今日、仕事から帰宅して、ふとケージを覗くと
お気に入りの巣箱の傍で、そらが倒れていました。
気付いたときにはすでに息は無く、冷たくなっていました。
しばらくの間、手のひらに抱いていましたが
そらがいなくなったということに実感がわかず、
涙も流さずに、ただボーっとしていました。
最期の姿は、「安らかに」というより、
苦しんで助けを求めているような顔でした。
「暖かい場所に埋めてあげよう」と思った瞬間、
何かが切れたように、涙が溢れてきました。
「ごめんね、ごめんね」そんな言葉しか出てきません。
今でも、こうしてパソコンに向かっていると
隣のケージでそらが元気に回し車を回す音が聞こえてきそうです。
もうすぐ1歳を迎えるところでした。
こんなに小さなそらを、一人で苦しませて、
一人で死なせてしまったことを、心から後悔しています。
そらが発していた小さなSOSを汲んであげられませんでした。
最後に見たそらは、大好きな回し車で元気に走っていました。
もっと早く、新しい回し車買ってあげればよかった、
もっとお部屋をきれいに掃除してあげればよかった、
もっとそらの好きなもの、食べさせてあげればよかった・・・
ごめんね、ごめんね・・・
考えれば考えるほど、自分がそらに何もしてあげれなかったことばかり
思い出し、後悔せずにはいられません。
そらは、私の分身のようでした。
私が元気ないときは、そらも元気が無くて、
私がストレス溜まっていると、そらも同じようでした。
そんなそらは、私の心を癒してくれ、
いつも励ましてくれました。
そんなそらのことだから、私が新しい生活に慣れ
落ち着くのを待っていたのかもしれません。
そらは瀕死の状態になった時、
私が不安定な状態だったのを知ってか知らずか
みごと回復してみせてくれたことがあるからです。
そんな優しい子だったと、親バカながら思います。
そして、そんなに可愛いそらを亡くしてしまったことに
悲しみと涙が止まりません。
自分を責めても、そらは戻ってきませんが、
自分を責めずにはいられません。
そらが家に来た日、1年前の7月25日。
鹿児島の天気は曇でした。
そんな曇り空と、毛色が似ているね、ということから
「宙」と書いて「そら」と命名しました。
ペットショップで一目見て、手のひらに乗せた瞬間、
「この子だ!」と思いました。
手のひらで、毛繕いしていた幼いそらを今でも憶えています。
そらがいなくなった現実は、少しずつ受け止めていかねばなりません。
でも今は、後悔ばかりで、自分を責めずにはいられません。
お気に入りの巣箱の傍で、そらが倒れていました。
気付いたときにはすでに息は無く、冷たくなっていました。
しばらくの間、手のひらに抱いていましたが
そらがいなくなったということに実感がわかず、
涙も流さずに、ただボーっとしていました。
最期の姿は、「安らかに」というより、
苦しんで助けを求めているような顔でした。
「暖かい場所に埋めてあげよう」と思った瞬間、
何かが切れたように、涙が溢れてきました。
「ごめんね、ごめんね」そんな言葉しか出てきません。
今でも、こうしてパソコンに向かっていると
隣のケージでそらが元気に回し車を回す音が聞こえてきそうです。
もうすぐ1歳を迎えるところでした。
こんなに小さなそらを、一人で苦しませて、
一人で死なせてしまったことを、心から後悔しています。
そらが発していた小さなSOSを汲んであげられませんでした。
最後に見たそらは、大好きな回し車で元気に走っていました。
もっと早く、新しい回し車買ってあげればよかった、
もっとお部屋をきれいに掃除してあげればよかった、
もっとそらの好きなもの、食べさせてあげればよかった・・・
ごめんね、ごめんね・・・
考えれば考えるほど、自分がそらに何もしてあげれなかったことばかり
思い出し、後悔せずにはいられません。
そらは、私の分身のようでした。
私が元気ないときは、そらも元気が無くて、
私がストレス溜まっていると、そらも同じようでした。
そんなそらは、私の心を癒してくれ、
いつも励ましてくれました。
そんなそらのことだから、私が新しい生活に慣れ
落ち着くのを待っていたのかもしれません。
そらは瀕死の状態になった時、
私が不安定な状態だったのを知ってか知らずか
みごと回復してみせてくれたことがあるからです。
そんな優しい子だったと、親バカながら思います。
そして、そんなに可愛いそらを亡くしてしまったことに
悲しみと涙が止まりません。
自分を責めても、そらは戻ってきませんが、
自分を責めずにはいられません。
そらが家に来た日、1年前の7月25日。
鹿児島の天気は曇でした。
そんな曇り空と、毛色が似ているね、ということから
「宙」と書いて「そら」と命名しました。
ペットショップで一目見て、手のひらに乗せた瞬間、
「この子だ!」と思いました。
手のひらで、毛繕いしていた幼いそらを今でも憶えています。
そらがいなくなった現実は、少しずつ受け止めていかねばなりません。
でも今は、後悔ばかりで、自分を責めずにはいられません。