藝藩志・藝藩志拾遺研究会

藝州浅野家の幕末史料『藝藩志・藝藩志拾遺』の情報発信サイト

広島城再建計画に注目すべき理由

2021年03月03日 16時43分06秒 | オピニオン的解説
広島城は1589年に毛利輝元の下に築城が始まり、1599年に完成しました。
城下町の整備は1599年福島正則、1619年浅野長晟(ながあきら)
と引き継がれました。
明治に入って本丸内に大本営が置かれたりしたけれど、
毛利時代の天守は残されており、1931年には国宝に指定されました。
ところが、1945年の原爆投下により、爆風で倒壊してしまいました。
1951年、広島国体に合わせて木造で仮再建(外観)され、
終了と共に解体されました。
1958年に鉄筋コンクリート製の現天守が再建されました。
2020年現在、天守老朽化と耐震性の問題で、修繕と耐震補強、
或いは再建かが検討される事になりました。

立て替え議論が先行していた名古屋城が比較対象になっているものの、
名古屋城は完全再現の重要性を説得する事に失敗した為、
エレベーター設置議論で名古屋城天守の完全再現の可能性は
ほぼ無くなりました。
そこで
「全国初の国宝再建、再指定のチャンスは広島城に回ってきた!」
と気がついている人がどのくらい居るでしょうか。
全国で木造復元の機運が高まっているという事を知っている人は結構います。
しかし、その復元の多くは細かいところは想像で作られる場合が多く、
完全に築城当時の建物を復元したとは云えないレプリカなのです。
名古屋城と広島城に関しては、図面と写真が残っていて、
構造と外観は完璧に復元出来ると言われている数少ないお城なのです。
もし広島城が毛利輝元時代の天守を完全再現出来れば、
全国初の試みとして画期的な事なのです。
しかも、鉄筋コンクリート製と違って数百年維持出来るわけです。
現存天守は約400年の歴史です。広島城は戦前国宝に指定されていたので、
同じ建物を再建すると将来国宝に返り咲く可能性があるわけです。
広島城は国有財産を広島市が預かって管理しているので、
広島市だけで決める事は出来ないですが、
「二の丸の建物を復元した」(広島市所有)というのとは、
全くレベルの違う話だという事は知っておいた上で、
歴史的、文化的、観光経済的な付加価値、
そして将来の国宝再指定(最上階の回廊がポイントだったらしい)
という前例の無い画期的な事業が行われる可能性があるという事に
注目していただきたいと思います。
更には、長期的視点で、
中御門、裏御門と本丸を囲む形で建物を再建していくべきだという提言が
為されており、そうなると本丸全体が博物館みたいなものです。
つまり、今後100年の計を立てるべきだという提言だと云っても良い
内容なのだと考えます。

現天守修繕案
鉄筋コンクリート製の場合、耐用年数が約60年とされており、
修繕しても後10年程寿命が延びるだけで、何時かは解体、
再建が必要になります。
結局、建て替えを先延ばしにするだけなので、
ダラダラ工事して出費を重ねるより、
そのお金を再建に回すべき。

鉄筋コンクリート再建案
鉄筋コンクリートの場合は耐用年数が約60年、
伸ばしても70年しかなく、
その度に何十億円も資金を調達しなければならない。
建物の価値としても、外観が似ている偽物でしかない。

木造再建案
木造で再建した場合、耐震補強が出来ていれば、
部分的な補修工事で数百年は維持出来る。
建物の構造や外観がほぼ完全復元出来るのは、
名古屋城と広島城くらいしか無いが、
名古屋城はエレベーター設置問題で計画が止まってしまった為、
今のところ、国宝に指定される可能性がある完全復元再建が出来るのは
広島城だけであり、全国初の試みとなるでしょう。
その分、完成すれば注目度が上がるのは間違いなく、
文化的にも観光資源としても、永続的な価値を持つ事が出来る。
工費は高くなるものの、長い目で見て回収出来るだけの価値がある。

この様な理由から、なんちゃって復元再建ではなく、
毛利時代の広島城の完全復元再建をした方が良いと考える。
完全復元は初期費用がかなり負担になるのと、前例が無いので、
なかなか理解を得るのが難しいでしょうが、
全国でも例が無い事をするという点では、
現存天守に次ぐ価値がある事を主張して終わりたいと思います。


下のページは時機に無くなると思います。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大河ドラマ「青天を衝け」が... | トップ | 芸藩志に登場する人物<メモ... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。