ネタは降る星の如く

とりとめもなく、2匹の愛猫(黒・勘九郎と黒白・七之助)やレシピなど日々の暮らしのあれこれを呟くブログ

馬込九十九谷

2008-03-01 12:52:23 | 雑記
 新居は大田区久が原の外れで、都営地下鉄の西馬込駅にも歩いていける。ただ、急坂を上って一山越えなければならないので、通勤経路にするにはちょっと……。

 馬込一帯は坂が多く、馬込九十九谷《まごめつくもだに》または馬込九十九坂《まごめつくもざか》とも呼ばれる。

 るるぶ情報板『大田区(リンク先はamazon.co.j)』61ページ「地形からの別称 九十九谷」には、こう紹介されている。

起伏に富んだ候補には江戸城の候補にもなった

 大田区は坂の多い所。なかでも馬込辺りは九十九谷(または九十九坂)と呼ばれるほど、起伏に富んだ地形をしている。

 その昔、太田道灌が江戸城を築こうとしたぐらいだから、台地からの眺望はすばらしいものがあった。しかし、九十九が「苦重苦」につながることから、その案は見送られたという。


 ところがぎっちょん(古っ^_^;)、先日たまたま乗り合わせた地元のタクシーの運転手によると、この話には裏があるらしい。

 谷や坂の数は百(以上)もある高台で築城にうってつけだったが、城を建てるとなると土地を召し上げられてしまう。それを心配した地元民たちは、故意に坂の数を「九十九」=「苦重苦」あると申告して、ここに江戸城を築くことを免れたそうな。ちゃんちゃん。

 というわけで、地元民たちの機転がなかったら、江戸城が築かれて、ここを中心として江戸の町が発展していったかも知れないのだが……うーん、中国の風水的には、大田区を中心にしたら江戸が260年も続くような都になっていたかどうか。坂だらけなんで、周辺に人が寄り集まって住める平地が大きくとれないし、水利や交通網の発達が難しかっただろうから、たとえ太田道灌が江戸城を建てていたとしても徳川の代まで引き継がれていたかどうか。

 でも、この辺に江戸城が建っていたら、というif歴史を想像してみるのも楽しいものだ。

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