goo blog サービス終了のお知らせ 

駄文。

徒然と。

活力門。

2006年01月20日 00時11分04秒 | Weblog
最近話題やね。

ライブドアの粉飾疑惑。ニュースはホリエモンでもちっきり。

「堀江の限界か?」「ライブドアショック」「東証までダウン」

な~んだかな~、みんななんでそんなに大騒ぎするのかね~。

察するに

マスコミ「けけけ、ついにあの憎たらしいホリエのガキの弱点見つけたぜい」

年配経営者「ほら見ろ、たしかに儲けてるけどやつは間違ってる。俺たちの方が正しかったんだ。」

個人投資家「あああああ!あいつおもしろいから俺の小遣いかけて株買ったのにいいい、俺の金返せホリエーーーー!」

東証「こらホリエー!お前のせいでシステムがあっぷあっぷじゃないか!おかげで海外メディアにはバカにされるし、むっきーーーー!」

マンション疑惑で冷や汗かいてる野郎ども「これだ!ホリエでマンション偽装の注目を薄らげるのだ!」


ってな感じでしょう。みんな大人だから表立っては言わないけど要するに↑が言いたいんでしょ?中途半端に表に出てるから余計に醜い。どうせならはっきり言えばいいのになあ。

まぁ例によって毒づいてみましょう。

マスコミよ!ガキみたいなやっかみをやめなされ。イメージを操ろうとするのは卑怯だぞ。

年長者!いい歳こいて「鬼の首とったぞー」的なはしゃぎ方はないだろ。

個人投資家!今ならみんな株があがってるから働かなくても儲けられるぞ、なんて甘い考え、いい加減捨てぇよ。冷静に儲かる金がどっから来るか考えてみろ。90パーセントヴァーチャル。冷静に株式市場の正体を捉えてみよ。あちこちでプチバブルがはじけては儲かるやつと損するやつが出るゼロサムギャンブル。そこで情報力にかける個人なんかほとんど絶対的弱者じゃないか。たしかに今は儲かるかもしれない。でもいずれ負ける。そして必ず文句を言う。ギャンブルなんだからたいがいは負ける。そんなまともな覚悟のない奴にギャンブルやる資格なんかないさ。もっと自分の頭で考えて自分の責任で行動したらどうかね?ついでに言うと株より麻雀だ!

東証!まぁ頑張ってはいるんだろうけどどうにもお粗末なのは否めないなぁ。黒子はあくまで表に見えないから黒子としての仕事が成り立つんだろう。

マンション野郎・・・卑怯にもほどがある。ほんの100年ちょい前なら間違いなくハラキリもんじゃね?


まぁこんなもんか。ちょっと憶測で言い過ぎたか。まぁ独り言だからいいってことにしよう。


謎婆。勧誘。

2006年01月15日 22時42分44秒 | Weblog
姉さん、事件です。

僕はいつも通り近所の市民プールで泳ぎ終わって、一息いれようとミスドでドーナッツとコーヒーを買って席を探していました。すると突然

謎婆「ここ空いてるよ!ここ!空いてるから!!」

・・・怪しい。怪しすぎる。

ここはひとまず退却だ。俺は入り口近くの寒いカウンター席で凍えながらドーナツを食することにした。

安堵に浸りながら食していると、なんとあろうことかさきほどの謎婆が俺の背後であからさまに俺をうかがっているではないか。俺は窓ガラスごしに観察し、覗き込むように俺を見てくる謎婆と必死に目を合わさないようにしていた。

だが謎婆はまったく気にせず俺の隣に座ってきやがった。

うざい。うざすぎる。俺は落ち着いて美女でも観察しながら小説を読んで休憩でもしようとしてたのに・・・。

だがここまできたらしかたない、何が起こるか分からないがとことん付き合ってやろうじゃないか婆!

まずは婆の先制攻撃。

謎婆「あなたは神様って信じますか?」

来た。やはり来た。お決まりの宗教勧誘だな。さてどう攻めて来る?

謎婆「ヒュルリ~らら~ら~♪(約2分ほど謎歌が続く)」

WHAT!?( ̄口 ̄;)!!

謎婆「これはね、私の愛する神様がくれた歌なの。」

ま、まずい、意表をつかれた。体勢を立て直さねば。

謎婆「イスラエルとユダヤの少し上のほうにあるサマリヤっていう土地の神様なんだけどね、世の中には神様って1人しかいないの。あとほかの神様はみんなニセモノなの。」

キリスト系の新興宗教か?

謎婆「あなた日本の人?朝鮮から来て住んでる人じゃない?」

おあいにくさま。私の知る限り私の父も母も祖母も祖父も日本語のほかは関西弁しか操れませんわ。

謎婆「あら、そう?関西の人?訛ってるわよね。」

おろろ?おれ標準語使ってたつもりなのに。。。なんか悔しいから生まれも育ちも東京ってことで貫いた。

このあとしばらくまったく関係ない婆の地元の話が続いたのち

謎婆「世の中にはね、2種類の人間がいるの。唯一正しい神様の子供たちと、平気で殺人や略奪するような悪魔サタンの子供たち。」

よく聞く話です。ついでに彼女は自分が神の子であることを付け加えた。

謎婆「そして天の世界では神様の子供たちだけが居て、素晴らしい世界が待っているの。でも神様はサタンの子が溢れる現世をういてらっしゃる。サタンの子が滅びて、神様の子だけの世界になるように祈りましょう。」

相手の手の内は見えた。ずっと聞きに徹していたが、ここで反論に回ることにした。

俺「あなたは神の子なんですか?」

婆「そうです。だから私は天国に行くことが決まっています。」

俺「神の子は略奪も殺人もしない完璧な善人なんですよね?」

ばば「ええ」

俺「でもあなた今ドーナツ食べたでしょ?そのドーナツ作ってる小麦ってどこのでしょう?おそらく中国かウクライナかどこかでしょう。(←かなり適当な例だけど論理の道筋だけ追ってね)それ作ってる人どんな生活してるか分かります?まず間違いなくこんなおいしいドーナツなんか食ってないでしょう。こんな暖房のかかったとこにいないでしょう。こんないい服着てないでしょう。こんないっぱい車走ってるようなとこに住んでないでしょう。でもあなたはこんな便利な土地でこんな暖かい店でこんないい服でたった100円でこんなおいしいドーナツ食べてる。これって略奪してるって言わないんですか?」

婆「いや・・・それは・・」

俺「テレビとかで飢え死にしてる子供の映像くらい見たことありますよね?でもあなたはこうやってたらふく食って無事生きてる。同じ世界の隣人が食えずに死んでるのにですよ。これって殺人じゃないんですか?」

婆「・・・。」

俺「あなたはそれでも自分は神の子だと言い張るんですか?」

婆「私は神の子なんです。天国に行くんです。」

俺「なぜ分かるんですそんなこと?」

婆「だって私は周りの人たちにしばしば攻撃されます。サタンの子たちに攻撃される神の子なんです。」

俺「神だってサタンの子を滅ぼそうと攻撃してるんでしょ?なら攻撃されてるあなたがサタンかもしれないでしょ?」

婆「・・・。」

グウの音も出なくなった婆はなんと最後には都合の悪いことに対しては聞こえないフリをして


婆「あなたはきっと新興宗教か何かの神様を信じてらっしゃる。悪い空気が遮ってアナタの声が聞こえない。」

なぁんてことを言うようになり、ついに俺を勧誘することを諦めたのだろう。

婆「やめましょう。宗教論議をしても仕方ない。」

一応最後にこれだけは自信あったのだろう「でもあなたは間違いなく関西の人だ。」

そう言って自分のトレーを持って前居た席に戻って行った。



俺は決して神様を信じてないわけじゃない。むしろどこか最後には神に近い存在が控えているという考えだ。

でも今回の婆に対してきっちり指摘したかったのは

「世の中を善と悪に分けて、自分は善だと主張することの浅はかさ」なんですよ。

昔の自分がどこかそんな感じで、そんな自分を嫌いな分余計いやだったんだと思う。「投射」ってやつだろう。

「自分は善人だ」そんな奴が嫌いなんだと思う。自分のなかのそういう部分が顔を出したときふと自己嫌悪したりもする。

だから俺はマザーテレサとかそういう人を特別偉い人と思ったりはしないし、ことさら「善人」を美化して道徳の教科書に載せたりするようなことにも反対。

あえて極論するとマザーテレサだって自分がそうしたいからしただけ。他人を助けてないと落ち着かないからそうしてただけ。そう思うんだ。もちろん俺自身マザーテレサに会ったこともなければよく調べたわけでもないから多分に誤解があるんだろうけど、ようは「完璧な善人」なんてのは居ないと思ってて、「善人」を見るとどうもウサンクサイ気がするってこと。

自分を俯瞰すると、「善人」でも「悪人」でもある。誰だってそう。

だからといって「悪人」である自分に目をつむって善人ぶってもいけない。
だからといって「善人」である自分に目をつむって偽悪を振りかざしてもいけない。

善人でも悪人でもある自分を受け止めてそのうえで自分が何ができるのか、何をするのか、つきつめれば「何をしたいのか」考えるべきではないだろうか?

おっと語弊があるな。「考えるべき」ではなくて「俺は考えたい」。俺は自分がどういう存在で何をしたいのか自覚していたいんだ。なぜかは分からない。自覚していない自分に気づいた時自分が嫌になるからそうなりたくないだけ。なぜかは分からないから他人に自覚しなさいと強制はしない。ただ自分は自覚していたいと主張することで自分を守りたいだけ。

なんかだいぶ話が分かりにくくなってしまったからこれくらいにしよう。

ただ俺はこんな単純な宗教に完全に身を売ってしまう人たちがいることが少し悲しかったなぁ。

まぁ今回は一応論破できたつもりだし、改めて考えさせてくれたし、いい経験だったかな。


・・・・ん??朝鮮・・・サマリヤ・・・キリスト・・・サタン撲滅・・・まさかこれって例の統〇教会ってやつだったのでは・・・笑。


野洲!

2006年01月14日 12時02分05秒 | Weblog
野洲高校サッカー部って知ってます?

独特のチーム理念、プレースタイルで話題を呼び、かつ高校選手権優勝まで果たしてしまった今ホットなサッカー部。

ニュースの一瞬のプレーで魅せられちまったさ。1月9日の決勝ももちろん見たし。本当に見てて楽しかったし、感動した。

相手の鹿児島実業が対照的なチームとして相当の実力があったおかげでもあるんだろうけど、このチームはすごい!

とにかく型破り。フィジカルよりテクニック。戦術より個人技。規律より自主性。勝つよりも前に魅せる。強くより楽しく。高校だけじゃなくその先世界も見据える。

往々にして型破りな物は最後に正道に負けることが多いのに、このチームは実力つき。なんたってカジツを破って全国優勝。

なんで型破りな上に、楽しんでる上に強いんだ?ずるいだろ?きっと全国の高校サッカーの指導者たちはそう妬んでるに違いない。っていうかたぶん俺自身の中のどこかにもそういう意識があるから今こうやって文章にしようと思うんだろう。

おそらくそれは、山本監督が自分の信念を強く強く信じているから。周りの声に惑わされることがないからひたすら自分の信念を磨き続けることができる。

もしかしたら、「信じる」までもなく身に染み付いていているのかもしれない。

いずれにしろ、自らの経験の中で、自らの頭、体で信念を築き、積み重ねていった山本監督の力だ。

そしてその強い信念は選手たちにとっても強い信念として影響していったんだろう。

おそらく彼の信念では、上記のさまざまな対立事項はきっと対立なんかでは無いのだろう。すべてが筋道だってるはず。


全然世界が違うけど、俺が中学でバスケをやってたとき、俺が目指したバスケはまさに山本監督のいうものだった。

個人技はそこそこ磨けたし、ある程度楽しかった。でも何か足りなかった。チーム全般に影響を与えたわけではなかったし、特別強くなれたわけでもなかった。

何が違ったんだろう?才能なんてのは言い訳にしかならないと俺は思ってるからそうとは言わない。

じゃあ何だろう?たぶんそれは山本監督が強く「魅せる」ことに重点を置く点だと思う。

華麗な個人プレーを目指す心性は往々にして狭い自己満足に陥りがち。たぶん俺はもろそれだったと思う。

そこに陥らずに、真の強さ、楽しさに結びつけるには何が必要か?

それは「常に自分は見られている」という意識。自己満足じゃなく、周りも楽しくさせらるような華麗なプレー。

相当高いレベルだ。そのためには相当努力しなきゃいけない。でもその努力してる間ですら「見られている」。気が抜けない。全力でやる。

だれもが「あの人は何をやってくれるのだろう」という目で見ている。他人に頼ってたってしょうがない。自分で「魅せる」しかない。自主的に考え、計画し、練習し、実行する。

つまり、山本監督のすごいところは「自主性と社会性とを実に効率的に組み合わせている点」

いやほんとすごいわ。これからも期待してるっす、山本監督。



勉強。鍛錬。

2006年01月11日 00時00分16秒 | Weblog
久しぶりだから、せっかくやしもうちょっと。

最近はもっぱら受験勉強です。

そこで受験勉強につい書こう。

去年は正直受験勉強なんてしたところで無意味だし、そもそも勉強と受験勉強を区別すること自体バカなことだと思ってた。

事実自分でも受験勉強した意識なんてちっともなかったし、興味の赴くまま好き勝手やってた。

東大A判定の模試結果でも普通に紙飛行機にして優雅に飛ばしてたし。

でも今年はまったく違う。明らかに自分のなかで「受験勉強」というジャンルが確立してきたね。

というか、「勉強」と「受験対策」の違いがはっきりとしてきた。

これらはまったく独立したものではない。受験対策の奥には学問的な思考能力を養うための「勉強」が絶対条件としてある。

だから「勉強」は必要だし、「勉強」してたらおのずと点数は伸びる。これが去年の俺の状態。

さて、ここからが今年。

今年目指すところは去年みたいにのほほんしてらんねぇ。しかも現役と違ってもうアトがない。下手したら自分の夢がスタートする前に破綻しかねない。

つまり失敗は許されない。ここがいかんともおおきな違い。

ここまでくると、「勉強」だけじゃ達せない域なんだ。必ずしも結果が求められない「学問」と、必ず結果しか求められない「勝負」。

本番で平常心を保つ。ミスをする確率を減らす。時間を有効に使う。取れるところを確実に取れる。

こんなことはいくら学術書を読み込んでもできるようにはならない。

ただの工夫、技術、セルフコントロールだから。でもされど、技術。

だって仕事って結局のところ技術の積み重ねでしょ?職人にはミスは許されないよね?

「概念は分かってるし理解も深いから、計算ミスして悪い点とっても要領よく点とる浅はかな奴より賢いんだよ」

去年の俺なら間違いなくこんなセリフを吐いていた。

甘いな、俺。もっと厳しいんだよ。

ミスを減らす。確実にこなせる。そういう自信、余裕があれば無駄な脳のスペックを使わないで済むし、よりよいパフォーマンスができるようになる。自由でクリエイティブな発想を土台で支えてくれるようになる。

これが「鍛錬」ってやつなんだと思う。たかが受験勉強を1年してきただけだけど、たぶん多くのことに共通する本質なんじゃないかな?

新年。信念。NHK。星野師。

2006年01月10日 22時49分50秒 | Weblog
新年明けましたね。おめでとうございます。

久しぶりだなぁ、日記書くの。

さっきNHKの番組で「プロフェッショナル~仕事の流儀~」って番組を見ました。

これまた久しぶりにいい番組を見た気がした。

シリーズもので、今回は星野リゾートの星野佳路っていう経営者の仕事を追うものだった。

経営破綻した旅館とかホテルを再建してまわってる経営者。

最初見たときは、いい年こいてTシャツに黄色のメガネで薄い髪を必死に立ててなんとも無表情で、えも言われぬ不快感を覚えた。

「あぁようするに効率のよさを追求する典型的いまどきスタイルか。。。」

でも見ていくうちにぜんぜんそんなチンケなものじゃないって分かったね。

名門旅館の御曹司。アメリカで経営学を学んで外資の銀行で勤め、退職して跡をつぐ。

ここまでは順風マンパンすぎておもしろくともなんともないよね?

でも、星野さんはお得意のアメリカ式トップダウンの効率経営をしようとしたんだけど、ベテラン従業員達はそれに反発して次々に退職。

この挫折から今の星野さんが生まれる。

「どうしたら従業員が自分のもとで働いてくれるのか?」

ん~、やっぱり挫折を糧にできる人物が結局一番伸びるんだね。

考え抜いた結果、従業員に仕事をまかせ、従業員が自分で工夫し、従業員が仕事がおもしろいと感じるように促すこと。

これが一番いい組織なんだ、と。

そのため彼の口癖は「どうしますか?」

自分の意見にはけして固執しない。従業員達が考える「プロセス」をもっとも大事にする。

曰くビジネスに正解はない。なら正しさを求めても無駄。考える過程を求める。深いね。

だから彼が一番追求するのは従業員が共感する方針、コンセプトを立てること。

受付、予約、調理、接客・・・すべての代表者を集めてとにかく考えるよううながす。

考えろじゃなくて「どうしますか?」

最初はもちろん淀んだ停滞感が場を支配する。

でもしばらくするとポツポツと意見が出てきだして、やがて皆が信じられないほどイキイキした顔つきで次々にアイデアを出す。

そう、人間ってそういうもんなんだ!最初は戸惑うけど本質的にはみんな自分の頭で考えて、アイデアを出すのが楽しいんだ!

彼はそれを見抜き、かつその認識を信じて疑わない。だから信じてひたすらじっと問い続ける「どうしますか?」

やがて従業員の代表者達は自らのてでこれからの自分たちの方針を決めた。実に明るい表情。

たとえそれが途中で失敗しようとも彼らは絶対投げ出さず、さらなる工夫を重ねるだろう。

なぜならそれが自分たちで出したものだから。自分の成果でありかつ自分の責任であることを自覚しているから。

本当に強いのはこういう組織。間違いない。

ここで星野社長には最後の仕上げ。全従業員にコンセプトを伝える。ここでも彼は信念を貫く。

彼らが考えるように促すのだ。

でも代表者とまったくギロンを再生するわけにはいかない。そうしたところで結局彼らにはトップダウンになってしまうから。

はじめから会議に加えるわけにもいかない。そんなの会議にならない。

さてどうする?まさに星野マジック。クイズを出すのだ。

「この旅館でどんな客が一番満足したでしょうか?」

「どんな客が料理を楽しみにしてたでしょうか?」

「どんな客が団体の決定権を握ってたでしょうか?」

従業員はうなる。考える。答え。熟年層の女性だ。そこで聞いてみる。「どうしますか?」

当然こうなる「熟年女性のマルチオケージョン旅館。」

フィニッシュ。彼の仕事はこれで見事完結。従業員はみなコンセプトに共感を持ち、彼らの手で彼らの頭でコンセプトは実現されるだろう。

実に無駄のない運び。かつ皆に幸せを与えられる。まさにプロフェッショナルの仕事だった。

いやぁNHKもたまにはいいもん作るね。絶対来週も見る。来週は小児心臓外科医。テーマは「ひたすら治す人」。

ぴんぽ~ん!!!NHKさん、それっすよ!!まじヒット!そういうプロになりたいだ、俺は!

そのためにわざわざ東大生の肩書きを捨ててただの浪人生して不自由な生活してるんだ俺は!

星野社長は最後にこうしめた。「プロとは?常に完璧を目指す人じゃないですか?」

ひたすら腕を磨き、ひたすら治すことに情熱をそそぐ。常に完璧を目指す。それがたとえ苦行でもそれが自らの幸せ。そういうプロなんだ俺の目指す高みは。まだまだ道は遠い。でも絶対に上り続けるんだその高みに。

新宿。

2005年12月19日 01時48分10秒 | Weblog
今日は起きたら13時。またやってしまったね。

まず腹ごしらえをする。近くのファミレスに行ったのだが・・・たぶん2度といかないだろうね。

いや、部屋以外に居場所が必要な時は使うかもしれけどさ。純粋に食事用の場所としては消えたね。

なんでかって?まず料理がまずかった。まずいというか味が浅薄。見た瞬間味が予想できて実際それ以上のものは提供してくれなかった。

これなら自分で作った巣うどんの方がうまいし安いよ。。。しかも店員がバイトさんだけで酷使されすぎなのか知らないがみな覇気というかサービス心をもつ余裕がまずない。この前行った小汚い中華料理屋のおばはんの方がまだ思いをこめて接客してくれてたよ。元気が無い若い子より元気のある年増の方が魅力的なのだろうか。あ、そういえば俺昔から熟女好きだったような・・・・話がずれた。元に戻そう。とにかく外食するならうまくて安くて店員の笑顔が素敵な店がいい。

ああなんてわがままな注文だ。。。

しばらく本を読んで新宿へ。新宿の地理把握&彼女へのプレゼントの下見&親父の就職祝いのプレゼント購入&親父との待ち合わせのためね。

いやほんと新宿は分かりにくいわ。なんか駅の作りが悪い氣がする。俺が見知らぬ町を歩くときはいつも自分のなかで方位磁石を設定するのだがそれすらできないほど分かりにくかった。まあ地図を忘れた自分が悪いのだけれど。

彼女へのプレゼントは未定。

親父へのプレゼントは手袋で決定。そんなに安くはなかったが構わない。第一親父からもらってる金だからな。。。

そもそも俺は人にプレゼントをあげるのが好きな氣がする。いやあげるのが好きというより、品を選んだり、渡すシチュエーションを考えたりするのが好き。

たいがい自分には買わないような高価なものでも不思議とプレゼントには買えてしまう。自慢じゃないんだ。そもそもこんな誰も読まないもので自慢してもしゃあないし。

なんでだろ、人が喜んでくれるのが好きなのかな?もしかしたら心のどこかで人によく思われたいという欲が働いてるのかな?見返りを求めてるとか?

いや、そんなことはないはず。いやあるんだけどない。わけわかんないな笑

なんというか選んでるときは純粋に楽しんでるんだけど、渡し終わったあとに感情じゃなく理性で冷静に自分を分析しながら自分のおくに打算があるんじゃないか?って疑ってる。不思議だ。まるで自分が2人居るみたい。邪魔だぞ理性笑。

いや、まあ理性さんにはお世話になってるからなんとも言えないのだけれどさ。こんな場面ではいらないよ。

でも感覚で選んでる時点で打算がよぎりだしたら終りだな。そうなったら人にプレゼントなんてするのやめる。そうならないように、いつまでも半分イタズラ心で純粋に楽しんでプレゼントできる自分でいたいな。

雀荘。

2005年12月18日 00時01分50秒 | Weblog
おひさです。原稿が2日連続ぶっとんだためまた3日ぶりです。はぁ・・・。

めげるな俺、がんべれ俺。

昨日はふとしたことから友人と二人で初めて雀荘なるものに行ってきた。

フリーで打ってみようと思ったのですが・・・

いやぁ世の中甘くないなってつくづく思えるいい経験でしたね。店長が心配して見学を勧めてくれたからよかったものの・・・

もし強行して打ってたら最悪2万円くらい軽く飛んでしまう計算だもんね。

まず基本的に賭けは違法だからまず店員を始めみな緊張感が違う。

かつレートが高いうえにご祝儀制度があるし、ウマとオカだけでかなりの額がある。それに最低4ハンチャンはこなさないといけない決まり、かつ自動ジャン卓だからシーパイが不徹底なぶんみんなマンガンとか普通に出る・・・がくがくぶるぶる。。

こんな心理状況じゃとても勝負になんかならないや。もっと金、ギャンブルに対する覚悟と、場慣れを獲得するまではしばらくお預けだな。

でもいつかチャレンジしてみたいと思う。

極限の緊張感、その中で互いに身を削りながらの真剣勝負。これぞ人生そのものに通じると思うんだ。

みんな普段は意識していないけど、よく考えたらみんなそれぞれの寿命という時限爆弾を抱えながら、残された貴重な猶予時間を削ってるんでしょ?

お金、地位、女・・・だいたいのものは有限なもの。全体で見たらゼロサムゲーム。これを60億の人間で奪いあっている。

まさに命を賭けながら地球というジャン卓に向かって60億人で麻雀を打ってるようなもんじゃないか。

ただスパンが長いからそう意識しにくいだけ、真実はそう。甘えたくても甘えられない。自分の点棒は自分の力で増やしていくしかない。点棒が減ることはすなわち

命が削られるってこと。勝つしかない。他人にじゃない。たしかに他人に勝たないと点棒は増えないけど、それよりも大事なことは現実を正しくとらえることから逃
れようとする弱い自分に勝つこと。

なんて自分を鼓舞してみる。まずは今の自分の中途半端な状況を解決することに全力を尽くすこと。そのうえで自分の力で生きる力を身につけるんだ。絶対受かるぞ。

初日記!

2005年12月15日 13時17分11秒 | Weblog
3日目にして初日記。

いや、これには訳があるんですって。昨日も一昨日もちゃんと書こうとして、下書きもしてたのよ。
なのに。。。なのに。。。

画面が切り替わった瞬間原稿がふっとぶんだもん!!!!泣

もう、あれですよ。萎えですよ。無いですよ、ほんとさ。

まあというわけで今日は反省を生かしてメモ帳で下書きしてから投稿するのさ、おれ天才。


話は変わって、今日のこと。

午前中、フランス語のテキストを読みながら偽装マンションのニュースを見ていた思ったこと。

まぁ登場人物たちの醜さは言うまでもないけど、それより不思議だったのは国会で証人喚問する意味。

国会って事件を捜査する機関だっけ??そうしたら小学生が次々に犠牲になってる事件も調べなさいよ。違法風俗店も調べなさいと。制服を着て喫煙するバカ高校生達を起訴しなさいと。違うでしょ?なんで国会議員たちはあんなに喜んで刑事のマネゴトをするの?国会は立法機関。偽装マンションの被害にあった人たちを救済する法、こんな偽装が起こらないようなシステムを作る法、そういう法律を作るための下調べのための喚問ならいくらでもするがいいさ。
でもさ、あんなに何人も何人も質問して、議長もまともに仕切らないでダラダラ同じようなこと、まともに答えそうにないことを何度何度も聞いて。誰か一人にまとめなさい。どうせなら小泉純ちゃんと個人面談でもしたらもっと面白くなるよ。
確実にあれでしょ?議員たちにとってはパフォーマンス。んで、報道機関にとっては視聴者の関心を引くことができるいいショー。そんな風にしかとらえてないんだよ。
証人喚問が不発ぎみに終わったことを受けてキャスターはこう締めた。「これからもまた証人喚問して事実を明らかにしないといけませんね。」

ARE YOU SURE?まさかアフォでつか??

そんなことは捜査のプロたちにま~かせなさい。そして議員は議員の仕事をすべし。キャスターはアフォにならないように勉強しなさい。そして隣でのん気な顔してる自称専門家たちは専門家らしくしっかり正しくそしてキレのあるツッコミをマスターしなさい。なんかみんながみんな本分を忘れた甘ちゃんに見えて気分が悪かった。ああこんな大人にはなりたくないなぁ・・・と大人入門者は思うわけです。

というわけで、今から学生の本分(のひとつ笑)である講義に出席してきます。

所信表明。もとい。初心表明。

2005年12月12日 16時09分53秒 | Weblog
ついに始めてしもた。。。
誰が好き好んで日記なんか世に公開するもんかと思ってたけど。
よく考えたらひがなパソの前に居るからどうせ日記つけるならこれがラクなのね。
ということでgocciの第一法則こと「惰性の法則」(めんどくさいから後日詳述)よりブログを始めてみました。
ま、氣が向いたら更新してこっと。