◇上野
浅草まで歩いて行くことにしました。
長龍寺近辺は小さなお寺が林立していて、あっちもお寺、こっちもお寺という具合なのです。大きなお寺としては、東本願寺があります。京のみやびな西本願寺とは違って、お寺なのに武張ったイメージです。古い家並みの中に新しい家も混在していて、それも又上野という街の懐かしい眺めになっています。
◇浅草合羽橋
途中、かっぱ橋の道具街を通りました。
瀬戸物の大きな金ピカの招き猫が賑やかに大小並び、食器や調理器具が何種類もギッシリ並ぶ街なのです。コーヒースプーンが「12本で840円」と値札が付いていました。
「欲しいけれど12本も要らないよね。」
と諦めました。一々店を覗き込んでは、熱心に見て歩きました。さすが江戸の昔からの道具街らしい歴史を感じる所です。てんぷら屋や中華のお店も入り混じり、お昼前の私達の食欲を刺激しましたが、
「浅草で食べよう。」と決めていたので我慢しました。
寄り道したのでお腹が空き、挙句には道に迷ってしまい、頭を寄せ合って地図を見ていたら、綺麗な白髪の小粋な旦那風の人が
「浅草に行くの?」
と声を掛けてくれました。 それでまず驚きました。今どき、向こうから声をかけて来るなんてことないですよね。
そのためらいの無い気軽さと親切がとても嬉しかったので
「はい、そうです。浅草に行きたいのです。」
と娘と二人、顔を上げ喜んで答えました。
「ここをまっすぐ行ったら交番が有るから、そこを右に曲がって行くと浅草だよ。」
とニコニコしながら闊達に教えてくれました。
「ありがとうございました。」
と大きな声でお礼を言い頭を下げました。
娘と顔を見合わせて
「いかにも世話好きな江戸っ子、という感じの人だったね。」
「お祖母ちゃんが生きてたら気が合いそうな人だったね~」
現在でも、「江戸っ子」が、生きて存在していることに改めて感激しました。 何代もこの土地で生きて来なければ、あの「江戸っ子」の雰囲気は出ないのでしょうね。
◇母と祖父のこと
母も下町っ子でした。 この近くで生まれ育った人でした。会ったことの無い母方の祖父の仕事は「経師屋」でした。たった一枚残っている祖父の写真は、厳しい中に優しさを感じる横顔で、掛け軸を広げて見入っている姿なのです。

羽織姿でどっしりとした絹物を着ているので旦那風のところも見受けられますが、腕利きの職人といった風情がありました。大正の時代に「写真を撮る」のは、大層なことだったのでしょう。
だから祖父も立派な着物を着て、改まって写真に納まったのだと思います。
その祖父も母が成人する前に亡くなってしまったそうです。
私や子供にもその祖先の血が受け継がれているので、この辺に来たら心が騒ぐのでしょうね。
長龍寺は母の実家のお寺でしたが、早くに絶えてしまったので嫁ぎ先のお墓に直したのです。
◇雷門・浅草寺
急ぎ足で教えられた通りの道を行くと、雷門が見えて来ました。
風神雷神が祭られている門の前は観光客でごった返し、威勢の良い人力車の車夫がたむろし、陽気な声で客を呼んでいます。
私達は早々に雷門をくぐり、仲見世から1本横に入った道を行きました。
「何処にしようか?」食べる所を探しましたが、母と来た時に入った店が思い出せません。色々な店のショーウィンドウを覗いている内に
「焼きそばが食べたい」
と娘が突然言い出したので、結局お昼は焼きそばになってしまいました。 和風の焼きそばでした。お腹が空いているせいか、お肉も紅しょうがも香ばしい焼きのりも殊のほか美味で、
「次もここにしようね」
と二人で決めるほどでした。
やっとお腹の方も満足したので、仲見世に足を向けました。
◇仲見世・花やしき
仲見世を歩き人形焼や揚げ饅頭、お煎餅を買い食いするのは、いつも墓参後のワンセットコースになっているのです。孫も加わったら当然の如く「花やしき」が追加されます。
30年ほど前、母に二人の子を預けた時は、「花やしき」に連れて行って遊ばせておりました。 その時「あんな昔風のいかがわしい遊園地に?」と自分も幼い頃遊んだ事も忘れて首を傾げていましたが、その子の子供もまた「花やしき」が好きなのです。
母から、孫まで4代を遊ばせた「花やしき」は今「スペースショット」というアトラクションを持ち、地上60mを上下するのです。本堂の辺りから眺める60mの高い塔は恐ろしく、近ごろ高所恐怖症になっている私は
「乗らないよ」
と密かに思いましたが(65歳以上はお断り)ですって!
◇人形焼
仲見世は土曜日の事とて混みあっていました。 国際色豊かで、色々な国の人が浅草を楽しんでいるようでした。直ぐに人形焼の店に立ち寄り、財布を出している私に、娘が
「お祖母ちゃんがいつも買う店はそこじゃない」

昨年は息子の家族も一緒だったので、今は亡き4歳の孫を含めて6人の一行で賑やかでした。みんなで人形焼を買ってその場で食べたり、試食の揚げ饅頭や雷おこしをつまんだり、屋台の焼きそばやお団子をベンチで食べたり、ともっぱら外で済ませました。
今回はしっかりレストランの焼きそばを食べてしまったので、さすがにこれ以上は入らず、帰りには母と浅草に来た時必ず寄った「梅園」でお汁粉を食べる予定になっているのでよけい控えねばなりません。
舟和の芋ようかん、あんこ玉を売っています。(食べたいけど我慢我慢)
弓張り提灯、ミニ提灯、細工物の根付、草履下駄、扇子、刀剣、外国人用に売られている着物、オカメやひょっとこの面、ゴムで出来たゾンビの被り物と雑多だけれど魅力的な商品が所狭しと並んでいます。
一々のぞいて手にとって(これが良いかな、あれにしようかな?)と迷っているうちに
「あっ、お祖母ちゃんの買う店はここよ」
と娘が見付た。
見上げると「創業明治元年 木村屋本店」と書いてありました。そこで人形焼を息子達のおみやげに買い、本堂に向かいました。
途中、線香の煙がもうもうと立ち上っている所で「頭が良くなりますように、健康でいられますように」と煙りを呼び込むのを忘れませんでした。

本堂は観音堂と呼ばれご本尊は見えませんが、内陣でお賽銭を投げて家内安全を願いました。娘がお御籤を引き
「あれ~っ!凶だった。」
とガッカリしていたので、
「げん直しにお灯明をあげてから引き直したら。」
と薦める。
そして「吉」を引き安堵しておりました。
「馬鹿ね。私なんか吉が出るまで何度でも引き直すわよ」
◇ぜんざいとお汁粉
本堂を出て、未だ黄葉の残っている境内で写真を撮り、待望の「梅園」に入りました。入り口近くで食券を買うのに、ご膳汁粉、ぜんざい、と書いてあるので
「お汁粉とぜんざいと如何違うのですか?」と娘。
「ぜんざいは汁が無く、お汁粉は汁が有るのです」
と食券売りの人。
(なるほど、言葉通りなのか)と意外な答えに妙に納得してしまいした。
中は満席状態でしたが、何とか二人分の席が空いたので通されました。
娘は粒餡の汁粉、私は漉し餡の汁粉でそれぞれ小さなお餅が二つ入っていました。
外に出ると陽が傾き、夕風が冷たくなっていました。
まだ、しきりに客を呼ぶ人力車の車夫の声を背に、都営浅草線に乗り家路につきました。
浅草まで歩いて行くことにしました。
長龍寺近辺は小さなお寺が林立していて、あっちもお寺、こっちもお寺という具合なのです。大きなお寺としては、東本願寺があります。京のみやびな西本願寺とは違って、お寺なのに武張ったイメージです。古い家並みの中に新しい家も混在していて、それも又上野という街の懐かしい眺めになっています。
◇浅草合羽橋
途中、かっぱ橋の道具街を通りました。
瀬戸物の大きな金ピカの招き猫が賑やかに大小並び、食器や調理器具が何種類もギッシリ並ぶ街なのです。コーヒースプーンが「12本で840円」と値札が付いていました。
「欲しいけれど12本も要らないよね。」
と諦めました。一々店を覗き込んでは、熱心に見て歩きました。さすが江戸の昔からの道具街らしい歴史を感じる所です。てんぷら屋や中華のお店も入り混じり、お昼前の私達の食欲を刺激しましたが、
「浅草で食べよう。」と決めていたので我慢しました。
寄り道したのでお腹が空き、挙句には道に迷ってしまい、頭を寄せ合って地図を見ていたら、綺麗な白髪の小粋な旦那風の人が
「浅草に行くの?」
と声を掛けてくれました。 それでまず驚きました。今どき、向こうから声をかけて来るなんてことないですよね。
そのためらいの無い気軽さと親切がとても嬉しかったので
「はい、そうです。浅草に行きたいのです。」
と娘と二人、顔を上げ喜んで答えました。
「ここをまっすぐ行ったら交番が有るから、そこを右に曲がって行くと浅草だよ。」
とニコニコしながら闊達に教えてくれました。
「ありがとうございました。」
と大きな声でお礼を言い頭を下げました。
娘と顔を見合わせて
「いかにも世話好きな江戸っ子、という感じの人だったね。」
「お祖母ちゃんが生きてたら気が合いそうな人だったね~」
現在でも、「江戸っ子」が、生きて存在していることに改めて感激しました。 何代もこの土地で生きて来なければ、あの「江戸っ子」の雰囲気は出ないのでしょうね。
◇母と祖父のこと
母も下町っ子でした。 この近くで生まれ育った人でした。会ったことの無い母方の祖父の仕事は「経師屋」でした。たった一枚残っている祖父の写真は、厳しい中に優しさを感じる横顔で、掛け軸を広げて見入っている姿なのです。

羽織姿でどっしりとした絹物を着ているので旦那風のところも見受けられますが、腕利きの職人といった風情がありました。大正の時代に「写真を撮る」のは、大層なことだったのでしょう。
だから祖父も立派な着物を着て、改まって写真に納まったのだと思います。
その祖父も母が成人する前に亡くなってしまったそうです。
私や子供にもその祖先の血が受け継がれているので、この辺に来たら心が騒ぐのでしょうね。
長龍寺は母の実家のお寺でしたが、早くに絶えてしまったので嫁ぎ先のお墓に直したのです。
◇雷門・浅草寺
急ぎ足で教えられた通りの道を行くと、雷門が見えて来ました。
風神雷神が祭られている門の前は観光客でごった返し、威勢の良い人力車の車夫がたむろし、陽気な声で客を呼んでいます。
私達は早々に雷門をくぐり、仲見世から1本横に入った道を行きました。
「何処にしようか?」食べる所を探しましたが、母と来た時に入った店が思い出せません。色々な店のショーウィンドウを覗いている内に
「焼きそばが食べたい」
と娘が突然言い出したので、結局お昼は焼きそばになってしまいました。 和風の焼きそばでした。お腹が空いているせいか、お肉も紅しょうがも香ばしい焼きのりも殊のほか美味で、
「次もここにしようね」
と二人で決めるほどでした。
やっとお腹の方も満足したので、仲見世に足を向けました。
◇仲見世・花やしき
仲見世を歩き人形焼や揚げ饅頭、お煎餅を買い食いするのは、いつも墓参後のワンセットコースになっているのです。孫も加わったら当然の如く「花やしき」が追加されます。
30年ほど前、母に二人の子を預けた時は、「花やしき」に連れて行って遊ばせておりました。 その時「あんな昔風のいかがわしい遊園地に?」と自分も幼い頃遊んだ事も忘れて首を傾げていましたが、その子の子供もまた「花やしき」が好きなのです。
母から、孫まで4代を遊ばせた「花やしき」は今「スペースショット」というアトラクションを持ち、地上60mを上下するのです。本堂の辺りから眺める60mの高い塔は恐ろしく、近ごろ高所恐怖症になっている私は
「乗らないよ」
と密かに思いましたが(65歳以上はお断り)ですって!
◇人形焼
仲見世は土曜日の事とて混みあっていました。 国際色豊かで、色々な国の人が浅草を楽しんでいるようでした。直ぐに人形焼の店に立ち寄り、財布を出している私に、娘が
「お祖母ちゃんがいつも買う店はそこじゃない」

昨年は息子の家族も一緒だったので、今は亡き4歳の孫を含めて6人の一行で賑やかでした。みんなで人形焼を買ってその場で食べたり、試食の揚げ饅頭や雷おこしをつまんだり、屋台の焼きそばやお団子をベンチで食べたり、ともっぱら外で済ませました。
今回はしっかりレストランの焼きそばを食べてしまったので、さすがにこれ以上は入らず、帰りには母と浅草に来た時必ず寄った「梅園」でお汁粉を食べる予定になっているのでよけい控えねばなりません。
舟和の芋ようかん、あんこ玉を売っています。(食べたいけど我慢我慢)
弓張り提灯、ミニ提灯、細工物の根付、草履下駄、扇子、刀剣、外国人用に売られている着物、オカメやひょっとこの面、ゴムで出来たゾンビの被り物と雑多だけれど魅力的な商品が所狭しと並んでいます。
一々のぞいて手にとって(これが良いかな、あれにしようかな?)と迷っているうちに
「あっ、お祖母ちゃんの買う店はここよ」
と娘が見付た。
見上げると「創業明治元年 木村屋本店」と書いてありました。そこで人形焼を息子達のおみやげに買い、本堂に向かいました。
途中、線香の煙がもうもうと立ち上っている所で「頭が良くなりますように、健康でいられますように」と煙りを呼び込むのを忘れませんでした。

本堂は観音堂と呼ばれご本尊は見えませんが、内陣でお賽銭を投げて家内安全を願いました。娘がお御籤を引き
「あれ~っ!凶だった。」
とガッカリしていたので、
「げん直しにお灯明をあげてから引き直したら。」
と薦める。
そして「吉」を引き安堵しておりました。
「馬鹿ね。私なんか吉が出るまで何度でも引き直すわよ」
◇ぜんざいとお汁粉
本堂を出て、未だ黄葉の残っている境内で写真を撮り、待望の「梅園」に入りました。入り口近くで食券を買うのに、ご膳汁粉、ぜんざい、と書いてあるので
「お汁粉とぜんざいと如何違うのですか?」と娘。
「ぜんざいは汁が無く、お汁粉は汁が有るのです」
と食券売りの人。
(なるほど、言葉通りなのか)と意外な答えに妙に納得してしまいした。
中は満席状態でしたが、何とか二人分の席が空いたので通されました。
娘は粒餡の汁粉、私は漉し餡の汁粉でそれぞれ小さなお餅が二つ入っていました。
外に出ると陽が傾き、夕風が冷たくなっていました。
まだ、しきりに客を呼ぶ人力車の車夫の声を背に、都営浅草線に乗り家路につきました。
浅草について調べていたら、こちらのブログに辿り着きました。私も先日浅草詣でをしてきました。(TBさせて頂きました)
年末年始は人力車のお兄さんも多かったですね。
娘さんお孫さんとの楽しい外出のご様子楽しく読ませていただきました。私も今度行った時は「梅園」によろうと思います。
私も「なつの天然生活」拝見させていただきました。ゆっくり読みたい記事が沢山ありました。これからも、伺ってゆっくり読ませていただきます
何度も見てしまいます。
Yってば美人なんだから・・
よかったらまたYちゃん写真を
アップしてください
ギョッとするトラックバックが付いたので。
猫に囲まれた写真で、雰囲気が気に入っていたのですが・・・
Yは努力はしていました。
努力は実ったかどうかは別にして・・・
美人とは風音さんのことをいうのですよ~。
いつの間にか年月が過ぎて行きました。
年を重ねるということ・・・今更のように重くひとつひとつ味わっています。
お元気のようですね。良かった!
お引っ越しもされたようで。
息子さん達と一緒ですね。
孫ちゃん大きくなったでしょう
いろいろ思い出します。
私も、くみっぺさんのお姿、拝見しているのですよ。
エネルギッシュなのは未だに変わりませんね。
年代によるお役目、誠実に果たしながら活き活きと過ごしていらっしゃる様子、素晴らしいです。
上の孫は中学2年になりました。
年を重ねる、という意味を つくづく味わっています。