旅・伊豆(太郎杉・天城)
語録00
・ある意見が広く受け入れられているということは、
その意見が正しいという証拠にはならない。
実際、人類の大半が愚かであるということを考えれば、
広く受け入れられている意見は馬鹿げている可能性のほうが高い。
byバートランド・ラッセル
・大胆不敵に戦った人間なら、
英雄をほめたたえるのに声を惜しまない。
みずから火と寒冷に苦しまなかったものに、
人間の値打ちが悟れるわけがない。
byゲーテ
・つねに素直に語れば、
卑しい人はあなたを避けるだろう。
byウィリアム・ブレーク
・人を黙らせるには、
まず初めに自分で黙ることだ。
byセネカ
・人から嫉妬されてこそ、本物である。
by金庸(中:作家)
・遊んで暮らして損をするほうが、
全然遊ばないで暮らすよりマシだ。
byジェームス・ターバー(米:作家)
イスラエル・ヨ-ロッパ旅行の締め。
★ドュッセルドルフの友人訪問も終えて、
帰国の途に着く時、ドイツ(ヨ-ロッパ)は猛烈な寒波に見舞われ、
オーストリアで飛行機を乗り換えるとき、
飛行機が1時間ほど送れたので・・・、スチャーディスが私を呼ぶ。
荷物を降ろすことが出来ずに、私と手荷物だけが、
空港敷地の四駆のジ-プに乗り込む。
飛行場の端から端までを、雪上を突っ走り・・・、
待機していた飛行機(既に猛烈なエンジン音)のタラップを昇り・機に搭乗し、
席に着いたとたん・一気に離陸した。
何か映画モドキのシーンであった。
荷物は次の飛行機が運ぶとのこと。
ギリシャのアテネ空港でその旨の説明を受けたが、
なんとなく釈然としない。
(後日、旅行団の1人が帰国途上、受け渡しの荷物場で・・・、
荷物がない・・・後日後の便でと言われたが・・・遂に手元に届かず。
旅行中の記録・写真・お土産等々・一切無しとのこと。 東京会合での後日談)
たまたまJALのカウンターがあったので、
再度・日本語で詳しく聞き、
受取場所・手順も繰り返し確認した。
リムジンバスに乗り、
アテネのリムジン到着バス停前面のホテル(一番近いホテル)泊にした。
フロントで手荷物しか持っていないので不信に思われ
、説明すると・・・、
気の毒ですね!と同情された。
予定時間がかなりあったので、
夕食を近くで美味しいレストランはないか聞くと、
正面レストランが大変美味しいと示した。
そのレストランで、1番と2番目に美味しい料理を聞き、
オーダーすると誠に美味しいニ品の料理であった。
食後・時間がかなりあるので少し仮眠。
仮眠により体調もすこぶる良好。
リムジンで再び、空港に向かう。
指定された場所にて待っていると・・・、
プラカードを持って叫んでいる男が現れ・・・、
英文字が1字違う・・・、
多分あの人だと思い、私の名を言い問いかけると・・・、
オー! OK! OK! と応答。
感謝し・・・荷物を受け取り、ホテルに無事到着。
フロントの人・・・、荷物と一緒の私を見てVサイン。
OKサインの取り交わし・・・。
グッスリ眠り・・・、翌日帰国の途に就く。
帰国ルートは、往路は北回りで、復路は南周りであった。
アテネ→ドバイ→バンコク→成田。
※最後のエピソード・・・。
バンコクで一時給油・・・。
空港ロビー内で椅子にて休息していると、
中年の婦人が私の肩を叩き・・・、
手を取って・・・、グイグイ引っ張る・・・。
初めは強引に引っ張って行くので・・・、
何が何だか分からなかったが・・・、
途中で・・・、
彼女は、我々が発着する便のインフォーメーシンを英語でするので・・、
それを日本語で・・・、マイクを通して・・・、
搭乗する旨を・・・、
話して欲しいと・・・。
納得し・・・、インフォメーション室で・・・無事・役目も終えて・・・、
機内に搭乗。
まだまだ、エピソ-ドは一杯ありましたが、
このぐらいで・・・・。
ドュッセルドルフ
深夜に無事親友宅到着。
その夜はすぐに就寝。
旅の疲れがあり、熟睡。アットいう間に翌日。
朝食後・・・友人はN社へ出勤。
私は、ドュッセルの街へ一人ブラ旅。
街並みを物珍し気にウインドウ・ショッピングとシャレコンダが、
冬場のドイツは寒い。
飼い犬と散歩の人が多く、一緒の犬はいたって大型犬。
その犬たちは良く躾けられており、
最初は大型犬故にすれ違う時は、
ドキリとしましたが、その立ち居・振舞いに関心しました。
温水プールに行くことにしました。
友人が面白い光景に出くわすよ!と言いましたので、
寒い散歩から方向展開し、
室内プールに行きました(泳ぎには自信あり)。
驚いたことに、若い方々はおらず、ビアダルポルカの男女の老人達が、
泳ぐのではなく、プカプカと浮いているではありませんか?
健康管理のために温水プールに来ているのです。
プールの端から端まで・・・何往復かして、
早々とプールを切り上げました。
店頭に美味しそうなフランクフルト・ソーセージセットが、
目に入りカフェに入る。
ソーセージの大きさは半端ではない。
またその美味しいこと、大満足でした。
ドイツ人が満杯のビアホール兼レストラン。
どデカイ豚肉の塊・ムール貝のドンブリ一杯の盛り合わせ。
そして、長靴型の大ジョッキーの生ビール。
どデカイ豚肉の塊とムール貝、ビールの完食をすると、
凄いなーと友人感嘆!
今まで日本人で完食者は初めてとのこと。
夕食後は・・・、ドイツ人と肩を組みながらの大合唱。
夕食後帰宅し、少しくつろぐ。
再び、外出。
深夜のビル屋上での夜間テニスへと繰り出したのです。
そこで、H会社勤務のO氏(故)と、
一緒にテニスを2時間ぐらい行った。
★後日談として、
O氏家族が日本に帰国・・・。
親友から自宅購入と教会の斡旋依頼あり、
両方受諾・完結する。
家族ぐるみの交際は現在進行形でもある。
①9時~5時(会社・残業無し→残業すると、ドイツ人が怒る)
②自宅・家族間での夕食
③夜間のテニス・スポーツ等・・・日常・三分割生活。
但し、日曜日は誰もおらず、ガランとしている。
大聖堂に・・・日本人教会の40人程の礼拝(間借教会)。
クリスチャンは、90%以上とのことですが・・・??
アウトバーンの体験(時速150km以上の走行体感)、
アムステルダム、アンネ・フランクリン(アンネの日記)の部屋見学。
絵画展見学、風車風景と両側海・海の中を道路が走っている。
されど、ところどころに物体の塊がある。
車を止めて見るとカモメの死骸。
高速走行故にブレーキを掛けると自動車事故に繋がるので、
路上のカモメをそのまま跳ね飛ばしていくとのこと。
(カモメの死骸のその大きさに驚く!)
●オランダで宣教師宅に私だけ一泊宿泊。
(余談2)
しかし友人がドュッセルドルフの空港に迎えに来ているし、
飛行機で40分ぐらいだと、雪中の中・バスでは何時間かかるやら。
親友は絶対空港で私が到着するまで待機しているので・・・。
私だけ(日本人は私のみ)がドュッセルに向かうことになりました。
ボ-イング727・乗客は貴方だけなのですが、
VIP待遇をするというのでした。
機長とスチャーディスのヘッドが私の所に来て・・・、
搭乗者は貴方だけであり、乗らなければ飛行機はここで終わり。
搭乗するなら、一人でもドュッセルへ飛行すると答えてくれた。
私は空港で友が待っているので、ゴー・サインでOKかと、
再度意志を伝える。
機はドュッセルへ・・・フライトすることに決定。
隣の座席のドイツ人男性・乗客達に・・・Good Luck!!!・・・。
お別れの挨拶を為し、再び機内の人となったのでした。
(VIP ボーイング727の貸し切り。Air Hose One並みに出発)
・・・人生で恐らく2度とない体験でありました・・・。
機内のスチャーディス全員が集結。
飲み物は何でも注文してくれと言い、
20人弱のスチャ-ディス全員に囲まれ、
ある方曰く・「ハ-レムの気分」は如何?
飲み物・新聞・キャンディー等々。
何処の国から来て、何処へ行ってきたのか?
ドュッセルドルフへは何をしに行くのか?
歓待と質問攻め!!!
ドュッセルドルフには相当遅れて・・・午前1時30分ぐらいに到着。
乗客は私だけが到着出口に出てくる。
・・・友人・他の乗客は・・・???
・・・これまでを掻い摘んで話す・・・。
たった一人でボ-イング727を飛ばした、
貴重な体験でありました。
※昔・・・高校・大学と一緒の親友(横浜)が福岡で結婚式・披露宴。
その時の披露宴司会を頼まれ・・・、初めての福岡入り、
仕事の関係上往復飛行機で九州へ立つ。
無事責務を果たし・・・、
帰路の飛行機(福岡~羽田)・搭乗前から非常に強い雷雨が、激しく襲い掛かってきた。
乗客は少なく・・・、何故か全員私の周りに乗客が集まり恐怖の中での懇談会模様。
・・・事故もなく、羽田に無事到着。
その後、その乱気流体験が飛行機搭乗に際しての一つの目安(乱気流時の安心基準)になった。
しかし、今般のドュッセルドルフ(ドイツ)行の飛行機体験は、想定外の基準であった。
私のその後の安心基準は、これ以来・・・数段のレベルアップをしたのでした。