石井康治
彩花文器 宴
1994 ガラス、宙吹き
工芸館の中は、とても暗くて
フラッシュでの撮影は、
禁止されておりましたので
写すのが難しかったです。
許可を得て、腕に撮影許可済みのシールを
貼って撮影させて頂きました。
彩花文器 宴
1994 ガラス、宙吹き
工芸館の中は、とても暗くて
フラッシュでの撮影は、
禁止されておりましたので
写すのが難しかったです。
許可を得て、腕に撮影許可済みのシールを
貼って撮影させて頂きました。
金森宗七(制作依嘱)
《花鳥文様象耳付大花瓶》
1892年以前
荒俣勝行氏寄託
金森宗七(1821~1892)は、
高岡金屋町の銅器商だった金物屋七郎右衛門の次男として生まれました。
美術品としての銅器の輸出を業とし、
また銅器の製造工場も経営しました。
この作品は宗七が金工職人に制作を依嘱し、
1900年のパリ万国博に出品されたものです。
ここには、高岡の伝統的な鋳銅技術と金沢の細密な象嵌技術がみられます。
《花鳥文様象耳付大花瓶》
1892年以前
荒俣勝行氏寄託
金森宗七(1821~1892)は、
高岡金屋町の銅器商だった金物屋七郎右衛門の次男として生まれました。
美術品としての銅器の輸出を業とし、
また銅器の製造工場も経営しました。
この作品は宗七が金工職人に制作を依嘱し、
1900年のパリ万国博に出品されたものです。
ここには、高岡の伝統的な鋳銅技術と金沢の細密な象嵌技術がみられます。
中杉与三七
《黄銅製竹林観音彫花瓶》
1890年
荒俣勝行氏寄託
中杉与三七(1853~1931)は、
装剣金工の技術を活かして活躍した、
明治期の高岡を代表する彫金師でした。
この作品も、色金を用いた象嵌で人物や花鳥を色彩豊かに表す、
高岡銅器の特徴をよく示しています。
高岡銅器の海外取引の先駆者であった塩崎利平の依嘱により
明治23年の内国勧業博覧会に出品され、褒状を受けた作品です。
《黄銅製竹林観音彫花瓶》
1890年
荒俣勝行氏寄託
中杉与三七(1853~1931)は、
装剣金工の技術を活かして活躍した、
明治期の高岡を代表する彫金師でした。
この作品も、色金を用いた象嵌で人物や花鳥を色彩豊かに表す、
高岡銅器の特徴をよく示しています。
高岡銅器の海外取引の先駆者であった塩崎利平の依嘱により
明治23年の内国勧業博覧会に出品され、褒状を受けた作品です。
二代横山彌左衛門《菊花文飾壺》1889年
個人蔵(登録美術品)
二代横山彌左衛門(1845~1903)は、
海外でも高い評価を受けた彫金技術の名手であり、
また高岡で数多くの職人を擁する実力者でもありました。
この壺はパリ万国博へ出品するために特別に作られ、
日本美術の代表例として紹介されたもののひとつです。
文様に菊をほどこすなど、
我が国の文化を世界に発信するための工夫が見受けられます。
個人蔵(登録美術品)
二代横山彌左衛門(1845~1903)は、
海外でも高い評価を受けた彫金技術の名手であり、
また高岡で数多くの職人を擁する実力者でもありました。
この壺はパリ万国博へ出品するために特別に作られ、
日本美術の代表例として紹介されたもののひとつです。
文様に菊をほどこすなど、
我が国の文化を世界に発信するための工夫が見受けられます。