高岡会館で教学聖典試験を受けました。その日の
最高齢は、80代の女性、二千畳でよく挨拶をする吉川さん
70代の畑山さんと、5年ぶりに一緒に教学試験を受けようと
声をかけあい挑戦、勢いよく鉛筆を走らせておられました。
教学聖典は、1冊が50問、聖典1から9までありますが、
長文もあり、2時間以内に50問書き上げるには、若い人でも
なかなか大変です。今回は、繰り返し受験している方が多かった
ですが、時間までに書き上げるには、真剣勝負で緊張感が漂い、
尊いご縁でした。
真実の教学は、信前の者には、求信の指針となり、
破邪顕正の宿善となる。
信後は、信味を深め、報謝の大活動の源泉となる。
言葉をかえれば、学問教学をすればする程、増々
真実の尊さが知らされ、信心に命がかかってくるの
である。 (白道燃ゆ)
人は何かを信じなければ生きられません。明日もあると「いのち」
を信じ、まだまだ元気だと「健康」信じる。夫や妻、子供や親、
金、財産、名誉、地位を信じていきています。生きるとは信じる
こと。ところが、信じていたものに裏切られて、たちまち苦悩
に襲われます。しばらく続いても、いざ死の巌頭に立てば、財産も
名誉も一時の稲光り、不滅の光はどこにも見られません。
すべてがそらごと、たわごと例外はないと教えられます。
さればこそ、「弥陀の本願のみぞまこと」
「弥陀の本願以外にこの世に確かなものは何もない」
と親鸞聖人90年、唯一のメッセージです。
その親鸞聖人のみ教え、阿弥陀仏の御心を親しく学ばせて頂ける事を
もったいなく思います。
なかなか計画どおりに進みませんが、努力して研鑚したいと
思います。