らくがき絵日記

日々のささいな事のらくがき
あるいは、本当のらくがき

一時間待ちの法則

2009年01月30日 21時09分43秒 | 乳がん治療
さっき書いてた文がマウスを動かした拍子に消えてしまった。えーん。

なにを書いていたかというと、予約時間の一時間前から受け付けているから、朝一番に受付た人から順番に一時間待ちで、一時間待つのを覚悟していけばそれなりに過ごせるということ。

こう毎週行って、一時間は受付け前に座っているとウロウロしている人を助けたくなってくる。余計なおせっかいをしないようにしないとね。


とりあえず、傷があと少しで治るまでになった。来週診て、放射線を始めましょうというとこまで進んだ。今日は残ってた小さいかさぶたを取ってもらって、治ったときの形が分かるようになってきた。手術跡はそれなりに愛おしい。


骨密度が若い人も負けるぐらい大丈夫とのこと。
ちょっとぐらい減ってもスカスカになる心配はないから良かった良かった。

そういえば、カルシウム不足になるからと妊娠中に牛乳たっぷり取ったら、息子の歯がでかくて矯正する必要になったんだよね。(歯は全部胎内で作られる)きっと余ってたんだ。

金曜は雨

2009年01月30日 08時09分17秒 | 乳がん治療
今日は病院と歯医者
先週は病院
先々週は歯医者
全部雨だった気がする・・・

今どのバッグにするか考慮中。斜めかけバッグにしようかな。
そうそう、去年のいつごろからか右の肩にかけた斜めかけバッグが首と背中にわけの分からない痛みを感じさせていた。もうその頃から乳がんが育ってたんだろうか?週末父母の会に行くのに重いバッグを持って電車に乗ると背中がすごく痛くなってもいた。いろいろ理由をつけていたけど、いまになるとそうか~って感じですっきりする気がする。現実には、出かけてないし重いもの持たないようにしてるから、原因と結果の判断は出来ないけどね。

右で重い物がもてないからと左で重いものをいっぺんに持ってしばらく歩くと動悸がしてくる。根性なしの左は耐えられないのか!?

自己診断は駄目だよね、どこまで気のせいか病気か分からない。
乳がんは痛くないとかは違うし、しこりの手触りは最後の最後まですべすべの気がしたしね。あまりに玉石混交の情報が入手できるから、その分迷いも多くなってしまう。やはり定期的に検査をするのが一番なんだろうと思う。変化も分かるしね。

でも、何年か前にあんまり体調が悪くて(あの頃は更年期?)、人間ドックをキャンセルしたことがある。(場所も遠かったしと言い訳)あのとき検査を受けていたら、どんな最悪のデータだったんだろう・・・体重も今より5キロ以上太ってたな。

あと2~3キロ痩せたい。というか少しずつ痩せるつもり。入院してたときの食事が1400カロリーで毎食ご飯は100グラム。そのときのメニューが今自分の中で基準になっていて、もちろんカロリーは計ってないし、適当にお菓子とかも食べてるけど、なんとなくこれ以上食べたら駄目だというのを感じ取ってセーブ出来る。放射線治療で毎日病院に通うと運動量も増えて、体脂肪も減るといいな。明らかに出かける頻度が減っているからねぇ・・・減る筋肉増える脂肪なのか・・・


自然に勝てるのか

2009年01月29日 19時21分59秒 | 絵日記
ぼんやり本と同時に見てたTVでホワイトライオンを野生に戻そうとしている活動(だと思う)らしき映像になって、一番ライオンの好物をといってトラックから牛がどんどん出てきたのにびっくりした。でも、餌を自分でとったことのないライオンたちは一週間飢えを我慢したあと、空腹でフラフラしながらやっと狩をして分け合って食べれたとのこと。そのあと、イボイノシシを追いかけているときに親ライオン(だと思う)が穴に落ちて死んでしまった。というたぶん海外ノンフィクション。

最初をキチンと見てなかったから、意図が良く分からないけど、ホワイトライオンは種としては弱い存在であり、人間が自然から連れ出したものを自然に帰そうというのはものすごく不遜なことのような気がする。


乳がんの遺伝子的要因の研究があり、アメリカでは遺伝的に乳がんのなりそうな人の乳房を予防的処置として全切除することを行うようになってきた。みたいな記事を読んだことがあって、自分が手術を受けた人間としては手術のリスクとそのあとのハートの部分とかをどう考慮してるのか疑問に思った。何もしないで生き続ける可能性と受けるダメージの大きさとを比べ、なおかつ発症する確率が100%ならともかくだよね。それに医療はどんどん進化してるから、30年ぐらいたったら手術をしないで治ってしまうかもしれない。それまでは生きてないだろうな・・・

それに、なんかそうやっていらないものとして危険因子のものを消していけば長生きができるということが遺伝子の研究の目的になってしまい、リスクの高い人間は生まれる前に消してしまうという発想ににならないで欲しい。でも、たぶん、自然は人間の小手先の操作で生まれ変わったりはしないと思う。タミフル耐性ウィルスだってホンの一年で遺伝子を組み替えてしまっているのだからね。


今日自分の親の死んだ年齢が一つの節目で目安だよね。という話題が出て、私は母親が早かったので何も言えなかった。でも、その時何歳だったかな?57ぐらいかなと不確かな記憶で適当に思ってもうすぐでコワッ!と不安を覚えていた。今、ちゃんと考えてみたら、今の私の年齢ごろに子宮癌で手遅れになってしまったんだ・・・・・・・・・・・・・った・・・・・・・!

とりあえず、この年齢は乗り越えられそうだ。(お母さん、都合のいい神様、どうか役立たずの娘をお守りください)





ぼんやりしすぎ

2009年01月28日 13時31分18秒 | 絵日記
駐車場代用の振込みカードを忘れ、明日も明後日も振込みに行けないなぁとネットで振り込む。
一日二つぐらいしか用事が済ませられない。忙しくないとそうなんだよね。


前から自動車保険のCMで電話の会話に嫌な感じを持っていた。
今日はすごく引っかかった。
「今はなんでもネットなのね」(明らかに還暦過ぎた声)「ネットですよねぇ」(オペレーター)ってタメ口じゃんね。
親しみやすさを演出してるつもりだろうけど、私だったらムカッと来ると思う。
CMは可愛い娘だけど、顔が見えてない電話は気をつけようと自戒を込めて思う。

メルアドも大変

2009年01月28日 09時43分23秒 | 絵日記
迷惑メールがgooのメールでも多くて、というか迷惑メールだけしか来ない。去年の終わりぐらい(入院前のいろいろな作業の一環で)、PCの日常に使ってる一番古いメルアドをあまりにも迷惑メールだらけなのでメルアド用だったプロバイダ自体解約してしまった。一番最近のメルアドに統一したのだけど、その際gooは連絡用アドレスはそれなのでいいやとほっておいた気がする。

なんか昨日急にgooの登録アドレスはなんだろうと調べてみたら、今のアドレスの前のアドレス(プロバイダがなくなって今のに)で変更しようとしたら、決済パスワードが分からない。きぇ~~~!郵送で確認後パスワードが郵送されるんだ~~
それだけ管理がされているということだからいいんだろうけど、免許証をコピーしようとしたらインク交換が必要になるし、封筒に入れようとしたら三つ折で入らず折り目だらけになるしと朝からそんなことで時間が過ぎていく。
連絡用アドレスも確認作業が済んでなくて、しようと自分宛メール送付したらエラー!!?朝見たら来てたのはなんで?

私としては文脈の中で普通に使ってる言葉に過剰に反応して(機械的に反応するようになってるだろけどね)、いやらしい危険なサイトに誘導しようとするコメントがついたりメールが来たりするのは、毎日じゃないにしろ削除する手間さえ不快だよね。

gooのメルアドも遅ればせながら変更したから当分は何も来ないんだろう。

春がくれば・・・

2009年01月27日 13時14分28秒 | 乳がん治療
昨日クレーンを使って公園の高い木の枝を落としていた。毎年毎年切り込んでも芽吹き豊に緑を見せてくれる木々はすごいねぇ。

私の給与の確定申告をしないといけないな。
息子の矯正の医療費控除用に歯科医から領収書を貼る紙を貰っているけど、確定申告の本をちらっと覗いたら、私の分の保険金も旦那が保険者なので相殺されてしまうみたいで駄目みたい。全額払ってなくて良かった。といっても今年の分も駄目だろうな。まだ、入院手術通院の分の保険金と高額医療の戻り分とかで矯正の分はカバーされてしまう。
もともと、矯正は自費で医療費控除になるとは思ってなかった(子どもで治療が必要な場合は出来るみたい)から、いいんだけどねーーーお金の貯めれない性格。


そうそう、昨日の入院記録の中の費用は全部健保の家族三割負担の金額。

入院は全部で自費負担分(室料・センチネル検査)を除いて大体150000円ぐらい。その後の通院は診てもらうだけだと210円だし、3で割って10倍しても関わっている医療者の数を考えれば病院が質を維持していくのは大変なんだろうと思う。もちろん患者の支払いも大変なんだけどね。

今フェマーラというホルモン剤を飲んでいて、処方を書いてもらうのに200円、薬が7日分のときは一錠250円ぐらい28日分のときで215円ぐらい。まぁ計算しやすく一錠200円として一年間で73000円かぁ。5年は飲み続けるはずだから・・・10年のみ続けたら・・・


そうだ、胸帯について書いておこう。
ネットで検索すればネットで買えるサイトもあるので、どうしようかなと思ったけど、病院の売店で売ってると言うので入院した日に買いに行った。
そこで、T字帯(手術のときのパンツの代わり)(326円)の横の胸帯(そのときは他のが見つからなかった)(1050円)を買う。
手術前に袋のまま看護師に預けたのでどんな胸帯かわからないで、手術のあと巻いているのをみたら、さらしを何枚も右左と重ねたようなものだった。それはそれで役割は果たしていたのだけど、若い看護師や先生にはどう巻いたらいいかわからないようで、(確かに私にも分からないうえ、ぐるぐる動いているうちに一番上の紐が意味不明のものになってしまい持っていかれたしまった。)、片肩にかけてマジックテープで留められるものを売店に捜しに行った。よーく捜すと何種類か(全サイズはなかった)あって、ちょうどサイズの合う右用があったから良かった。ドレーンをはずす前に洗濯用がないとと両側OKというのも買った。あとで買ったほうが高くて3780円。前のは領収書がなくていくらか分からないけど、3000円ぐらいかな。
私は(年のせいか)何年か前から化繊だと汗をかいたときにかぶれてしまうので、最初のさらしが一番気持ちが良かった。二個目のはかぶれなかったけど、三個目のはかゆくなってすぐはずした。
先生がドレーンをはずすときに、もう胸帯はしなくてもいいと言ってた。

傷のところのバンソコウをはがしたら、四角く皮膚が赤くなっていた。

退院してからは西友の綿100%のソフトブラをしている。そこに傷の部分だけガーゼをはさんでる。これの前開きのは先生に診てもらうときもパッと診せれるので便利。一応先生には皮膚がチリチリするのでこれで大丈夫か聞いてみたけど、あくまで私の場合なので誰でもOkではないかもしれない。
わたしは一応Dカップなので、このブラをしてれば左右ほとんど違いが分からない。


入院のときに使ったお金は新聞代雑誌代とペットボトルのお茶と水(水は薬を飲むことがある場合用に買っておいたほうがいいかも)ぐらい。活字中毒なので毎日雑誌を買いたかったけど、買ってもいい雑誌は4日目ぐらいで尽きてしまった。


お金の話のついでに、保険の申請のための診断書は一通6300円だった。はじめに書いてもらおうとしたら、受付の人に一回6300円もしますけど入院後にしますかと言われた。
外資の保険だからもらえるときに貰っておこう(保険会社はイマイチ信用できない)と告知されたとき分を入院前に受け取りたかった。請求して5日後までに支払いますとなってたのに、入院前に振り込まれたないと思ったら、延滞金がついて振り込まれた。
県民共済の5日目から8日目の分の入院給付は診断書もいらず領収書のコピーと自分で書いた申請書だけでよく、出してすぐ振り込まれた。

こうやって書いててだけど、ひとりとして同じ癌の人はいないのだから、体験談に惑わされないで欲しいと思う。いろいろな情報は(私の書いたことも含めて)あくまでも参考にして、自分自身を見つめて理解して欲しいなと思う。
私は負けないつもりだし戦っていくけど、いつ再手術になってもいいように入院グッズはまとめてしまってある。
いつだって、頑張れ自分!!



胸レントゲン

2009年01月26日 22時10分54秒 | 乳がん治療
そういえば、手術前のいろいろ検査のとき、胸のレントゲンも撮った。胸のレントゲンで右向いてくださいと言われると、すぐに逆を向いて直されてしまう。なんか右と言う言葉に反応して右を板に付けてしまうんだよね。しかも素早く。

検査の中には今後の数値の変化を見るために取っておくものもあるから、この前の骨密度だって何回もチェックして大丈夫かを見るためのもの・・・といっても、最初から数値が悪いと出来ない手術や治療がでてくるのだろうけどね。


腰は治ってきた。シャワーをいっぱいあてたら、なんか傷の固まったとこが取れそうだから引っ張ったら取れた。取れたとこに切れた糸が刺さっていた。だいじょうぶそうだから、いいことにしようっと。

春節

2009年01月26日 18時53分52秒 | 絵日記
アジア各地では旧正月のお祝いでにぎわっている様子が海外ニュースに流れている。香港か上海のニュースで各国から新年のお祝いが届いていますというのがあって、アメリカヨーロッパ各国からも新年のお祝いメッセージが紹介されていたが、日本からのメッセージはないようだった。

両院協議会の前に自民党の大島国会対策委員長が、両院協議会は簡単に済ませるものだ。国民に大切な予算案を人質にとるようなまねはさせないみたいな言い方をしていたが、国民にとって大切な予算で給付金なんだから、一方的に下品な言い方で参議院を無視するようなことを言っていいんだろうか。本当に自民党の議員は国民に対してより党内を向いて発言しているなと思う。
昨日の総理大臣杯にコケそうだった総理大臣もかっこ悪かったしね。(本当にこけたらまんがみたいで面白かったかもしれない。)

停滞できる幸せ(入院の記録)

2009年01月26日 09時04分15秒 | 乳がん治療
仕事に行かないで一日ゴロゴロ出来る幸せ。
今日は腰も痛いし何もしないと決めれる幸せを噛締めている。

今日は私の乳がんの退院までを思い出してまとめてみようと思う。
私自身沢山の検索をして、自分の決断を助けてもらったから、もしかしたら誰かの役に立ってもらえたらうれしく思う。

1.最初に違和感に気づいた頃。
8月の終わり頃、パソコンをしていて右胸右腕が熱く重たい感じがした。具体的に言うと、キーボードを打つ右脇がこすれる感じかな。、右乳を触ってみると全体に硬く腫れているようだったけど、パソコンのやり過ぎと思っていた。嫌な感じはするけど、10月に人間ドックを予約していたのでそのときに詳しく調べてもらおうと思った。

2.それから人間ドックまでの様子。
9月は子どもの学校の行事の父母の会のこともあり、気にはなっていたが腫れも収まっているようでしばらくは気にならなかった。ただ、ゴルフの練習をしたときや、忙しすぎたときに右の乳の中がチクチクする感じがした。そっと触ってみると硬いしこりがあるような気がした。そのころは人間ドックで見てもらえるからとまだ癌の可能性は考えないようにしていた。

3.人間ドック。
10月に入ってすぐ人間ドックを受け、内診で硬いですねと確認された。横目で見てた超音波の画像がくっきりとしたのう胞の形に見えたので、癌ではないと信じたかった。が、人間ドックを受けたクリニックの留守電が何度もあり、事実と向き合いたくなくて、ちょっとほって置いてしまった。でも、再検査に来てくださいということで、マンモと細胞針検査(両方で15000円ぐらい)を受ける。結果は誰か一緒に来てもらっていいですよと言われる。これって!?と思うが、仕事帰りの夕方だし、一人できますという。

4.翌週、検査結果。
大きさは2cm、90%癌と告げられる。半分覚悟はしていたから、次にどうするかが頭の中をグルグルする。抗がん剤と手術の二つの方法があると言われる。息子が高2で来年受験なので、一番影響がないようにしたいと言う。それなら、手術してそのあと放射線治療をしても春には元気になるのがいいんじゃないかと。
その後をどうするかと3つの病院を告げられる。ここで私がラッキーだったのは先生が地域の拠点がんセンターの先生で、家からも一番近いからその病院を選びたいというと次の日の検査の予約をその場で入れてくれたことだと思う。それに、このクリニックで検診を受けたのも、主人がここ何年か受けていて会社の担当の人が今年はここにしますかと聞いてくれたからだった。
悪いのが1%でもあったら悪いと覚悟を決めた。さすがに涙が滲んできたが、涙を流しそうになったのはこの時が最後で、それ以降は良い結果になるよう前向きに行こうと決心する。

5.再検査(7000円ぐらい)
もう一回細胞を採取して検査にまわす。今回は、違う先生で超音波を受けながらの採取。人間ドックのときと形が違っている気がした。しかも、もう一つ増えていた。奥のほうで、難しい難しい(たぶん判断が)という声が聞こえた。先生に「乳がんの人はたくさん採っていますが、普通サクッという感じですが違う感触なので粘液癌かもしれない」と言われた。確かに最初のときも液が垂れてた。もし、そうなら、予後がいいみたいだからと秘かに喜ぶ。
主人が付いてきてくれる。

6.CT検査(4日後)11月に入る。(10000円ぐらい)
細胞の検査結果の前にCT検査を受ける。CT検査室にはベビーカーが入っていったり妊婦さんがいたりと、自分の情況は軽いもんだなと思った。

7.翌週、再検査結果。
二つ取ったのう胞の両方から同じ癌細胞が出たと言われる。CTの結果、肺肝臓の転移はないとのこと。
手術はいつがいいかと聞かれ、息子の期末試験が終わった次の週を予約してもらう。
先生が「乳がんは術後10年診ないといけないが、自分は5年しかここにいられないので主治医は再検査の細胞を取ってくれた若い先生に替わります。」と言ってくれる。

8.12月。骨シンチ、血液検査、呼吸器検査、心電図。(全部で23000円ぐらい)
11月は仕事が忙しく、12月に入りすぐ手術前のいろいろな検査をいっぺんに受ける。
骨シンチは全身の骨を調べ、腫瘍があったりするとそこに骨が集まっているので黒く映るということ。もし、骨に転移があったら、もう対症療法みたくなってしまうみたいで、まさかと思いながら(背中が痛かったりすることもあり筋肉痛なんだけど)一番不安な検査だった。乳房以外に転移していたら手術はもう出来ないらしいから、やはり早期発見が大切だと思う。
血液検査はウィルス検査・腫瘍マーカーの検査もするので、5本取ったと思う。
呼吸器はもっと出るはずとおだてられ、肺活量3000達成。心電図も異常なし。なのになんで、息切れ動悸がするんだろう(山は登れない)??

9.手術10日前。各種検査の結果と手術の説明。
ホンのちょっと悪玉コレストロールが多いだけで、正常。乳房の癌以外はまったく問題なし。最初にもともとの先生が説明してくれ、がん保険の初めて癌と診断されたときの診断書(10年以上前に身内に癌が多いのでがん保険に入る。更新のときにいつのまにか最初に診断されたときの給付が増えていた。ラッキー)を書いてくれ、これで僕の担当は終わりです。頑張ってくださいと励ましてくれる。
「本当に先生と出会えて良かったです。頑張ります。」と伝えられて良かった。

主治医から詳しい説明を受ける。乳管内が癌でそれが侵出しているしこり。その同じ癌が乳管を通して広がっているということ。
目を見てキチンと質問にも答えてくれる。
センチネルの説明。40000円の実費(病院によって違う)で治験に参加してもらえますかと聞かれる。少しでも、自分の経験が後の人に生かされればいいなと思いOKする。(いまから思うとセンチネルしないとリンパを全部取ったのだろうか)
もし、迅速診断で癌の広がりが大きい場合、乳房の変形が大きく再建したほうがいい場合は全切除にしてもいいですかと聞かれる。それは任せますと言う。
すでに、手術を決めた時に、自分で執刀できないのだから、信頼すべきだと覚悟を決めていた。まな板のうえの鯉だからね。たぶん私はめちゃくちゃ開き直れてしまうんだと思う。文句を言っても替えようのないことは受け止める。流すことが多いけどね。

10.入院まで
仕事先父母の会約束があった友人に手術のことを話す。みんな理解があり応援をしてくれるので感謝。周りに乳がん経験者も多く、みんな頑張っているのでより励まされる。風邪引いたら手術予定が延びるんだからとみんなに注意される。
がん保険の給付金をあてに入院用の買い物をしまくる。金銭的不安がないだけストレスが少ない。
家族は男二人なので、料理はするなと言っておく。お皿や鍋釜を洗わないといけないと思うと嫌になってしまうので、チンで食べれるご飯や紙皿各種を大量に買い込む。(リンパ転移があった場合。最大二週間入院の予定)幸いなことに住まいの近くにスーパーコンビニホカ弁と沢山ある。
入院が近くなるにつれ、しこりの感触が乳がん検診のときの見本のざらざら感を感じるようになった。

11.いざ、入院。
旦那は何回も半休を取ったり、明日の手術に休みを貰ったりで今日は一人でバスに乗ってスーツケースの小さいのをゴロゴロさせて病院へ出発。雨も上がった。
これまたラッキーなことに、申し込んでいた四人部屋が満員なので個室で良いかと言われる(四人部屋の料金)。(一回個室の贅沢を味わってしまうと駄目だね。これから入る保険金は貯金して今後に入院に備えようと思っている。)
入院手続きの窓口がめちゃ混みだった。小さい子どもが待っているのをみると、心が痛い。息子の親知らずを抜きに行った病院でも、点滴台を親に押してもらいながら「きょうはおわりでしょ」っと前を通っていく子どもを見たときも辛かった。
溢れそうな入院待ちの人の中でしばらく待ち、迎えに来た病棟看護師に連れられ入院部屋に入る。
麻酔科に呼ばれ麻酔科の説明を受ける。下剤を飲む。消毒液・バンソコウのアレルギーテストを受ける。先生がどうですかと顔を診にくる。
ハイ大丈夫です。ありがとうございます。よろしくおねがいします。
個室なので、誰も電気を消しにこないけど、自分で9時に寝る。
夜、寝れないときは導入剤を出しますからねと言われるが全然平気だった。眠りは浅いけど。

12.手術当日。
朝センチネル検査の注射。すごく痛いですよと言われ、本当に今までで一番痛かった。通常は2時間後写真撮影らしいけど、すぐいいのが撮れたということで終わり。迎えに来ると看護師が言ってくれていたが、自分で病棟に帰りもう行かなくていいといわれたと伝える。自立した患者を目指そう。
点滴の前に着替えましょうねと看護師が言ってくれたけど、その前に点滴(朝から食事抜きなので)を持ってチームの若手先生が現れる。
午後手術予定なので、何時になるか分からない。と、昼ごはんは食べられないとぼんやりしてると昼過ぎに眠くなる薬を飲んでくださいとくる。そのあとは、手術室に入っていった記憶がぼんやりあるだけで、次の記憶は順番がはっきりしない。

先生「予定どおりです。」

旦那「帰るね」(旦那に言わせると、手術室の前で待っていたら先生が「予定通りです。少し大きく取りました。見ますか。」と言われ、いや~とためらっていたら
持ってますと見せられた。脂肪の塊だった。とのこと)

私「足のマッサージが気持ち悪い」(エコノミー症候群予防のため両足にマッサージ器がグーンとしてる)誰かが「これは・・・」と説明しようとするのに、私「聞きました」・・・

寒いようだからと電気毛布。夜中に暑く気持ち悪いとはずしてもらったような・・・

時計がなく何時か分からないのが辛かった。

翌日11時ごろ、先生が来て管(心電図・導尿管・足マッサージ)が抜けたときはホッとした。でも、点滴は夜まで抜けず、ドレーンも付いていた。

13.退院まで。(8日間入院)
ドレーンをはずしたら、次かその次の日に退院ということで、検温・血圧・血管の酸素量検査をして、回診を受け傷をみてもらうの繰り返し、毎食キチンと残さず食べ、就寝起床時間を守り、ひたすらドレーンが抜けることを待っているだけだった。

手術後4日目、朝の回診で急にドレーンの量が減ったのでつまったのかもしれないから様子を見ますと言われたので、土曜日だったから旦那とグダグダしてたら、主治医が午後に現れドレーンを抜いていく。痛くないですよと本当にスゥーと抜けていく感じだった。担当看護師が見つからずと先生だけで早業。外に待っていた旦那が月曜か火曜どちらでも好きなほうで退院していいですと言われた。というので、日曜に荷物をほとんど持って帰ってもらうことにする。

病院のスタッフはみんな感じが良く快適に過ごせた。ただ、一人だけ、交代のとき名乗らないし、横着な看護師がいたので軽く戦ってしまった。個室のドアは自動で閉まるので他の看護師は自分の血圧計を持って入るときにドアは閉まるのだけど、何故かドアストッパーをつけ開けたまま入ってくる。個室のみのフロアだから男性患者もいるのに、ドレーンを抜いたあとのガーゼを見てくれと言ったら開けたまま見ようとするので、『外から見えます』と注意する。だいたい、先生が「大丈夫だと思うけど、もし沁みてたら看護師に替えてもらってください」と言ってたんだから、自分から見せてくださいと言わないかとも思った。次の日も、お通じの回数を廊下から大声で聞くから、一回目無視する、二回目『そんな大声で言わないといけないのか』と逆らう。たぶん鈍感なだけなんだろうけどね。指摘すると、あっ!と思うみたいだから、いい看護師になってもらえれば戦ったかいがあるね。

退院当日は先生が忙しくて、指示は出てるのに書類が整わずお昼を食べた後もじっと待つ。持ってきた本を全部読み終わって売店に行くのも億劫で、活字がないのが辛かった。息子が予備校に行く前に帰りたかったのに、暗くなり雨が降りそうになってから、タクシーで帰宅。運転手がずーと自分の病院の経験を話し続けてるのに、職業病かついついうまく話を聞いてしまう。運転手にどなたか入院ですかと聞かれ、私ですと答えているのもおかしい。

自分の両親はもういないから、一人で入院して一人で退院することは当然で、なんの心配も不安もなかった。この前、習い事のお仲間とランチをしてとき、身内の方が世話をしてると思っていたと言われて、みんなそう思ってたんだなと気づいた。


つけていた記録と記憶を頼りにまとめてみた。
私の場合は運が良かったり周りの人に恵まれているので、自分に出来るのは体調を整え戦っていく気力を保つことだと思っている。


山山山

2009年01月25日 09時59分02秒 | 乳がん治療
やっと傷も小さくなっってきた気がして、手術後硬かった感触も良い感じになってきたと思って気分はいいんだけど・・・他の部分に支障が出始めたようだ。

昨日は喉痛いし、してはいけない体操をしたようで胸筋が洗濯物を干した後痛むようになった。半日ベッドで休んだから、良くなったけど、夜中にはすごーい鼾をかいてたと起されるし、さっきからぎっくり腰!!まだ来ていない雑配水管掃除のため、朝から洗濯機周りや洗面所台所の排水周りを片付けたのがたたったんだろうな。ちょっと左のほうに腕を伸ばしただけでギクッときた。

ほんとパソコンなんてしてる場合じゃないよね。って、雑配水管掃除の人が来たときに旦那に相手をしてもらうために引っ込んでいる。

でも、ふわふわした感触が戻ってきて本当にうれしい。頑張れ自分!!



汗が・・・

2009年01月23日 18時10分26秒 | 乳がん治療
雨で寒そうだからとセーターにカーデガンと暖かくしていたら、病院の中もだけど午後晴れてから暑かった。一枚脱いでもハイネックの中に汗がくっついて気持ち悪かった。

骨密度は骨盤を使って測るのだった。帰りにはなんか疲れてしまい、今は腰がだるい。

今日の病院はなんだか深刻な感じで、私なんかとりあえず命に関わるわけじゃないからというわけじゃないだろうけど、結構待たされた。(通常一時間待ちだから、それ以上になるとまだかなと思ってしまう)先週は早かったからいいけどね。

傷がまだグジグジしてるところがあるから、また来週見せるだけ・・・良くなってたらいよいよ放射線かぁ・・・どのくらいでOKか自分では分からないというか、どうのように傷が治っていくのかがまだ見えてこない。先生が満足げだからいいんだろうとじゃんじゃんシャワーを浴びせている時は面白い。糸が出てきたりして、勝手に切ってはいけないだろうと今日切ってもらったけど、やはり自分で切ってはいけないらしい。引っ張ったら抜けるときは抜いてしまおう(抜いていいかは聞くのを忘れた。一回すでに引っ張ったら抜けて持って行ってるしね。)。

副作用もどこまでひどければ副作用か分かんないや。どっちにしろ、更年期の症状みたいのは前からたまにあるしねぇ。いいかげんな私はいつどこでどんな風にとか覚えてないし、気分のせいかどうかも良く分かんない。そんな気がするとそんな風になってしまう気がするのが自分の中で一番原因に思ってしまう。動悸とかは特に気にしないと平気なんだよね。あー、書いてること自体が訳分かんない!

一日冷たかった

2009年01月22日 21時33分15秒 | 絵日記
止んだかなぁと思うと霧雨。
足元が冷たかった。
今日は仕事。といっても、喋ってるばかりだけどね。週一でも、用事がないとどんどん出不精になって、朝から着替えないでゴロゴロしてしまう恐れが大だなぁ。
太らないように頑張らないと!

ネットスーパーで大根を昨日半分買ったら、先週注文した宅配食品の中にに丸々一本の大根が・・・しょうがないから玄関に置いてしまった。やっぱ、ぶり大根かなぁ・・・


わぁ、「やきいも~」の声が外から聞こえる。焼き芋は高いし、口の中がもぐもぐになってしまうので、好きじゃない。


明日は骨密度検査だ。なんか楽しみに感じるのは変かなぁ。でも、きっとすぐは教えてもらえないんだろうね。骨シンチ検査のときは万が一転移?と不安もあったけど、いくらなんでもスカスカということはないだろうとお気楽な私だ。病院行くのも楽しくなってきている私は変なヤツと自分でも思う。今は落下直前のハイテンションなのかな。


寒くなかった

2009年01月21日 15時58分22秒 | 絵日記
昼になって外の見える部屋に移動したら明るく晴れてきてるので出かけた。

重装備して出たから逆に汗をかき、フラッとして動悸がしたような気がする。なんかそう思うと動悸を感じる気もしてしまう。返す本を持って、銀行を回って(ふと気づいたらお金の入ってない方の財布だった)、本屋に行って図書館に行ったら動悸。単なる運動不足。それとも・・・副作用?・・・でもねぇ(と副作用とは思いたくない)、図書館では結構いつも気分が悪くなる。本屋でもクラッとすることがあって、下を見たり横を見たり上を見たりするのに遠近両用のメガネが対応してくれない気もする。度が会わなくなった気は前からしてるし、老眼を入れる前に階段から3回落ちたこともあったな・・・最近読書用メガネじゃないと読んでるうちにぼやける視界!単なる齢のせいかぁ・・・

さむぅぅぅ

2009年01月21日 10時57分36秒 | 絵日記
図書館に予約の本を取りに行く予定だったけど、ちょっとパソコンしているだけなのに寒いから外に行くのは止めた。

今はネットスーパーという便利なものがあるからねー


オバマ新大統領の就任演説は胸を打ち、我々も一緒に頑張ると思えるものだと思う。

それにひきかえ(比べるのさえ恥ずかしい)、国会の質疑はどうにかしてもらいたい。あまりにもくだらない答弁をそれだけピックアップするマスコミも止めてほしい。沢山沢山報道されると、それが悪いことなのか良いことなのかがぼやけてしまうような気がする。確かに読み間違えた首相もどうかと思うけど、そんなこと延々と朝から晩までニュースで流すから、昨日の漢字テストなんかが国民にアピールできると勘違い(ただ、あながち勘違いではないのが夜から朝にかけてどんどん映像がテレビに流れる)が大手を振っている。

確かに、選んだ国民のせいなんだろうけど、全員辞めて欲しくなる顔ぶれだよねぇ。

それに、議員にも定年を設けるべきだよね。

一院制は絶対反対。いまだって、自民党独裁になっているのにどうしようっていうんだろう。制度を替えるのなら、首相の直接選挙だろうがと思う。
Weと言えない我々はつまんない。


思い出した

2009年01月20日 16時31分34秒 | 乳がん治療
「猫のゆりかご」(話の中身は説明できないあいかわらずな記憶)

出かける途中で途切れた記憶が浮かぶことが増えたなぁ。
活性化できない脳細胞なんだろうなぁ。

ランチは高級ランチコースで久しぶりにサラダバー、オードブル、魚料理、肉料理、パン、デザート、コーヒーと沢山食べたから、お腹が張ってる。帰りにいつも途中で寄る大きい本屋にも(風邪引くといけないし)やっぱり疲れを感じて寄れない。まだまだ退院して一月たってないんだ・・・


38年前に乳がんの手術をした叔母と話す。昔はなんでも全部取ってたからね。それでも、頑張ってるから負けないようにしないと・・・
やっぱり、なんて運の良い子だと言われる。(都合の良い神様と周囲の皆様に感謝)

いろんなブログとか見てると誤診されたりしている人もいて、そういうのはツライ。

病理検査の出る前に、抗がん剤の可能性も考えた。副作用で髪がごそっとお岩さんのように抜けるかもしれないなら、ベリーショートにして鬘用意すれば良いと前向きに考えれば良いやと思って何日かして、まつげも眉毛も抜けるんだと気づいた。眉は描いたことがないのにどうしよう!?とちょっとあせってしまった。顔洗うだけの毎日だからねぇ。鏡もチラ見。年にはみえない肌とみんなに煽てられ、いい気になってたある日(去年)近々とじっくり見てシミそばかす(若いときはいくら日焼けをしても出来なかった)にショックを受け化粧水を買ったのにほぼ毎日つけるのを忘れてしまうほどズボラだから、眉描くのを忘れて出かけそうじゃんね。

最初の検査結果の話のときに、取った部分のぎりぎりにがんがあるので。全切除しますか放射線で様子を見ますかと聞かれ、すぐに手術は嫌だなと「様子を見ます」と答えた。先生がここでは取りきってないと考えますがアメリカでは取りきったことになりますというので、OKOKアメリカのほうが進んでるからとすぐ前向きになってしまう私。

患者は良い方良い方へ考えたがるし、先生は悪かったときのことを一番に考えるのだろうなとは思った。本当は取って終わり、後は運任せでもいいやと少し思ってしまう。でも、がんと戦うと決めたから、自分の体だから自己管理してリスクを減らしてベストを選択して戦っていこうと改めて思う。