前橋藩の依頼で作った「万代橋」(現大渡橋)は錦絵になり、前橋の名所になった。
上三原田歌舞伎舞台 文政2(1819)は国指定重要民俗文化財に指定されている。
ガンドウ機構、遠見機構、回転機構、せり機構を持ち、特にせり機構は本邦唯一。
常設の農村歌舞伎舞台として日本最古といわれる。
これを作った赤城村三原田の水車大工永井長次郎は「からくりや」としての才能は素晴らしく、東芝の創始者「からくり儀右衛門」に勝るとも劣らない実績を持っている。
① 利根川の崖の上から長い軸を突き出し、水位に合せて上下させていつでも廻せる 「ツンダシ水車(くるま)」を考案して、昭和初期まで昼夜運転で使われた。
出水の時は「しゃち」(クレーンの原型)を使って軸木を引き上げた。
② 自分の家の井戸に風車揚水機を作った。ある晩止めるのを忘れると床下中水浸しになった。
③ 「船車」という船に水車を付け、精米・製粉が出来るようにし、高崎聖石辺りに設置。
④ これは極め付き。鶴に乗って伊勢参りをすると言って、飛行機にも挑戦したが、試乗の結果数百mの滑走後に、泥田の中に転倒し、伊勢参りを断念した。
⑤ 滑車を上手に利用してた。四斗樽を1人で軽く持ち上げた。又作業にも余り人手が要らなかった。滑車は当時「せび」と呼んだ。
長次郎の軸組(木材の組み合わせ)は強固で難しく、歌舞伎舞台の移動の際、又長次郎の自宅の移動に際しても解体することが難しく、そのまま運ばざるを得なかったと言う。
他にも在るのだろうが、次の橋が長次郎作と判っている。総て「刎橋」(はねばし)といって両岸からせり出してアーチ型となる形状。
現敷島橋 天保5(1834) 上白井伊熊ー津久田 1855流失有瀬の渡し
萬代橋 元治1(1864) 前橋現大渡橋 1868流失
白井大宮橋 明治4(1871) 白井大宮ー樽二本松 長さ94m、幅3.6m 1888老朽解体
明治9(1877)伊熊にて没す。法名正禅頓悟信士。
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