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歴史Blogを志向しています。このBlogのSite Masterの名前は、高木紀久です。

陳震

2024-10-23 22:30:54 | 三国志人物列伝
陳震


正史三国志蜀志(列伝)にその名がある。もともとは、劉表配下の内務官僚。曹操南下にともない、劉表が死去すると、当時、亡命の客将として新野(荊州北部)に居た、劉備に従い、同僚の伊籍らとともに新野を脱出する。以降、劉備と行動をともにするようになる。赤壁後、劉備が蜀攻略のために親征すると、龐統らとともに、これにも随行する。劉備の没後も蜀漢帝国に仕えた。最終的な身分は、尚書令。諸葛亮の命で、外交の使者として、同盟国であった呉に派遣されるが、具体的にこの時の外交交渉の内容についての記述は、ない。

高覧

2024-10-16 20:01:36 | 三国志人物列伝


高覧


高覧(生没年不詳)。袁紹軍の将軍。張郃とは互角という。官渡の戦いで、曹操の留守を、同僚の張郃とともに狙うが、曹洪の守備を破れず、張郃とともに降った。歴戦の勇将であり、許褚とも互角に渡り合っている。曹操配下では、偏将軍東萊侯。

淳于瓊

2024-10-14 21:10:22 | 三国志

淳于瓊


淳于瓊(?~AD200)。豫州頴川郡の人。字は仲貫。後漢の西園八校尉の一人。袁紹の旗本。袁紹軍三部督の一人。淳于瓊は、英雄であり、また、勇者だったが、対曹操戦で袁紹軍が大敗するきっかけを作るもととなってしまった。曹操の陽動作戦によって、白馬の戦いでの敗戦を喫してしまう。のちに輜重を任されている。烏巣の防衛を任されているが、曹操の降将となっていた許攸の計略で、曹操の強襲を受け、突破されている。淳于瓊は、捕らえられ、他の七人の帥将とともに帰らぬ人となった。

鞠義

2024-10-13 19:55:07 | 三国志
鞠義


鞠義(生没年不詳)。涼州西平郡の人。袁紹麾下の将軍。騎馬戦に長じた名将。対公孫瓚戦で先鋒隊を率いて戦う。公孫瓚は、北平の太守。北方異民族からの中原との国境の防衛で功績があった。白馬義従という独特の戦形で知られ、北方騎馬民族から白馬史令の名で畏れられた。緒戦、公孫瓚軍の先陣を破り、公孫瓚自身のいる中軍に迫る活躍を示す。しかし、この時、たまたま公孫瓚軍に客将として待機していた趙雲と渡り合って、命を落とした。

家宰と国宰

2024-10-11 21:17:35 | 民生と政治
家宰と国宰


家宰…
家政をあずかる人物。家の当主とは別に存在する。家の当主よりその家の家内の内政、内務を切り盛りする権限を委任されている人物。


国宰…
国政をあずかる人物。国家元首とは別に存在する。国の首脳よりその国の国内の内政、内務を執行する権限を委任されている人物。丞相。宰相。首相。