記忘庵日誌2016・ 8 ・15 荻野源吾
「阿波おどり」の雅(みやび)
司馬遼太郎氏の阿波紀行の「阿波おどり」にはこんなことが書かれている。
徳島は昔、初代蜂須賀氏まではその城を猪山城といい、さらに中国の渭水から取った渭山城(いのやまじょう)と呼んでいたということ、貧弱な城であったがむしろ領内の繁栄を願った蜂須賀公が踊りを愛でて始まったというのが事の起こりらしいが確証はないこと、京の「風流」(フリュウ)と数寄の流れがあるのではといったことが記されている。
あれだけ歴史考証に丹念な司馬氏にしてはあまり淡泊な説明で明快さに欠けている。しかし日本文化の中央集権化の傾向の中で地元の人が「これだけですなあ」という他に真似られない文化がこの阿波の地に残ったことは称賛に値すると言っていることは同感である。この歳(76)になって初めての阿波おどり散見。
藍場浜桟敷席での2時間たっぷりの観覧で一生分の見る阿呆を堪能した。
なお最近のネットで探ってもその歴史はこれ以上明確ではない。
阿波おどり(あわおどり、Awa Odori)は徳島県(旧・阿波国)を発祥とする盆踊りである。日本三大盆踊り(西馬音内盆踊り・秋田県、郡上八幡盆踊り・岐阜県、阿波踊り・徳島県)であり、江戸開府より約400年の歴史がある日本の伝統芸能のひとつである。
「阿波おどり」の雅(みやび)
司馬遼太郎氏の阿波紀行の「阿波おどり」にはこんなことが書かれている。
徳島は昔、初代蜂須賀氏まではその城を猪山城といい、さらに中国の渭水から取った渭山城(いのやまじょう)と呼んでいたということ、貧弱な城であったがむしろ領内の繁栄を願った蜂須賀公が踊りを愛でて始まったというのが事の起こりらしいが確証はないこと、京の「風流」(フリュウ)と数寄の流れがあるのではといったことが記されている。
あれだけ歴史考証に丹念な司馬氏にしてはあまり淡泊な説明で明快さに欠けている。しかし日本文化の中央集権化の傾向の中で地元の人が「これだけですなあ」という他に真似られない文化がこの阿波の地に残ったことは称賛に値すると言っていることは同感である。この歳(76)になって初めての阿波おどり散見。
藍場浜桟敷席での2時間たっぷりの観覧で一生分の見る阿呆を堪能した。
なお最近のネットで探ってもその歴史はこれ以上明確ではない。
阿波おどり(あわおどり、Awa Odori)は徳島県(旧・阿波国)を発祥とする盆踊りである。日本三大盆踊り(西馬音内盆踊り・秋田県、郡上八幡盆踊り・岐阜県、阿波踊り・徳島県)であり、江戸開府より約400年の歴史がある日本の伝統芸能のひとつである。