
人は、人間は、幸せを求める存在である。
ブリタニアの少年、ルルーシュが望んだことも
小さな幸せでしかなかった。
少なくとも、行動の根源には人として、ごく当たり前の
とてもささやかな願いでしかなかった。
「罪」と「罰」、
「運命」と「裁き」
ルルーシュの前に立ちはだかったのは
自らが生み出した過去であり
人が人であるが故の憎しみか…
それでも今は、感謝すべきであろう
そう、少なくとも人は
幸せを求める存在であることに
一縷の望みは、洗なる願いは
絶望からこそ生まれいずる・・・
「魔王の死で世界が救われた。」
すべての悪を一人で受けて死んでいったルルーシュ。残されたナナリーは・・・。
ルルーシュの目的はただ、ナナリーが幸せになれるやさしい世界だったはず。それが実現したとき、そこに君がいないのは本当に悲しい。
両親の押し付けの選択はルルーシュ自身にも当てはまることに気づいてしまったのだろう。だからこそ
「大事なものを遠ざけ」
すべてをひとりで背負う覚悟をしたんじゃないだろうか。
大事な仲間を大事な友人をカレンを、そしてナナリーを冷徹にあしらう事によって、自分との関係を否定し、罪が及ばないようにしたんだろう。
コードギアスは私の知る限り最高傑作でした。
最終回が終わったときのこのどうしようもない喪失感はいったい何なのでしょう。
今までこれほどに「心の中心にぽっかり穴が空いたようだ」ということを感じたことはなかった。
この作品にはいくつかポイントがあると思います。
人を自分の思い通りにすることができる「ギアス」
「自明の理」を否定することにより、逆に現実を帯びた世界感。
今の世の中にはない「熱狂」「身分制度」。
「軽く扱われる命」
この作品では命というものが本当に軽いものだった。第一話での初めてのギアス。
「死ね」
これはほんとに衝撃でした。狂喜の目で自分の首へ銃口をあてがい、簡単に引き金を引いてしまう将校。
多くのお話ではここで主人公は気を狂わしてしまうものですが、ルルーシュは違った。満面の笑みを浮かべていた。
いや、しかし、これもまた気を狂わしたことに違いないのかもしれませんが、自明の理を否定するのと同様に巧みな演出でした。
これらは人の根底にある欲望や狂気をうまく駆り立てていたように思います。
「オール・ハイル・ブリターニア!」
や
「イエス、マイ、ロード!」
の叫びには心熱くされます。
視聴者はみな一度は叫びたくなったのではないでしょうか。あの熱狂の群集の一人になったように感じたはずです。
戦闘シーンでは戦略と戦術を巧みに使い勝利をもたらすゼロはまた、その熱狂をうまく演出していました。
しかし、ゼロになる前からやさしい世界は本当はもうあったんだと思います。学園での生活がそれではないでしょうか。
それに気づいたのが屋上での花火のシーンであり、それを目指したためのカレンが捕まったときの、あの心からの叫びと思える「諦めるな!必ず助けてやる。」だったのではないでしょか。
みんながいるあの生徒会室が優しい世界の体現だったように思います。
そしてこれもまた、すばらしい演出のひとつだったのではないでしょうか。高校生活というものは誰にとってもそれなりの思い出があります。そういった点でも何かしらの懐かしさや思い出を彷彿とさせ、作品に共感が生まれたように感じます。
キャラ、ストーリー、黒い主人公の最後。
どれをとってもコードギアスは最高の作品でした。
でもやっぱり、ルルーシュのいない日曜日はさびしいですね。
ところで、扇が首相はねーだろw