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けんいちの読みもの

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【名馬物語】第10回 スペシャルウィーク

2020-06-06 13:00:00 | 名馬物語
久しぶりの名馬物語。
ダービー後ということでダービー馬から選ぼう、ということと、記念すべき10回目ということで、筆者にとっても格別の思い入れのある馬。スペシャルウィークです。

[出生~クラシックへ]

父サンデーサイレンス 母キャンペンガール(母の父マルゼンスキー)
栗東・白井寿昭厩舎 牡・黒鹿毛

スペシャルウィークは、1995年に日高大洋牧場で誕生しました。名馬マルゼンスキーを父に持つキャンペンガールに、リーディングサイアー・サンデーサイレンスが配合され、決して大きいとはいえない牧場の期待を背負い、誕生が待たれていました。ところが母キャンペンガールは出産を前にして容態が悪化。牧場スタッフは「おそらく母馬は助からない、せめて仔馬だけでも・・・」という思いで、陣痛促進剤を投与することを決断しました。
キャンペンガールはお産をした5日後に死亡し、命を授かった黒鹿毛の牡馬は乳母(うば)馬によって乳を与えられ、育てられることになりました。しかも乳母馬はサラブレッドではなく、重種馬でした。さらに乳母馬は気性が荒く、仔馬を近づけようとしなかったため、人の手をかけられ、育てられていきました。

日高大洋牧場から、育成のためノーザンファーム空港牧場に移され、トレーニングが課されていき、素質を認められていくことになりますが、実はこの年のノーザンファーム空港牧場ではもう一頭、ずば抜けた素質を見せ、評判を集めている馬がいました。父シルヴァーホークの美しい栗毛の牡馬は、後にグラスワンダーと名付けられます。

キャンペンガールの仔馬は、臼田浩義オーナーからスペシャルウィークと名付けられ、栗東の白井厩舎に入厩します。デビュー戦を前に、武豊騎手が騎乗した調教の後、白井調教師が声を掛けたそうです。
「ダンスパートナーに似てないか」
ダンスパートナーは白井調教師が管理し、武豊騎手が騎乗してオークスを勝った馬。将来のG1制覇の期待を込めた問いかけです。
その問いかけに、武豊騎手はこう答えたそうです。
「ダンスインザダークに似ています」
ダンスインザダークは武豊騎手が三冠馬になれるのでは、とまで思ったという逸材で、熱発のアクシデントで皐月賞を回避、ダービーは2着に敗れたものの、菊花賞を勝ってその力を示しました。
何より、ダンスパートナーとダンスインザダークは父母が同じ、全姉弟なのです。
陣営がデビュー前からG1制覇を意識していたことは想像に難くないでしょう。

期待通りに新馬戦を勝ちあがったスペシャルウィークは、2戦目の白梅賞で伏兵アサヒクリークに敗れてしまいます。この後、ダービーを意識して共同通信杯への出走も考えられていたそうですが、結局関西のきさらぎ賞に出走することになりました。ここでボールドエンペラーを破って重賞初制覇となるわけですが、結果出走しなかった共同通信杯は悪天候によりダートに変更。ダートで連勝していたエルコンドルパサーが圧勝しましたが、ダートの経験がなかったスペシャルウィークがもし共同通信杯に出走して敗れていたら・・・その後のローテーションは大きく狂っていたかもしれません。

続いて弥生賞でセイウンスカイ、キングヘイローというクラシック候補2頭を破り、一躍クラシックの本命と目されることになります。
一冠目の皐月賞では、試練が訪れます。コース変更で内ラチ沿いに馬場のいい「グリーンベルト」が出現する中で、スペシャルウィークは大外18番からのスタートとなってしまったのです。道中のロスが大きく、セイウンスカイが逃げ切り勝ち。キングヘイローにも後れを取って3着と敗れてしまいました。

それでも、ダービーでは1番人気に押されます。皐月賞の敗因は不利な外枠。3着という結果は「負けてなお強し」と判断されたということでしょう。
武豊騎手は、この時まだダービーは勝ったことがありませんでした。今でこそダービー歴代最多の5勝を誇る武豊騎手ですが、「武豊はダービーだけは勝てない」「七不思議のひとつ」などと言われていたものです。
最大のチャンスと考えられたのが、ダンスインザダークで2着に敗れた96年のダービーでした。武豊騎手が「ダンスインザダークに似ています」と言ったのは「この馬ならダービー馬になれる」という手応えを感じていたのではないでしょうか。


レースは意外な展開となります。内枠から押し出されるような形で、2番人気のキングヘイローが逃げる形に。皐月賞馬で、3番人気のセイウンスカイも好位につけますが、決して遅くないペースでレースが流れていきます。
そんな中スペシャルウィークは後方で脚を溜め、折り合いに専念。直線で鋭く抜け出すと、セイウンスカイらを並ぶ間もなく交わし去ります。そして、武豊騎手がムチを回して持ち替えようとした瞬間・・・!名手・武豊騎手がムチを落としてしまったのです。クルッとムチを回して持ち替える動作など、騎手にとっては当たり前とも言える技術でしたが、この時ばかりはさすがの名手も平常心ではなかったのかもしれません。
幸い、既に大勢は決していたため、スペシャルウィークは後続を5馬身ちぎってゴール!鞍上で喜びを爆発させた武豊騎手は何度も何度もガッツポーズ。「叫びたいぐらい」嬉しい、と語った通り、念願のダービージョッキーになった喜びが溢れる瞬間でした。


[世代の頂点]

スペシャルウィークのダービーでのパフォーマンスは素晴らしく、文句のつけようがないもののように思われました。しかし、「スペシャルウィークが世代の頂点か」という問いかけには、疑問符がつけられるのでした。その理由は当時「外国産馬にダービーの出走権が無かった」からに他なりません。
スペシャルウィークと育成時代でニアミスとなっていたグラスワンダーは、デビューから4連勝で朝日杯を制し、「怪物」と呼ばれていました(朝日杯の後骨折、休養)。
また、共同通信杯でニアミスとなったエルコンドルパサーは、デビューから5連勝でNHKマイルCを制していました。
スペシャルウィークにとっては、ダービーを制しても彼らを倒さない限り、真の世代No.1とは認められないつらさがあったのです。

ところがスペシャルウィークは、秋初戦の京都新聞杯でキングヘイローとのマッチレースこそ制したものの、菊花賞ではセイウンスカイの鮮やかな逃げ切りを許してしまいます。
続いて中2週でジャパンCに出走しますが、勝ったのはエルコンドルパサー。エアグルーヴにも後れを取って3着に敗れてしまいます。

スペシャルウィークは年内は休養して立て直すことになりますが、スキップした有馬記念ではグラスワンダーが復活勝利。
古馬との混合G1を勝ったエルコンドルパサー、グラスワンダーに、二冠を制したセイウンスカイ。スペシャルウィークにとっては、「倒すべき相手」が山積み状態だったわけです。

[古馬としての充実と苦悩]

アメリカジョッキークラブCを楽勝し、春の天皇賞を目標に阪神大賞典に向かったスペシャルウィークは、先輩のG1馬であるメジロブライトと対決することになります。得意とは思えない重い馬場でしたが、早めに抜け出したスペシャルウィークはメジロブライトを完封。天皇賞でも1番人気に押されます。
前年の天皇賞馬であるメジロブライトと、菊花賞で後塵を拝したセイウンスカイ。レースは菊花賞での反省を活かして、セイウンスカイを射程圏に入れ、阪神大賞典と同様にメジロブライトを完封する、という横綱相撲で勝利します。

年明け3連勝で前途洋々に見えたこの勝利ですが、実は落とし穴が潜んでもいました。先行策を取るようになってから、スペシャルウィークは折り合いに不安を抱えるようになったのです。

一方、エルコンドルパサーはジャパンC制覇の後、ヨーロッパへ長期遠征に出ていました。イスパーン賞2着の後サンクルー大賞を勝ち、秋には凱旋門賞への挑戦が計画されました。
グラスワンダーは京王杯SCを圧勝し、安田記念ではエアジハードに惜敗していました。

宝塚記念はスペシャルウィークとグラスワンダーの2強対決で盛り上がることになります。しかし年明け3連勝のスペシャルウィークと、安田記念でエアジハードに敗れているグラスワンダーの下馬評は、「スペシャルウィーク優勢」と見る向きが多かったように思います。
また、スペシャルウィークは秋に凱旋門賞に挑戦するプランが持ち上がっていました。宝塚記念はその「壮行レース」という位置づけでもありました。


レースは道中スペシャルウィークがやや掛かり気味に先行し、先に抜け出します。グラスワンダーはその後をついて、直線で末脚爆発。メジロブライトらを完封したスペシャルウィークのスパートさえ打ち砕く、グラスワンダーの真骨頂ともいえる走りです。
3着のステイゴールド以下は7馬身離しましたが、スペシャルウィークにとってはプライドを砕かれるような完敗となりました。

この結果、スペシャルウィークの海外遠征は白紙、秋は国内専念となりました。

ヨーロッパに長期遠征したエルコンドルパサーは前哨戦のフォア賞を快勝し、凱旋門賞でモンジューとの壮絶なマッチレースの末、2着。日本競馬界にとっては、凱旋門賞を勝てはしなかったものの、とてつもなく大きなニュースとなりました。さらにレース後には勝ったモンジューがジャパンCに遠征することも発表され、日本のファンは大いに盛り上がりました。

凱旋門賞の1週間後、スペシャルウィークは京都大賞典、グラスワンダーは毎日王冠と、同じ日に東西に分かれて始動しました。JC、有馬でモンジューやエルコンドルパサーとの対決を夢見るファンは固唾を飲んで始動戦を見守りました。

ところがグラスワンダーはメイショウオウドウ相手に写真判定に追い込まれ、ハナ差で辛勝。スペシャルウィークは生涯初の着外に沈む惨敗を喫してしまいます。


さらに、次走の秋の天皇賞は「ステイヤーにとって鬼門」と言われ、京都大賞典からのステップは不利という声も聞かれ、スペシャルウィークにとって逆風となりました。また、この頃からズブさが出てきたスペシャルウィークは、調教で1勝馬に先着を許してしまいます。
おまけに当日の馬体重はマイナス16キロ。評価は急落し、単勝4番人気となってしまいます。
「スペシャルウィークは終わった」という声も囁かれ、当時公にはなっていませんでしたが、すでに種牡馬入りが決まっているため、価値を下げないよう、ここでも惨敗するようだと秋2戦を待たずに引退、という声も出ました。

[復活、そして最後の対決へ]

実はレース前のマイナス体重は、陣営の考えがありました。スペシャルウィークは元来細身の体型で、ベスト体重はダービー優勝時の468キロ前後ではないかと考えられていました。京都大賞典の馬体重は486キロ。一般的には古馬になると馬体重が増加することが良いとされますが、スペシャルウィークにはそれは当てはまらないのでは、という判断だったようです。


武豊騎手にも「秘策」がありました。古馬になってから、先行して押し切る競馬で結果を出してきていたわけですが、春の天皇賞の頃から引っ掛かる心配が出てきていて、集中力が最後まで保てないという問題がありました。
そこで選択したのがこの戦法。直線の長い東京競馬場、先行馬が揃い、ペースが速くなることも含めて、直線勝負にかける競馬にガラリと変えてみせました。

ジャパンCを目指していた同世代のライバル・グラスワンダーは筋肉痛を発症し回避。有馬記念に目標を切り替えます。
エルコンドルパサーは結局凱旋門賞の2着を最後に引退。ジャパンCには出走せず、ジャパンカップ当日の昼休みに引退式が行われました。
その一方でジャパンカップにはエルコンドルパサーを破って凱旋門賞を制したフランス調教馬のモンジューが参戦し、スペシャルウィークは迎え撃つ「日本総大将」という位置付けに見立てられました。


スペシャルウィークは前走同様、前半は折り合いに専念して進めます。武豊騎手は「道中手綱プラプラで行ければ最後は切れる」というスペシャルウィークの特徴を把握し(動画5:40頃、プラプラですね)、直線入口で他馬を一気に置き去りにし、最後までしっかり脚を使って完勝の内容。
再戦が叶わなかったエルコンドルパサーを、海の向こうで破ったモンジューが来日し、ホームではありますが撃破してみせたスペシャルウィーク。

そして、ラストランとなる有馬記念で「宿敵」グラスワンダーと最後の対決に臨むことになります。

さて、その昔、「競馬の神様」と呼ばれた大川慶次郎さんという競馬評論家がおられました。「展開」の概念を生み出し、全レースのパーフェクト予想なんかも達成されてる凄い方ですが、昔気質で独特の信念を持っておられたことでも知られていました。
有名なところでは、オグリキャップの引退レースとなった有馬記念では、「オグリキャップはピークを過ぎた」という見解を示していました。ところがご存知の通りオグリキャップは感動の復活勝利。「私なんかは一番にオグリキャップに謝らなければいけない」と語られたそうです。
そして、スペシャルウィークについても天皇賞の前の時点で「ピークを過ぎたのでは」という見解。「別冊宝島20世紀名馬大全」の記事では、オグリキャップのような復活勝利を遂げたスペシャルウィークについて「グラスワンダーとの対決が本当に楽しみ」と書かれていました。
しかし大川慶次郎さんは有馬記念の5日前に他界。残念ながら2頭の最後の対決を見ることは叶いませんでした。

スペシャルウィークが、「秋のG1・3連勝」という前人未到の記録を成し遂げてラストランを飾るのか、グラスワンダーが宝塚記念に続いて、返り討ちにするのか。
はたまた菊花賞馬ナリタトップロード、皐月賞馬テイエムオペラオー、天皇賞馬メジロブライトらが食い込むのか・・・


2番枠を引いたスペシャルウィークは、直線の短い中山競馬場に変わることもあって、直線勝負はできないのではないか、と思われてもいました(某雑誌予想家は「武豊は逃げると思っていた」などと発言)が、武豊騎手が選択したのは最後方からのレースでした。
これはグラスワンダーの的場騎手は「宝塚記念とはポジションが逆になるんじゃないかと思っていた」としていて、事前に予想していたようです。
展開は超スローで団子状態のレース。グラス・スペシャルは後方で、3~4コーナーから一気にペースアップする形。グラスワンダーが物凄い手応えでまくり、スペシャルウィークもその直後から急追。ツルマルツヨシが抜けたところをテイエムオペラオーが一気に差し込んできた瞬間、大外からグラスワンダーとスペシャルウィークが一気に交わし去って、鼻面を並べてゴール・・・!

勢いは完全にスペシャルウィーク。
武豊騎手は勝ったと思い、的場騎手は負けたと思ったそうです。それもそのはず、ゴール直前でスペシャルウィークの鼻はグラスワンダーよりも前に出ています。そしてゴール板を過ぎたところで馬体が完全に入れ替わります。

武豊騎手は際どいながらも、控えめにウイニングランをします。場内も大歓声で迎えます。
しかし、写真判定の結果は、わずか4センチ差でグラスワンダーが1着!ゴール前後の判定写真では、ゴールの直前でも直後でもスペシャルウィークの方が前に出ていましたが、ゴールの瞬間だけグラスワンダーが踏ん張り切っていたのです。



武豊騎手は「競馬に勝って勝負に負けた感じ。馬を褒めてやって下さい」と語りました。


武豊騎手の夢を叶え、様々なライバルとの名勝負を繰り広げたスペシャルウィークは、まさに「主人公」なキャラクター。筆者にとっても未だに特別な思い入れのある馬です。



【名馬物語】第9回 メジロブライト

2020-05-05 09:00:00 | 名馬物語
春の天皇賞はフィエールマンの連覇で幕を閉じました。筆者の馬券的にはスティッフェリオも無くて、モズベッロもサッパリで、ガックリこの上なかったですが・・・
今回は伝統の天皇賞馬から、メジロブライトを取り上げようと思います。

[ライアンの息子]

父メジロライアン 母レールデュタン(母の父マルゼンスキー)
栗東・浅見国一厩舎 → 浅見秀一厩舎
牡 鹿毛

メジロブライトは新馬戦(函館芝1800m)を快勝し、すずらん賞(函館芝1800m)を2着、続くデイリー杯3歳S(京都芝1400m)で快速牝馬シーキングザパールの2着となり、距離を伸ばしたラジオたんぱ杯3歳S(阪神芝2000m)を勝ってクラシック候補として名乗りを挙げます。

1996年は、メジロライアンの初年度産駒のデビュー年でした。サンデーサイレンスやブライアンズタイム、トニービンを中心に、外国から輸入された種牡馬の子が活躍する中で、「父内国産馬」の星として注目されたのがライアン産駒のメジロブライトと、牝馬のメジロドーベルでした。(ついでにエアガッツという馬もライアン産駒で朝日杯3着など活躍)

年が明けてブライトは共同通信杯も快勝。皐月賞トライアルのスプリングSでは1.4倍の断然人気に押されますが、先行したビッグサンデーを捉えられず2着に敗れてしまいます。
この頃のメジロブライトは追い込み一辺倒という脚質。ちょっと基礎スピードが足りなくて確実に追い込んで来るものの、基礎スピードを持ち合わせているサンデーやブライアンズタイムを捉えきれない、という悲しさがありました。

父メジロライアンは皐月賞3着、ダービー2着、菊花賞3着と、クラシックに手が届きそうで届かなかった馬でした。
息子メジロブライトは皐月賞4着、ダービー3着、菊花賞でも3着と、まさに足跡をたどるかのような成績となってしまいます。
春の2冠を制したのはサニーブライアン。逃げ切りの2冠制覇は見事の一言ですが、皐月賞はメジロブライトとランニングゲイル、ダービーはここにシルクジャスティス、エリモダンディーといった追い込み脚質の人気馬の存在があったことは少なからず影響していたんじゃないかな、と思います。



菊花賞でもスローからの高速上がり勝負で、中距離で実績のあったマチカネフクキタルが勝利。1番人気シルクジャスティス、2番人気メジロブライトという中で生まれたスローだったのかも知れません。


[天皇賞のメジロ]

3歳クラシックで無冠に終わったメジロブライトは、古馬G1には向かわず、河内騎手との新コンビでステイヤーズSに出走しました。
ここで2着に1.8秒もの大差を付けて圧勝すると、年明けのアメリカジョッキークラブカップも2馬身半差の完勝。
阪神大賞典で同世代のライバルで、有馬記念を制してG1ホースとなっていたシルクジャスティスとの再戦を迎えます。


直線はブライアンVSトップガンを彷彿とさせるマッチレースになりました。これ、今見てもめちゃくちゃいいレースやなあ・・・
実況杉本さん・解説大坪さん・レポーター石巻さんのフォーメーション最強ですねw

さて、こうしてメジロブライトは春の天皇賞に主役として臨むことになりました。メジロといえば、メジロアサマ-メジロティターン-メジロマックイーンの父子3代3200mの天皇賞制覇で有名で、やはり春の盾がよく似合います。

阪神大賞典はシルクジャスティスが休み明け、さらに斤量も1kg重かったということもあり、本番で再び名勝負が見られるか、と期待が高まりました。


結果は2強のマッチレースとはならず、ステイゴールド、ローゼンカバリーが割って入りましたが、メジロブライトは早めから動いて完勝。杉本清さんはゴールの瞬間「メジロ牧場に春!羊蹄山の麓に春!」という名調子で華を添えました。
シルクジャスティスは阪神大賞典で外枠で動いてしまう形になり、最後わずかに差されたことから、内でジッと溜めて最高の競馬に見えましたが、切れ味で見劣った形だったでしょうか。あるいは馬場の悪い内を通る形になったのは不本意だったのでしょうか。


[受けて立つ立場へ]

晴れてG1ホースとなったメジロブライトは宝塚記念へと駒を進めましたが、ゲートで暴れて外枠発走となり、レースでもスムーズさを欠いて11着と大敗してしまいます。
夏を越して始動戦となった京都大賞典では年下のクラシックホース・セイウンスカイに逃げ切りを許して2着。秋の天皇賞ではサイレンススズカの事故があり、4コーナーで外を回す形で5着となってしまいます。
不運もあってまた勝ち切れない日々が続いたメジロブライトは、満を持して有馬記念に出走します。
1番人気は2冠馬セイウンスカイ、引退レースとなるエアグルーヴが2番人気、その後にメジロブライトが続き、4番人気はデビューから4連勝の後、復帰後2戦は5、6着としていたグラスワンダーでした。


出遅れ気味から後方を進んだメジロブライトは、素晴らしい脚を繰り出し京都大賞典で後塵を拝したセイウンスカイ等を交わし去りますが、グラスワンダーの伸びに及ばず2着。敗れはしたものの、健在振りを示しました。

翌年は日経新春杯を快勝して、阪神大賞典、天皇賞・春と2戦続けてスペシャルウィークとの対決となりました。
阪神大賞典ではねじ伏せられるような形でスペシャルウィークに敗れ、日経賞を勝ってきたセイウンスカイとの「3強対決か」という下馬評になりました。


結果は、道中スペシャルウィークが掛かり気味に先行し、早めにセイウンスカイを射程圏に入れつつ進める展開に。直線ではメジロブライトの末脚も完封して勝利。スペシャルウィークが充実ぶりを示す内容となりました。
メジロブライトは連覇こそ逃しましたが、次々と現れる年下のライバル馬達に対して、常に力を示し続ける姿は立派でした。

いぶし銀・河内騎手とのコンビがピッタリなメジロブライトでした。


【名馬物語】第8回 サイコーキララ

2020-04-20 17:00:00 | 名馬物語
今年の桜花賞では、若い松山騎手とのコンビでデアリングタクトが勝ちました。また、北村友一騎手とのコンビで2歳女王となったレシステンシアは、トライアルの負けで桜花賞では武豊騎手にスイッチしました。
騎手の世界では実力、結果が全て。乗り替わりは付き物です。そんな中でも騎手と馬との「コンビ」によって生まれるドラマもあります。

[石山繁とサイコーキララ]

父リンドシェーバー 母サイコーロマン(母の父モーニングフローリック)
栗東・浜田光正厩舎 牝 黒鹿毛

父のリンドシェーバーはアメリカ生まれの外国産馬として日本で走り、朝日杯など6戦4勝のスピード馬でした。母サイコーロマンは浜田厩舎の出身で、キララは浜田厩舎ゆかりの血統といえます。
3歳12月の新馬戦(阪神芝1200m)で手綱をとったのは、浜田厩舎所属の石山繁騎手でした。レースでは1番人気に応え、後続を7馬身ちぎって圧勝を飾りました。
続く2戦目の紅梅S(京都芝1400m)は、4番人気という評価をあざ笑うかのように快勝。サンデーサイレンス産駒のチアズグレイス、良血馬サマーベイブ、重賞勝ちのアルーリングアクトらを完封しました。

一躍牝馬路線で注目の存在となったサイコーキララは、エルフィンS(京都芝1600m)に駒を進めます。スピード馬を多く輩出しているリンドシェーバー産駒ということもあり、桜花賞へ向けては距離だけが課題と思われましたが、阪神3歳牝馬S(現阪神JF)4着のチアズグレイスを破り、マイルでも問題ないことを示しました。

桜花賞を目指し、石山繁&サイコーキララのコンビはトライアルに向かいます。


[石山繁とファレノプシス]

その2年前、石山騎手には苦い経験がありました。
同じ浜田厩舎所属で、サイコーキララと同じように、デビューから3連勝でエルフィンSを勝ったファレノプシスです。
桜花賞の前哨戦となったチューリップ賞では、出遅れ、位置取りを悪くして後方となり、4着に敗れてしまいます。


これが騎乗ミスと判断され、桜花賞は武豊騎手に乗り替わり。ファレノプシスは桜花賞を勝ち、G1ホースに。
その後、石山騎手に手綱が戻ってくることはありませんでした。

桜花賞はおろか、重賞すら勝ったことのない若手の石山騎手にとっては、桜花賞を前にして負けられないレース。
4連勝をかけて、サイコーキララは4歳牝馬特別(現フィリーズレビュー)に出走します。


好スタートからいいポジションに付け、強気のスパートで早め先頭。シルクプリマドンナらを振り切っての快勝でした。
この時の石山騎手の勝利インタビューで、桜花賞への意気込みを聞かれたところで「キララと一緒に」と語っていたのがとても印象深いです。
サイコーキララと石山騎手は、桜花賞への切符を手に入れたのでした。


[勝負の世界]

「サイコーキララと石山繁を勝たせたい」
と、どれだけの競馬ファンが思っていたのでしょう。当時筆者は若かったので、ベテランファンの方々がどのような空気だったか分かりませんが、単勝1.8倍という支持は多くのファンの期待が詰まったものだったのではないでしょうか。


紅梅S、エルフィンS、でサイコーキララに完敗していたチアズグレイスは、道悪のチューリップ賞で惨敗し、人気を落としていました。
ここでは一転して先行策を取り、見事に桜花賞制覇。サイコーキララはいつもより少し後ろからのレースになり、直線では伸びきれず4着に敗れました。

オークスでは桜花賞3着のシルクプリマドンナが逆転し、チアズグレイスが2着。山内厩舎所属馬によるワンツーフィニッシュとなりました。
サイコーキララは距離不安も囁かれる中人気を落とし、結果も6着と完敗。結局、石山騎手とサイコーキララのG1勝ちの夢は叶うことなく散ってしまいます。

競馬の世界、勝負の世界は本当に厳しい。そのことを痛感した2000年の3歳牝馬路線。
ですがそれだけに、叶えられた夢に感動することができるのもまた事実です。

G1勝ちのない馬を「名馬」とするのはどうなの?という見方もあるとは思いますが、競馬にはそれぞれのドラマがある、ということも注目してもらえればと思い、この記事を書きました。

サイコーキララと石山繁騎手のコンビは、これからもずっと私の心に残っていきます。



【名馬物語】第7回 マーベラスサンデー

2020-04-04 14:00:00 | 名馬物語
今週も無観客ではありますが、G1大阪杯が行われます。
私の中で大阪杯といえばG2産経大阪杯時代のイメージがまだまだ強いわけですが、その中でも強く印象に残っているのはマーベラスサンデーでしょうか。(本当はエアグルーヴも捨てがたいw)


[異色のサンデー]

父サンデーサイレンス 母モミジダンサー(母の父ヴァイスリーガル)
栗東・大沢真厩舎 牡 栃栗毛

92年生まれといえば、サンデーサイレンス産駒の第1世代。
朝日杯をフジキセキが勝ち、故障で離脱したものの、皐月賞でジェニュイン、ダービーでタヤスツヨシがそれぞれ勝ち、サンデーサイレンス旋風を巻き起こしていた世代です。
ところが、サンデーサイレンス産駒には「早熟説」も存在し、成長力に疑問を持つ意見も当時はありました。それを最初に覆したとも言えるのがマーベラスサンデーでしょう。

2歳時から調教での動きが評判となっていたそうですが、骨折と病気(疝痛)のため、デビューは明け3歳の2月までずれ込むことになります。
武豊騎手を鞍上に、デビュー戦(ダート1800m)を快勝し、続くゆきやなぎ賞(芝2000m)も突破して、クラシック路線を目指すところまでは良かったのですが、骨折が判明して春は休養を余儀なくされます。秋にまたも骨折が判明し、復帰は古馬となった4歳の4月まで待たなければなりませんでした。


[連勝街道から「3強」の一角に]

明石特別(芝2000m)で復帰し、4着と敗れたものの、次走の鴨川特別(芝1800m)を圧勝。さらに桶狭間S(芝1800m)でも快勝して、一気にG3エプソムC(芝1800m)に挑戦します。
重賞2勝のユウセンショウ以下を封じて重賞初制覇を飾ったマーベラスサンデーは、当時はG3だった札幌記念(芝2000m)、同じくG3朝日チャレンジC(芝2000)も完勝し、古馬王道路線でも強豪が集まる京都大賞典に出走しますが、これも33秒台の上がりを繰り出して快勝。6連勝、重賞4連勝で秋の天皇賞へ挑戦します。

前年の年度代表馬マヤノトップガン、春の天皇賞で三冠馬ナリタブライアンを下したサクラローレルとともに「3強」と呼ばれたマーベラスサンデーは9戦8勝。サクラローレルに次ぐ2番人気に押されました。


前につけたバブルガムフェロー、マヤノトップガンを追ったマーベラスサンデーは、直線でうまくサクラローレルをブロックしましたが、上がり勝負で伸び負け、最後はサクラローレルにも交わされて4着となりました。
勝ったのはバブルガムフェロー。3歳馬(当時の表記では4歳)として初めて天皇賞・秋制覇の偉業達成となりました。

夏場から続く激戦の疲れから、マーベラスサンデーはジャパンCをパスし、有馬記念に向かうことになりました。

ちなみに96年のジャパンCはサクラローレル、マヤノトップガンも出走せず。凱旋門賞馬エリシオが1番人気。日本からはバブルガムフェローは出走したものの、相次ぐ有力馬の回避に「ジャパンC不要論」もかなり多かったように思います。(結果はローエングリンやアサクサデンエンの父としてもお馴染みのシングスピールが勝ち、日本馬はファビラスラフインが3歳牝馬ながら2着に入りました。)

立て直した有馬記念ではマヤノトップガンには先着しますが、サクラローレルのぶ厚い壁に跳ね返されて2着。G1制覇は叶わないまま、シーズンを終えることになります。


[3強のプライド]

翌年の古馬路線も「3強」が中心となります。
サクラローレルはぶっつけで春の天皇賞へ向かうことを表明。マヤノトップガンは阪神大賞典を快勝して万全。マーベラスサンデーは京都記念への出走を予定しますが回避し、産経大阪杯で復帰します。23年前、わたくしはこのレースを現地で観戦しました。赤いメンコとデカい馬体のマーベラスサンデーはカッコよかったなあー・・・


3度目の3強対決となった春の天皇賞は、マーベラスサンデーにとっては悲願のG1制覇を目指す舞台。
実力はサクラローレルが少し上だと思われていたのは確かですが、何せ有馬記念以来のぶっつけ本番。マヤノトップガンは阪神大賞典を勝って臨んではいるものの、時折惨敗もある乗り難しい部分を抱えた馬で、不安もあります。前哨戦をプラス体重で圧勝して臨んだマーベラスサンデーには、G1制覇の最大のチャンスと思われていました。


このレースは何度見ても神。
久しぶりのローレルが外から進出するところを、悲願のG1制覇を目指すマーベラスが潰しにかかり、後方待機・直線勝負にかけたトップガンが大外から一気に襲いかかる。
直線でマーベラスサンデーはサクラローレルを交わして先頭に立ちますがそこで杉本清さんの「有馬記念とは違うぞ!」で鳥肌。しかしローレルも差し返してマッチレースか、というところに大外から・・・!

「お客さんも満足でしょう、京都競馬場!」

いやーまさにその通り。


[悲願のG1制覇]

マーベラスサンデーはまたもG1制覇にならず、フランス遠征に向かったサクラローレル、秋に備えて回避を表明したマヤノトップガンが不在の宝塚記念は、悲願への大チャンスであるとともに、「プライドにかけて負けられない」という戦いでもあったように思います。
とはいえ、前年の秋の天皇賞で先着されているバブルガムフェロー、安田記念を制したタイキブリザード等、強敵が揃っていて簡単な相手ではありません。また、早めに先頭に立って差し返された天皇賞の残像もあります。最後の最後に抜け出す形でないと勝ち切れない可能性があり、「簡単ではない」というレースだったのではないでしょうか。


早めのペースを後方から追走し、進出。4コーナーでダンスパートナーをぶっとばし、最後の最後でバブルガムフェローを差す、という理想的な競馬。先頭に立つと気を抜いてしまう癖を考えての競馬で、武豊騎手の腕が光ったレースだったと思います。

その後、マーベラスサンデーは4度目の骨折が判明。長期休養に入ります。また、ライバルのマヤノトップガンが調教中に屈腱炎を発症し、引退。サクラローレルはフランス遠征中に故障し、引退。
「3強」の中で一頭だけ残ったマーベラスサンデーは、ぶっつけで有馬記念に臨むことになりました。
有馬記念は、武豊騎手が同年の秋の天皇賞を勝っていたエアグルーヴとの選択を迫られることになりましたが、マーベラスサンデーへの騎乗を選択。「デビューからずっと乗ってきたから」というコメントの通り、マーベラスサンデーは生涯全てのレースで武豊騎手が騎乗。こういう馬もそれほど多くないと思います。


これも早めに抜け出したエアグルーヴを、ゴール前マーベラスサンデーがギリギリで捉えるという完璧な競馬ですが、その瞬間さらに外から伸びたシルクジャスティスに差し切られてしまいました。
これは藤田伸二騎手の神騎乗ですねえ。4コーナーでは外ではなく内めを回って、うまくマーベラスサンデーの後ろを突いて抜けてくるという、針の穴を通すような最高の騎乗でした。

マーベラスサンデーは翌年も現役を続行する予定でしたが、脚部不安を発症し、引退・種牡馬入りとなりました。

「3強」の一角として武豊騎手とともに常に安定した力を見せ続けたマーベラスサンデー。度重なる故障を乗り越えて発揮し続けた実力は「3強」の名に相応しいものだったと思います。



【名馬物語】第6回 キングヘイロー

2020-03-26 17:00:00 | 名馬物語
今年の高松宮記念はドバイWCの延期(中止)によって、直前の乗り替わりが発生するようですが、高松宮記念で思い出す一頭としては、キングヘイローが印象深いです。


[世界的な良血馬]

父ダンシングブレーヴ 母グッバイヘイロー(母の父Halo)
栗東・坂口正大厩舎 牡 鹿毛

キングヘイローの母、グッバイヘイローはアメリカでG1を7勝した名牝で、父のダンシングブレーヴは「1980年代のヨーロッパ最強馬」とも評され、凱旋門賞を圧倒的な末脚で制した馬でした。
そんな超のつく良血馬だったので、今考えると日本で走ることだけでも驚きです。

注目されたキングヘイローのデビューは、まず武豊騎手に騎乗依頼があったそうです。しかし予定が合わなかったため、たまたまその場にいたデビュー2年目の福永祐一騎手が騎乗することになります。

福永祐一騎手の父は、元騎手で「天才ジョッキー」と呼ばれたものの、落馬事故により引退を余儀なくされた福永洋一氏。その息子である祐一騎手は初騎乗から2連勝という華々しいデビューを飾り、当時の若手騎手でも注目の存在でした。

いわば「良血」どうしのコンビが誕生し、新馬戦、黄菊賞を快勝。東スポ杯3歳Sではレコード勝ちし、クラシックの最有力候補として名乗りを上げました。
福永騎手はこれが重賞初制覇。1.4倍の支持をうけたラジオたんぱ杯ではロードアックスに敗れ2着としますが、それでもスタージョッキー候補と良血馬のコンビに対して、「クラシック最有力」という評価は揺るぎませんでした。


[3強と呼ばれたクラシック]

年明け初戦は弥生賞を選択し、ここでも1番人気に押されますが、きさらぎ賞勝ちのスペシャルウィークが豪快に差し切り勝ちを収めます。キングヘイローは動きが鈍く、逃げたセイウンスカイも捉えることができず3着に敗れてしまいます。
この結果によりクラシックは「3強」と言われ、中でもスペシャルウィークが少し抜けている、という評価に変わりました。

キングヘイローにとって正念場となった皐月賞では、セイウンスカイが横山典騎手に乗り替わり、グリーンベルトで絶妙の逃げ。1番人気のスペシャルウィークは大外18番に入り、馬場の荒れた外を通ることになりました。
結果はセイウンスカイが逃げ切り、キングヘイローは2着。スペシャルウィークは3着に敗れたものの、「負けてなお強し」の印象を与えました。

セイウンスカイに距離の不安が囁かれたこともあり、二冠目のダービーではスペシャルウィークが1番人気。キングヘイローは2番人気に押されました。
福永祐一騎手はデビュー3年目でダービー初騎乗。それも2番人気に騎乗となるとプレッシャーはとんでもないものだったと思います。本人は「頭の中が真っ白になった」と回顧しています。
かくして、キングヘイローはスタートからハナを切り、暴走気味にハイペースで逃げる展開となったのです。
結果は直線でスペシャルウィークが突き抜けて圧勝。武豊騎手に初めてのダービー制覇をもたらしました。セイウンスカイは番手からの競馬を強いられて4着。キングヘイローは14着に大敗してしまいます。
福永騎手にとっては苦いダービー初騎乗となり、キングヘイローは「3強」の中でただ1頭、無冠で春を終えることになりました。

当時の菊花賞は11月の上旬に行われ、9月神戸新聞杯→10月京都新聞杯と2戦して本番に向かうことも可能な番組編成になっていました。
神戸新聞杯では鞍上を岡部幸雄騎手にスイッチして臨みましたが3着。ダービー馬スペシャルウィークが出走してきた京都新聞杯では再び福永騎手に手綱が戻ります。
直線では2頭が激しいデッドヒートを繰り広げますが、2着。

↑直線で福永騎手は叫びながら追っていたそうです。2頭の叩き合いがめっちゃカッコいい!

最後の一冠、菊花賞はセイウンスカイの鮮やかな逃げ切りに終わり、キングヘイローは5着。古馬に挑んだ有馬記念でも6着に終わり、G1勝ちのないまま3歳時を終えます。


[転機・乗り替わりと距離短縮]

古馬となったキングヘイローは鞍上を柴田善臣騎手に変え、さらに1600mの東京新聞杯に出走しました。新馬戦以来のマイル戦でしたが、見事に圧勝。
さらに中山記念も快勝して、一躍マイル~中距離路線の主役候補として名乗りを上げます。
しかし安田記念11着、宝塚記念8着といいところが無く、毎日王冠、秋の天皇賞でもそれぞれ5、7着に敗れてしまいます。

キングヘイローはマイルCSに出走を決めますが、ここで福永騎手にもう一度チャンスが巡ってきます。福永騎手はこのレースに頭を丸めて臨む気合いの入れ様でしたが、その年の安田記念の勝ち馬エアジハードの前に敗れ、無念の2着に終わります。
暮れのスプリンターズSでも福永騎手とのコンビは継続されましたが、初のスプリント戦でスタートから置かれ気味になり最後方。しかし直線では猛然と追い込んで3着まで食い込み、1200mへの適性を感じさせる結果となりました。


[無冠のキング]

年が明けてダートに目を向けた陣営はフェブラリーSに出走します。母グッバイヘイローという血統背景から、1番人気に押されたが、内枠で砂を被ったためか大敗に終わります。
「何としてもキングヘイローにG1を取らせたい」という陣営の熱意は、レース選択を見てもひしひしと伝わってくるものでした。

再びスプリント戦に戻った高松宮記念は、スプリンターズSで後塵を拝したブラックホーク、アグネスワールドが1、2番人気。柴田善臣が騎乗したキングヘイローは4番人気となりました。


スプリンターズSの時と違ったのは、キングヘイローがスタート後にそれほど置かれなかったこと。
アグネスワールドが好位から抜け出すところに、外からブラックホークが襲い掛かり、アグネスが振り切った瞬間内から伸びたのはディヴァインライト。鞍上は福永祐一騎手です。それらを大外からまとめて差し切ったのがキングヘイローでした。
悲願のG1制覇に、キングヘイローを管理する坂口調教師は人目をはばからず涙を流しました。また、福永騎手は「勝ったと思ったが、一番いてほしくない馬が前にいた」と語りました。

その後、6戦してキングヘイローが勝利を挙げることはできませんでしたが、引退・種牡馬入りして、オークス・秋華賞の2冠牝馬カワカミプリンセス、スプリントG1を2勝したローレルゲレイロ等を排出します。

[キングヘイローと福永祐一]

柴田善臣騎手の手腕により、キングヘイローがG1制覇を成し遂げたのは間違いありません。しかし、キングヘイローといえばやはり福永祐一なのです。

顔面蒼白で馬群に沈んだダービーから20年、トップジョッキーの一人となった福永騎手は、ワグネリアンを駆って2018年日本ダービーのゴール板を1着で駆け抜けました。

キングヘイローは2019年3月19日に老衰のため他界します。
その5日後に行われた高松宮記念で、福永祐一騎乗のミスターメロディが優勝。

馬と人の織り成すドラマは、競馬の一番の魅力だと感じます。