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きっと忘れない

岡本光(おかもとこう)のブログです。オリジナル短編小説等を掲載しています。

「お祈りメール」に関する雑感

2018年01月15日 | コラム・論評
「企業から『お祈りメール』が舞い込むたび就活者は気落ちする」

企業から届く、「就職活動のご成功をお祈り申し上げます」で締め括られた不採用通知。丁寧な言い回しだが、冷たい不採用通知に変わりはない。希望に沿えないことを伝えた上で「末筆ながら今後一層のご健闘をお祈り」申し上げるのがお決まりのパターンだ。ご活躍やご健闘を衷心より「お祈り」されて、さようならだ。だが、就活生はめげてはいられない。たくさんのお祈りメールを受け取ってため息が出るけれど、内定通知をもらうまで粘り強く挑戦するしかないのだ。




下記の記事等で紹介されている「お祈りメール」という言葉を、あなたはご存知だろうか?

ネット発のスラングなのだが、上の記事にも記載されている、企業より不採用通知が来る際の定型文「ご多幸をお祈りしております」を皮肉った、ネットスラングの一つである。こうした言葉が出来る社会の現状自体、どうにも悲しい話である…。

僕自身、かつての景気の悪化の煽りを直撃しているのだが、世は「自己責任」時代である。頑張って生き抜く以外に、術はない。

だが、ぶっちゃけ、落とした側は、軽々しく不採用者の幸せとか今後を、祈ったりしないで欲しいですね!w



なお、下記の記事で、この「お祈りメール」ネタで遊んでらっしゃるので、そちらもよろしければ、ご覧下さい。

http://nikuch.blog42.fc2.com/blog-entry-230.html





マスコミの情報伝達の持つ効果とネットへの影響についての雑感

2010年02月04日 | コラム・論評

数年ぶりでこのブログを更新してみた。

見返して、飽き性の自分が100日間もブログを更新していたことに驚いたが、一部の記事のみを残し、大半は削除することにした。

以上、余談。

さて、昨年冬、島根県で起こった女子大生殺害および死体遺棄事件について、僕の個人的な見解を述べる。

この事件は日本の田舎で起こった一殺人事件として、発生当初の報道の扱いは、比較的静かなものだった。第一報道では、片田舎の通り魔事件的な扱いだったはずだ。ここらへんの詳細は、検索すれば、今でも大量の情報がアップされている。

しかし、被害者の氏名や殺害状況が報道され、捜査が長期化するにつれ、様々な憶測、予想がネットを駆け巡るようになった。関係者(容疑者ではなく)の氏名、所属までネットで公開されるという有様で、発生当初のネットでの騒ぎはちょっとしたものだった。

この事件に関し、ネットで散見されたのは「酒鬼薔薇聖斗」事件と関連するのではという意見だった。死体損壊の状況等からの指摘が多い。



それはいい。日本で猟奇殺人が発生することは稀だし、状況に類似点があるのも事実だ。

だが、類似点の指摘以上の…断言や確定的な分析がこうも見られるのは…一体何故なのか。そこまで無責任に、「断言」を公開していいものなのか。

それがネットと言ってしまえば、それまでだが…。

一週間で消える写真週刊誌や、一瞬で流れ終わるTV番組とは、ネットは本質が違う。

ネットは記事が残る限りそこに掲示され、発信を続けるメディアだ。ならばせめて「事件に対する断言」には、発信側が慎重になるべきではないだろうか。





未事件は、大抵、時とともに風化し、忘れたころに意外な犯人が逮捕され

「ああ…そういうのもあったね」 と人々の話題になり、そしてまた風化していく。

その時に「あれ間違いでした。すいませんでした」って訳には、いかないよね?

と思ったりするのだ。


斧とテレビのメディア論

2010年01月31日 | コラム・論評

2007年9月に京都で起きた、未成年の少女が父親を斧で殺害した事件の影響で、数本の
アニメ番組の放送が中止されている。

昔からアニメやマンガといったジャンルは放送中止や封印という処置が多い。
非現実的な描写が多い分、ドラマやバラエティーなどに比べ、事件との類似性
が際立つ場合が多いのだろう。

過去の封印作品は、その多くが外部からのクレームなどにより公開を差し止め
られている。こうした経験からか、制作側も次第に、自主的に描写に制限を加えるようになっていった。

近年は、事件が起きるとあらかじめクレームの発生などを防ぐため、提供側が自主的に公開を差し止める場合がほとんどだ。

多くの場合、こうした未公開作はDVD等により視聴可能とされるのだが…。
そうした処置すらも巧妙な営業戦略に思えるのは穿ち過ぎだろうか。



ともかく、放送にせよ出版にせよ、営利を目的としスポンサーの資金提供の
もと作品を提供している以上、ある程度の制限はやむを得ない。
だが、規制のギリギリのラインで制作された作品は、面白いものが多いのも事実だ。

こうした封印作品だが、ネットの普及による情報の共有化やDVD等による
再メディア化により、その多くが公的に、また非公式に陽の目を見ている。

特撮作品における「スペル星人」や「狂気人間」といったマニアには有名な封印作品は、多少気合を入れて
ネットで検索をかければ、今なら誰でも視聴が出来るだろう。



さて、自分が非常に気になっている封印作品がある。

「夕映えに明日は消えた」(1973東宝)という映画である。

完成はしているが一切公開もソフト化もされていないというこの映画、
内容云々より、絶対に視聴出来ないという事実が「見たい」という気にさせられる。