奈良県にある
日本最古の神社といわれる
玉置神社にて・・・
http://tamakizinjya.hp.infoseek.co.jp/
「運」について・・・考えてみました。
今まで教わってきたこと、学んできたこと、
実際に体験し見聞きしたことを
ゆっくり時間を掛けて思い返してます。
☆『運気』
まず「運気」というモノがあるそうですね。
その運気を動かし勢いをつけると良いそうです。
その運気の「気」は「気づき」だと思いました。
今まで“どんな人でも、どんな状況や形であれ”
生きてきくるには少なくとも食べているのですから
多くの生命の犠牲があります。
生きたくてもそれが出来なかった人もいます。
七五三といわれるくらい、
昔は三歳五歳七歳の節目まで生きながらえるのは
難しかったそうです。
何らかの環境や偶然の奇跡や、
何かの加護やおかげさまの上で
生かされているのだと思います。
奇跡の上に立ってこれたという
「運の良さ、強運の持ち主であること」に
気がつき感謝するエネルギーが「運気」と考えてみました。
難しい表現や綺麗な表現をはぶいたとしても
「今生きてる」と感じるだけで運気になるのだと思います。
(運気というモノが実際はどういうモノか解りませんが)
自分には運がある事に気づくことが
「運気」だということです。
☆『運動』
教わってきた中で「運は動より生ずる」というのがあります。
道教の教えで「運動」の語源だそうです。
まず、動くことらしいです。
新学期や社会人スタートのとき
髪を切るのも気持ちをリセットして
新たなスタートをするためらしいですね。
新たなスタートはつまり新しく動き出すためでしょう。
焦ってやみくもに動くのは考え物ですが、
まずどんなことでも動くのが良いらしいです。
明るい、新たな、ありがとうの気持ちで
動けたらそれはすごいことだと思いますが、
なかなか心底悩んで落ち込んでいるようなときは、
心も体が動かないモノです。
だからこそ、心底悩んで落ち込んでいるようなときは、
何も考えずただ動くだけでも良いらしいです。
☆『運勢』
運に勢いと書いて「運勢」は字のように
運気というモノを動かしていると
やがて勢いがついてくると思います。
勢いとは必ずしも突き進むようなモノばかりではなく、
穏やかで静かな勢いもあります。
穏やかで静かな勢い
穏やかで静かな勢い
それが良い勢いと思います。
それらが姿に現れ、
姿の勢いで「姿勢」という言葉が出来たとも言われています。
運の悪い人の特徴に「姿勢」の悪さがありますね。
「姿勢」って、[身体]の姿勢は、もちろんですが、
言葉・心・規則正しい生活習慣・身の周りの姿も
同様ですね。
愚痴不平不満・意地汚い・不規則な生活・汚い身の周り
なんて姿勢の悪さの最たるものです。
きれいな「姿」の勢いにより「運」、
言い換えてみれば「ツキ」みたいのが来るのでしょう。
自分の波動や考え方(性格や性質)を、
「運性」と言ってもいいかもしれません。
とりあえず笑顔になるだけで姿の勢い(姿勢)の
「運勢」も性格性質の「運性」も善く見えます。
笑顔でいたり、元気に挨拶が出来たり、
感謝したり、ご飯を美味しく食べたり、掃除したり、
美しいモノを見たり聞いたり感じたり、
優しい言葉を掛けたり、状況を楽しむこと、
無理してそれらをする必要も無いと思いますが、
それらが運気運勢を上げるのらしいですね。
ちょっとレベルの高い運気にしたいなら、
あまり、物・人・事に執着しないようにしたり、
悪口を言わなかったり、
一般的に大変な時そこで愚痴らないなどが
やはり運気を上げるらしいですね。
そのような事をひとつひとつふまえ見えてきた考え方が
自分の心を解放してくれました。
そして、「運」が良くなるとどうなるか考えてみました。
どうやら
“運が良くなると願いが叶うのでは無いようです。”
(ここが勘違いでした)
運勢が良いと
願い事が “ 叶っても、叶わなくても ”
なんと!自分にとって心地よい状況になる。
運勢が悪いと
願い事が “ 叶っても、叶わなくても ”
なんと!自分にとって心地よくない状況になる。
だから状況を変え解決しても運勢が良くなかったら、
願いが叶っても「こんなはずじゃなかった・・」と思い
運勢が良いと願いが叶わなくても
「ありがたいなぁ」と思えるのでしょう。
ここがすごいと思います。
願いが叶うことばかり考えてしまいますが、
そこはあまり関係ないと思えたのです。
ハタから見た目も関係ないようです。
(もちろん何か願い事が叶うのも状況解決なども必要ですし、
それに向かう心も行為も大切だと思います。)
周りの状況や噂や言っている事や
評価や誤解や環境やしがらみや過去や未来にも気にせず、
ただ自分が今、運勢を良くすれば良いのでしょう。
自分本位の考えに聞こえてしまいますが、
同じ場所にいようが人と自分の「運気」は違うのでしょう。
状況を変えようと思うばかりに
自分の波動が低くなってしまうこともあります。
周りに迷惑を掛けてはいけない、
人に心配させまい、と思い八方ふさがりになったり、
どうしても解決しなければならないと、
心がとらわれてしまうのでしょう。
まあ、どういう結果であろうと
「それはそれ」とあきらめ受け入れることも
考えておく潔さも必要だと思います。
人生のお試しのような事柄があるそうです。
魂(タマシイ)というモノがあるとしたら、
色々な事、出会い、思いを体験しに来ているとも
いわれています。
色々教えてくれたり、感じさせてくれたりした人たちに
いつも感謝しています。
感謝だけで生きていきたいです。
そしてその運勢により、起こる事柄について
感謝が出来ればそれがまた新しい「運気」を作るのでしょう。
小さい頃おじいさんにこんな事を聞きました。
「運は清めてまて」や「清め“ながら”まて」と。
もちろん、生きているので、
物理的現実的な事も精一杯やろうと思いますが
同時に、私なりに気づき、動き、
清めて、天命を信じて流れに身を任せてみようと思います。
・・と、まぁ偉そうに「運」について書いてしまいましたが、
もちろんこれが正しいとも言い切れませんし、
オススメする事もありません。
皆様が元々知っていたことを改めて書いている気もしますが、
誰かが、万が一、解決しにくいことが合った時、
もしお役に立ったら幸いです。
ありがとうございました。