うろうろとする日々

続高校野球の応援

高校野球の応援について、週刊新潮で池井優氏が、「大学野球の応援を持ち込んでしまって申し訳ない」といっているそうです。

 

「強烈な排他性がある」「“内輪ノリ”と“群れる習性”が」 慶應OBらがひもとく、「慶應騒動」が巻き起こった本当の理由(2ページ目) | デイリー新潮

小生はそうじゃなくて、大学の応援であれば、相手ともある程度応援団同士が話し合って応援指導がコントロールするところが、高校生ではとてもできていなくて、コントロール不能の集団による威圧になってしまっていたと感じました。ちょっと日本での最良の大学といわれる大学出身の皆さんがああいったことを何の疑問もなくやってしまうことに恐ろしさを感じました。

また、池井氏は自由な雰囲気が違和感を感じさせことも批判される原因といってますが、それは贔屓の引き倒しというものでしょう。外の人たちはいくら取り繕っても、セレクションなしでああいったメンバーが集まらないだろうことは十分にわかっているし、それなりの練習を積まなければとてもああはならないことも分かってます。それは別に悪いことではないですが、なにかそういったことを否定するのはなぜかという気はしてます。丸坊主じゃなくてもいまは珍しくないんじゃないでしょうか。まあ今でも優勝チームが丸坊主じゃないといって驚く大人もいるようですが、それは大人の野球に投影するなにかなんでしょうね。一方では昔の地方の高校野球の選手のように、酒たばこなどあまり気にされずにやってる感じなどは確かにないかもで、そういう意味では昔の野球選手よりずっと高校生らしいのではないかと思いますが、そういう雰囲気がないのも逆に大人が思う高校野球の選手と違うんですかね。

池井氏の発言は、なんだかエリート意識がぷんぷんで、どうかと違和感を感じました。そうではなくて、少なくとも小生は、相手かまわず歌をがなり立てたりできるようなひとたちに、凶暴性を感じて、それでも自分たちをエリートと思っている節があるのを不愉快に感じているだけです。まさにこの池井氏のようなことを平気で言うひとがいるのもおそろしいほどの俗物性と映ります。

今回のバスケットボールの応援は何なんだという人もいるかもしれませんが、あれば大人の試合ですし、そこまでコントロールされてはいないので、まあ普通の応援かと思ってます。国際大会の開催というのはお金もかかるもので、それを開催することでのホームコートアドバンテージはそういうものだし、また、大人の試合、というカテゴリーも違うということもあります。U18の試合でああいった感じになったらちょっとやりすぎという感じでしょう。

関係ないですが、そういう意味では本当に今回の沖縄のひとたちには感謝しているします。地元での交流などもやってくれていたようです。

何もやってない某都知事が記者会見で五輪をやった手柄みたいに言うのは完全にお門違い。東京都でこのWカップのためのキャンプなど引き受けた区があったのかな?(ちなみに時差がある国からは当然事前に日本に入っていると思いますので、どこかでキャンプをしていたと思うのですが、情報がないですね。WBCのときは結構あったのに。残念です。WBCのオーストラリアのような発信もなかったのでしょうか)あと女子も含めてアジアカップなどの大会も全然東京都は引き受けてないですね。まあそのくらい厚顔でないと政治家はできないのでしょうけど。

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