水滸伝 ~天命の誓い~
PART11
戦後処理
かくしていくさは終わった。勝利のグラフィックスが流れる。勝利のBGMとともに。筆者の記憶では、この勝利のグラフィック(とBGM)を見るのは、むずかしかった記憶がある。コンピュータゲーム(シミュレーションゲーム)として、『三國志』とは、ひと味ちがうむずかしさだった。この『水滸伝・天命の誓い』は。負けたときのグラフィックスはよく見た記憶があるのだが(記憶というか印象というべきかもしれないが)。とにもかくにも、いくさ(戦)は終わった。結果は、楊志軍の大勝利である。
戦後処理の場面となった。このときにもBGMが流れている。個人的には、『三國志Ⅴ』の劉備の曲に近いと思う。『三國志Ⅴ』では、曹操、劉備、孫権のそれぞれにテーマミュージックがあった。劉備の曲は、雄大な雰囲気のある曲調だった。曹操の曲は、威圧感のある荘厳な曲調だった。孫権のそれは、風光明媚な感じの曲だった。『水滸伝』の、この曲は、『三國志Ⅴ』における劉備の曲にも似て、英雄的な雰囲気を醸し出している、曲である。このBGMが流れる中、戦後処理が行われるのだった。
さて、北京大名府(ほっけいだいみょうふ)は、大所帯のため、捕虜の数も大量だった記憶がある。多くは、仲間に加わったが、わが楊志党に加わらない者も、なかにはあった。まず、大将の秦明(霹靂火秦明)だが、残念ながら、首を切っていたと思う。昔のことなのでもうあまり記憶がないのだが、秦明が仲間になったという記憶がないのである。その後、秦明が仲間として活躍したという記憶はない。だから、やはり、彼(秦明)は、楊志の仲間に加わらず、そこで終わってしまったものと思われるのだ。彼は、忠勇の士であり、敵の軍門にくだることはなかった。しかし、帰してしまってもあとあと厄介なので首を切ってしまったものと思われる。
捕虜になった者の中には、宋江もいた。彼もまた、秦明と同様、忠勇の士であるため、こちらの軍門にくだるはずもない。しかし、さすがに宋江の首を切るわけにもいかないので、そのまま帰すのだった。
こうして戦後処理は終わった。北京城(ほっけいじょう)は、攻略された。楊志は、宋の北東に一大勢力を築くこととなったのである。現在の、その勢力範囲は、揚州から北京のあたりくらいまでである。
倒せ、高俅!守れ、宋を!楊志の戦いははじまったばかりである。
第一部 北京大名府編 完
PART11
戦後処理
かくしていくさは終わった。勝利のグラフィックスが流れる。勝利のBGMとともに。筆者の記憶では、この勝利のグラフィック(とBGM)を見るのは、むずかしかった記憶がある。コンピュータゲーム(シミュレーションゲーム)として、『三國志』とは、ひと味ちがうむずかしさだった。この『水滸伝・天命の誓い』は。負けたときのグラフィックスはよく見た記憶があるのだが(記憶というか印象というべきかもしれないが)。とにもかくにも、いくさ(戦)は終わった。結果は、楊志軍の大勝利である。
戦後処理の場面となった。このときにもBGMが流れている。個人的には、『三國志Ⅴ』の劉備の曲に近いと思う。『三國志Ⅴ』では、曹操、劉備、孫権のそれぞれにテーマミュージックがあった。劉備の曲は、雄大な雰囲気のある曲調だった。曹操の曲は、威圧感のある荘厳な曲調だった。孫権のそれは、風光明媚な感じの曲だった。『水滸伝』の、この曲は、『三國志Ⅴ』における劉備の曲にも似て、英雄的な雰囲気を醸し出している、曲である。このBGMが流れる中、戦後処理が行われるのだった。
さて、北京大名府(ほっけいだいみょうふ)は、大所帯のため、捕虜の数も大量だった記憶がある。多くは、仲間に加わったが、わが楊志党に加わらない者も、なかにはあった。まず、大将の秦明(霹靂火秦明)だが、残念ながら、首を切っていたと思う。昔のことなのでもうあまり記憶がないのだが、秦明が仲間になったという記憶がないのである。その後、秦明が仲間として活躍したという記憶はない。だから、やはり、彼(秦明)は、楊志の仲間に加わらず、そこで終わってしまったものと思われるのだ。彼は、忠勇の士であり、敵の軍門にくだることはなかった。しかし、帰してしまってもあとあと厄介なので首を切ってしまったものと思われる。
捕虜になった者の中には、宋江もいた。彼もまた、秦明と同様、忠勇の士であるため、こちらの軍門にくだるはずもない。しかし、さすがに宋江の首を切るわけにもいかないので、そのまま帰すのだった。
こうして戦後処理は終わった。北京城(ほっけいじょう)は、攻略された。楊志は、宋の北東に一大勢力を築くこととなったのである。現在の、その勢力範囲は、揚州から北京のあたりくらいまでである。
倒せ、高俅!守れ、宋を!楊志の戦いははじまったばかりである。
第一部 北京大名府編 完