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ウエディングフォトグラファーになる方法

ウエディングフォトグラファーになる方法。
写真学校で習うエッセンス、現場で必要な知識、プロカメラマンになる方法を公開。

僕の古びたフィルムと心風景

2009-04-14 17:37:37 | Weblog
ファインダーから見た心風景


知らない人は知らないが、知る人ぞ知る、
あの伝説のフォトグラファー、
グーフィーパパが、
カメラ・ファインダーを通して感じた心風景、

そして、時にカメラを持たず、心の眼のファインダーで捉えた53年の人生の原風景を回想し書き下ろす。

心の中にしまいこんでいた遠い記憶の断片は細切れのフィルム。
年月を経て、すこし変色してしまったカラーフィルム。
そんな心のフィルムを現像してみよう。

その写真を現像して引き延ばして見ると、遠く過ぎ去ったあの時、その場所に、タイムマシンに乗ってタイムスリップする。

父のカメラで、初めて写真を撮った日。
白黒フィルムを入れて、逆光の太陽光をバックに電柱を撮った。現像したら、夏の日の入道雲とシルエットの電柱とトランスが不思議な光景を作り出していた。私はそれに美を感じた。
まだ小学校低学年だったころ、まだ、ゼロ戦隼人、戦艦大和が少年雑誌で人気アイテムだったころだ。プラモデルをたくさん作ったが、そのほとんどが、ゼロ戦、紫電改などの戦闘機、大和、武蔵などの戦艦、航空母艦、戦車だった。

父も戦車へ爆弾背負って体当たり肉弾自爆攻撃で出撃する3日前に終戦。
当時の私の周りの大人たちは皆戦争を経験した大人たちだった。大阪大空襲、満洲からの引き上げ、シベリアの強制労働を本当に経験した人たちの世界だった。

当時、僕が、お正月に初詣に成田山不動尊に行くと、道端には、かならず、何人かの傷痍軍人の人が土下座して居た。手や足を戦争で吹き飛ばされたり、目が見えなくなった人が真っ白の着物を着て軍帽をかぶって傷痍軍人として人々のお情けをいただくという情景だった。土下座をする人の横には必ずアコーデオンやハーモニカで「♪ここは~、お国の~、何百里~♪」の悲しい調べを奏でていた。

父は、給料の2カ月分を払ってカメラを買ってもっていた。なかなか、私には触らせてもらえなかったが、時折、許しを得て持たせてもらった。ずっしりとした重み。シャッターボタンを押すと、「バッ・シャ!」という重厚なシャッター音が鳴った。いまも耳の奥に蘇る。そのカメラは今は行方不明になってしまった。その父も、そのカメラも、もう見ることはできない。
当時、暇があれば見ていた写真集がある。当時の私の身長からすれば、とても大きな写真に見えた。A4サイズの毎日グラフだった。ページを広げると自分の体の半分くらいの大きさの大パノラマを見ているように感じていた。そこに白黒写真が広がっていた。
一番印象に残っているのが、父の本棚にあったその毎日グラフ(写真雑誌)「昭和の戦歴」だった。第二次大戦の従軍カメラマンの戦場写真集だ。その題は、「帝国軍人の日本兵も人間だった。不許可写真集」だった。
従軍記者が撮った写真だったが、軍が掲載を不許可にした写真集だった。
友を担いで逃げる兵など、それが現実であったが、軍としては戦意高揚にはならないと不許可になり、没原稿にされた写真たちだった。本来なら陽の目を見ずに廃棄される運命であったろう。しかし、敗戦したことで、毎日新聞社がその写真を引っ張り出して、戦場の現実を語る貴重な写真集としたのである。

夏の暑い日に、汗をふきふき、扇風機を回しながら、A4版の白黒写真のその戦場写真集のページをめくっていたあのころ。窓の外の蝉の声がジージー、シャーシャーとうるさかった。カルピスとスイカをかじりながら、半ズボンとクレープのランニングシャツで、腹ばいになって、畳の上に広げた毎日グラフの各ページに広がる写真の光景の中には、砂塵の中で地べたに必死で這いつくばっている兵士、ジャングルの行軍する兵の足元で、泥水の中で鉄兜と軍服を身につけたまま白骨になっている兵士のクローズアップ、銃剣でさされた捕虜がグアッと口を開けた瞬間の光景、地下豪に隠れながら、煙が立ち上がって敵に見つからないようにと、ろうそくの火で飯盒を炊こうとしている兵士の顔の表情と、ろうそくと、飯盒のズームアップ。 中国大陸のある夏の日のカンカンでりの太陽の下、乾いた砂ぼこりを立てながら傷ついた戦友を背中に背負って、飛んでくる弾丸の中を豪に向かって必死の形相で逃げ込んでくる兵士を豪の中から先に入っていたカメラマンが撮影した写真などなど。 帝国軍人としてではなく、軍服をきることになった魚屋さんや学校の先生達が、普通の人間としてそこで必死で生きようとしていた姿が記録されていた。
場所は中国戦線、シンガポール、インドネシア、ビルマ戦線、ラバウル島、他、名も知らぬ島や大陸の地。

いろんな場所に送り込まれ、そこで、それぞれの運命をたどることになった人びとの生き様、死に様を、銀塩フィルムに必死に撮りとめた従軍記者魂。その魂の叫びに感動しながら、その同じ視点に立って、まさにその時その場所に自分がいるように感じていたあのころ。

細切れの記憶。
それは、まるでひとコマの35mmスライドフィルム。
そのスライドフィルムを拡大鏡でのぞいてみれば、目の前に、ドーーンと大きくその時ファインダーで見た世界が展開する。
あの日、あの時に、時空を超えて自分が舞い戻っている。
ああ、確かにあの時、こんな光景だった。そして、その時、僕はそこに生きて、そこで何かを感じていたんだ。とっても大切なことを感じていた。
その記憶が走馬灯のように脈絡なく蘇る。
きっと、皆さんもそんな経験がございましょう。

私のそんな心風景を脈絡なく随想的につづってみたくなりました。
誰のための役に立つでもないが、
ただ、なんとなく語ってみたくなりました。

聞いてくれた人は、きっといい人です。

こんな話にお付き合いいただき、ありがとう。

さあ、はじまり、はじまり・・。

グーフィーパパ

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