
青い海の中に、砂浜だけの島がある。
島と呼べるのかさえ疑わしい。
真っ白な砂浜だけの島だ。
12年ぶりに訪れたそこは、何も変わっていなかった。
都会の喧騒とは無縁のそこは、どこか現実味が希薄だ。
その砂浜だけの島で一冊の本を読んだ。
『世界の中心で、愛を叫ぶ』
ミーハーだね。
感動とかはまるとか、そういうことは無いが、人の死について、或いは、手放してしまった想いについて、共感することが多かった。
苦しむ程、人を愛した事は一度しかない。
もともと家族も含めて、人を愛しく思うことに矛盾を感じる私だが、多分、あの時が唯一の愛だったのだろう。
二人でよく旅をした。
でもそれは、お互いの生い立ちを知る旅だった。
京都や神戸、姫路、甲府、箱根、伊豆・・・。
小さな、ほんと何気ない街角や田舎道へ何度も何度も出掛けた。
ここで何があった、あの時、何を思った。
私はその子の全てを理解しようと努めた。
その子が中学時代をすごした街を訪れた時だった。
「行きたくない」
その子がそう言うのは初めてだった。
「言いたくなければいいんだよ」
明るくていつも冗談ばかり話しているその子の中にある翳りには気付いていた。
その場所が、その翳りの理由だと知ったのは少したってから。
言わなくてもいい。
そう言ったのに、その子は聞いて欲しいと話を続けた。
その子の家は、都会からその田舎町へ移り、塾を経営していた。
粗末な家や温泉芸者の置き屋が並ぶ中では、立派すぎる家だった。
町の住民から一目置かれながらも、逆恨みされたことも多かったという。
それは絶対にその子の責任ではない。
しかし、決定的な取り返しのつかない責めを負わされたのはその子だった。
「絵画教室の帰り・・・」
「・・・川の土手・・・」
「・・・町の男に・・・」
途切れ途切れの言葉。
私は聞きたくはなかった。
でもそれを話そうとするその子の方が、どれだけ苦しくて、決心をして話しているのか。
その翳りが、少しでも救われるのなら、私がその子の力になろうと。
今の日本で、そんなことがあるのか。
映画や本の世界ではなく、現実にそんなことを中学生の女の子が負わされていいのか。
その子は進学とともに町を捨て、以来、東京の粗末な部屋に住む。
名門女子大に通いながら、哲学を学びながら、芝居とダンスにのめり込んで行く。
人を愛することが億劫になり、極端な生活に翻弄されて行く。
私がその子と知り合った時、その子は名門女子大を卒業し、一流企業に就職しながらどこか途切れそうで危なく、かといって人に弱みを見せない、元気な、偽りのその子を演じていた。
同じ匂いと言えばいいのか。
翳りの原因は判らないが、明らかに強がる姿が私自身と重なった。
10数年前の事だ。
それからは、恐らく小説以上に現実味の無い生活を二人で続けた。
今、職を失っていないことが不思議な位いに破滅的な、しかし、深く愛を感じた日々だった。
しかし
別れは、私の臆病と不安定と卑怯な振る舞いから、やって来た。
というよりも、突然、私が幕を曳いた訳だ。
その後一度だけ、その子と偶然、大阪の街で出会った。
私がGセンタ設立で大阪へ飛ばされている時だった。
あいつは、大きなイベントを仕切っていた。
そのイベントの流れが、その子のベストセラーに繋がって行く。
やがて電子民主主義のロビー活動に区切りを付け、今、ある研究所で新しい医療の概念に関する研究とその論文を連載している。
人の運命には時というものがある。
その時が今だと気付く人は少ない。
私は何もかも、過去になってから気付いた。
そして成長せず、いつまでも同じ事を繰り返そうとしている。
その子の足跡と比べる対象にもならない結果の中でもがいている。
一度だけ、最近になって電話を掛けた。
どこに暮らしているのか判らないが、電話だけは私が分かるようにしてくれている。
あいつは今、輝いている。
それは紛れもない事実だ。
そのはずだ。
「今、楽しいかい? 楽しいことあったかい?」
私は不躾に尋ねた。
「いいえ・・・」
そう告げると直ぐに、あいつは電話を切った。
そうか。
今、お前を突き動かし輝かせるエネルギーは「楽しさ」ではないのか・・・。
ならば、憎め。
憎んででもいい。
超一流で居続けてくれ。
輝いたままでいてくれ。
私を一笑に付し、哀れみ、蔑み、追い込んでくれ。
それを私は、私自身を突き動かすエネルギーにする。
『たった一人、愛した人との永遠の勝負』を心の糧にする。
なんて気持ちにさせるのも、
この場所『真っ白い砂だけの島』と
そこで読んだ本『世界の中心で、愛を叫ぶ』のせいだね(笑)。
それって、はまってるじゃん(爆)。
島と呼べるのかさえ疑わしい。
真っ白な砂浜だけの島だ。
12年ぶりに訪れたそこは、何も変わっていなかった。
都会の喧騒とは無縁のそこは、どこか現実味が希薄だ。
その砂浜だけの島で一冊の本を読んだ。
『世界の中心で、愛を叫ぶ』
ミーハーだね。
感動とかはまるとか、そういうことは無いが、人の死について、或いは、手放してしまった想いについて、共感することが多かった。
苦しむ程、人を愛した事は一度しかない。
もともと家族も含めて、人を愛しく思うことに矛盾を感じる私だが、多分、あの時が唯一の愛だったのだろう。
二人でよく旅をした。
でもそれは、お互いの生い立ちを知る旅だった。
京都や神戸、姫路、甲府、箱根、伊豆・・・。
小さな、ほんと何気ない街角や田舎道へ何度も何度も出掛けた。
ここで何があった、あの時、何を思った。
私はその子の全てを理解しようと努めた。
その子が中学時代をすごした街を訪れた時だった。
「行きたくない」
その子がそう言うのは初めてだった。
「言いたくなければいいんだよ」
明るくていつも冗談ばかり話しているその子の中にある翳りには気付いていた。
その場所が、その翳りの理由だと知ったのは少したってから。
言わなくてもいい。
そう言ったのに、その子は聞いて欲しいと話を続けた。
その子の家は、都会からその田舎町へ移り、塾を経営していた。
粗末な家や温泉芸者の置き屋が並ぶ中では、立派すぎる家だった。
町の住民から一目置かれながらも、逆恨みされたことも多かったという。
それは絶対にその子の責任ではない。
しかし、決定的な取り返しのつかない責めを負わされたのはその子だった。
「絵画教室の帰り・・・」
「・・・川の土手・・・」
「・・・町の男に・・・」
途切れ途切れの言葉。
私は聞きたくはなかった。
でもそれを話そうとするその子の方が、どれだけ苦しくて、決心をして話しているのか。
その翳りが、少しでも救われるのなら、私がその子の力になろうと。
今の日本で、そんなことがあるのか。
映画や本の世界ではなく、現実にそんなことを中学生の女の子が負わされていいのか。
その子は進学とともに町を捨て、以来、東京の粗末な部屋に住む。
名門女子大に通いながら、哲学を学びながら、芝居とダンスにのめり込んで行く。
人を愛することが億劫になり、極端な生活に翻弄されて行く。
私がその子と知り合った時、その子は名門女子大を卒業し、一流企業に就職しながらどこか途切れそうで危なく、かといって人に弱みを見せない、元気な、偽りのその子を演じていた。
同じ匂いと言えばいいのか。
翳りの原因は判らないが、明らかに強がる姿が私自身と重なった。
10数年前の事だ。
それからは、恐らく小説以上に現実味の無い生活を二人で続けた。
今、職を失っていないことが不思議な位いに破滅的な、しかし、深く愛を感じた日々だった。
しかし
別れは、私の臆病と不安定と卑怯な振る舞いから、やって来た。
というよりも、突然、私が幕を曳いた訳だ。
その後一度だけ、その子と偶然、大阪の街で出会った。
私がGセンタ設立で大阪へ飛ばされている時だった。
あいつは、大きなイベントを仕切っていた。
そのイベントの流れが、その子のベストセラーに繋がって行く。
やがて電子民主主義のロビー活動に区切りを付け、今、ある研究所で新しい医療の概念に関する研究とその論文を連載している。
人の運命には時というものがある。
その時が今だと気付く人は少ない。
私は何もかも、過去になってから気付いた。
そして成長せず、いつまでも同じ事を繰り返そうとしている。
その子の足跡と比べる対象にもならない結果の中でもがいている。
一度だけ、最近になって電話を掛けた。
どこに暮らしているのか判らないが、電話だけは私が分かるようにしてくれている。
あいつは今、輝いている。
それは紛れもない事実だ。
そのはずだ。
「今、楽しいかい? 楽しいことあったかい?」
私は不躾に尋ねた。
「いいえ・・・」
そう告げると直ぐに、あいつは電話を切った。
そうか。
今、お前を突き動かし輝かせるエネルギーは「楽しさ」ではないのか・・・。
ならば、憎め。
憎んででもいい。
超一流で居続けてくれ。
輝いたままでいてくれ。
私を一笑に付し、哀れみ、蔑み、追い込んでくれ。
それを私は、私自身を突き動かすエネルギーにする。
『たった一人、愛した人との永遠の勝負』を心の糧にする。
なんて気持ちにさせるのも、
この場所『真っ白い砂だけの島』と
そこで読んだ本『世界の中心で、愛を叫ぶ』のせいだね(笑)。
それって、はまってるじゃん(爆)。