うろうろとする日々

オリンピック開会式

開会式全部生で見てないので新聞記事などをみてですが、、、

なんだかいまいちだったなあという感じがしました。

例えばレーザーの使い方などパフュームのコンサートのほうがよさそうだったし。

東京の文化の説明で木やりもなんだかなあとう感じです。なんであそこで女優さんなのかもよくわからないところ。

音楽についても、世界中で日本のゲーム音楽が認知されているかというとそうでもないと思います。それこそ文化的に相いれない国もあるでしょう。その辺のチェックって大丈夫だったんでしょうか。なんだか政権とすぎやまこういち氏の親密さを見せつけるだけのものだったような。どっちかというと久石譲さんのほうがずっと日本の音楽の代名詞としてはよかったんじゃないでしょうか。

あと市川海老蔵が出演してましたが、こういったところに出てきていい人じゃないと思います。

いろいろと噂がありながらも無理やり消しているだけのひとで、そういうひとをこういった場面で使って言い訳はないので、これまたなんだかな感じでした。

最後の聖火リレーで長嶋さんはもっとちゃんと走れるのであればよかったですけど、うーんという気もしました。アリさんも相当な苦労の末やられてましたが、自分で走ってましたからそこにすごい感動がありましたが、今回はなんだか無理があったような。本当に倒れられてもリハビリであそこまでできたのはすごいしおそらく長嶋さんの姿に力づけられた人も多いと思いましたので、もう少しご自分で走れたらなあと本当に残念です。医師と看護師というのもなんだかわかりませんでしたし、こんな遅い時間なのの子供を走らせるのもどうなのって感じでした。虐待では?

聖火リレーの最終ランナーについては、日本のオリンピックとは言え、要は米国の圧倒的な力の下でやっていることを思い知らされるという構図ですかね。日本にほとんどすんだことがなくても米国で有名ならいいという感じでしょうか。大坂さんは多様性の象徴?とは言えないと思います。日本では多くのミックスの人や帰化した人(親が外国からきて本人は日本で生まれたような選手)もいて、今回のオリンピックにはたくさんそういう選手も出場しています。そういった選手に向けられる差別があたかもないかのような”演出”だけで海外にアピールするだけというむなしいものに見えました。大坂選手に対してもいろいろとSNSでなにかいうひとはいるように思います。

ということで全体にお金はかかったけど製作者の思想的な貧しさしか伝わってこない開会式という感じがしました。

また、天皇の開会宣言についていろいろと伝えられていますが、あそこで自分の宣伝をしたならともかく、”祝う”というような感情表現を変えただけでいろいろいうのであれば、そういった表現はなくして開会を宣言する言葉だけにすべきと思いました。むしろバッハ会長の演説は常軌を逸していたと思いました。

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