪かろうではなく、サービスも非常に丁寧でこの値段である。
スタッフも15人以上いるのに、『やっていけるのかな~???』と余計な心配をしてしまった。

水は夕方に高校時代の友人Fと遊んだ。
普段1人で行けない為、電気屋とドラッグストアに寄ってもらい
普段買えない物を、自分の目で見て、商品を触って買物をした。

役所に出す書類に証明写真が必要のものがあり
写真屋にも行ってもらった。
出来上がりは・・・42歳のおじさんには未だ見えないと思うのだが!

夕飯は久し振りに’焼肉’を食べに行った。
都内に住んでいる頃は毎週の様に食べていた焼肉だが
歳をとったせいか、昔の様に、毎週は食べたくないが、
たまに、機会があれば、無性に食べたくなる。
僕は、生中とハイボールを飲みながら、久し振りの焼肉に
舌鼓をうった。