気紛れ雑記(滓)

気が向けばまた…

詰まらん事 15

2007-06-17 | Weblog
 今日は朝起きて以降、頭がぼーっとした儘である。
どうやら昨日の散歩で直射日光を浴び過ぎた影響であるに違いなく…
 そんな昨日の同居人とプラプラ歩いて居ると、
逢い引きホテルの多い地域に差し掛かった。
土曜と云うか、週末の昼間、梅雨の合間の晴天、
思いの外老若男女様々な番いの出入りを目にした。
無論、僕等も番いに違いは無いんだが、そう云う類の行為とは疎遠である。
寧ろ、無頓着であるから通り抜けられた訳でもあり、
少し意外でもあったから吃驚したのと同時に、
何とはなしにその現実にがっくり来た訳で…
おまけに、若い番いであれば、ま、互いに実家でだとか、理解出来ないでも無いが、
兎に角、おっさんの多い事多い事…。
 ま、自分の余りにも精力減退も考えモンだが、
其れにしてもおっさんはセックスが好きなんだなぁ…
と感心すると同時に、駄目だこりゃでもある。
 明らかに其れと解る女性と…
別段、僕は売春なぞを悪だ等と云う積もりは更々無いし、
買うおっさんが悪いだの、売るネーちゃんが悪いだのも無い。
ただ、天気の良い、土曜の昼の日中に、それしか無いんか?
と考えると、何ともこー複雑と云うか、更に、曲がり角に立つ、
明らかに其れと解る、無理のある若作りな売春婦にも幾許かの侘びしさと云うか、
何とも、こーアレと、言い様の無い感覚に妙な疲れを感じ、
その後神社で何故か神さんに申し訳なさを覚えつつ、勢い好く柏手を打って置いた。
 う~ん、そりゃ確かに破廉恥事件も多いだろうし、
如何に自分の生命力の弱っているかを思い知った事もある。
何も、汚い物にがっかり来る程僕は綺麗では無いし、
同居人の過去を考えれば、軽蔑なぞ出来ないばかりか、ただ気の毒に成るばかりか、
その気の毒さの御節介に過ぎない事と、当人の自業自得も解る分、
ま、単にたた其処にある現実である事に過ぎず…
 そして、何の根拠も無いんだけれど、此の身勝手な民主主義も、そんなに長く無いかも知れんなぁ…
なんて、訳も無く大風呂敷をひろげてしまいそうになる。
 ま、性風俗の乱れは別段構わんが、其れならば其れで、
文化的に豊かにでも成れば好いんだが、残念ながら其れも見込めそうに無い。
新しい芸術的な某かが創造されれば好いんだけれども、
此れだけ権利だとか、著作権云々で雁字搦めな上、商用ベースの重要視されると、
個人の自己満足だけでは難しいと云うか…
唯一、オタク文化だけは頑張っちゃ居る気はするが、其れも様々な横槍や、
妙な外人の妙なのが入って来て、濃さの薄らいで行く気がしないでも無いし…
何より、虐げる者と虐げられる者の線引きも曖昧だもんだから、
芸術的発露の瞬発力も乏しいんはどう仕様も無く…
 この儘格差のひらく事は、寧ろ新しい芸術行動へ繋がるやも知れんと云う期待も込めて、
矢張り、どう仕様も無い処まで、どんどん拡がって頂きたいモンだ。
恐らくまだまだ不満や憤りは足りないに違いない。
 とは云え、嘗ての芸術や文化、特に博物館や美術館に陳列されている物の多くは、
今現在莫迦にされている男性の無駄遣いに依る物ばかりであるから、
今後は、そう云う意味からも中々難しいと云うか、御婦人にそう云うんは無いだろうし…
結局、今現在の社会を見渡したとて、
男性社会の枠組みの美味しい所取りしか出来ていない、
此の国の御婦人なぞは特に怪しい訳で…
 おまけに、嘗ての様に、薬物に頼る芸術は赦されんばかりか、
腐れ芸術家と売春宿の女との傷を舐め合う様な生き方は厳しい訳で…
 てな、下らん事を書いている今日は、一応実家を訪ねる積もりで、
手みやげにケーキなんぞも用意して居たにも拘わらず…。
どうにも、億劫であるばかりか、土産を持って行って、
帰りに生活費の少しばかりを手渡される本末転倒な光景を想像すると、
もう、実家に行く気概も無くなり…「すまん親父」と心で呟くしか無い。
 逆か、この齢に成って…
結局、自身の駄目さを社会だの何だのに擦り替えて居る、
お目出度い糞野郎である事だけが忍びない。
明確な絶望感なんて事を謂ってる時点で、甘いの何のって…
実に、自分が社会のゴミであるかを突き付けられるばかりである。
 気弱で欲の薄い者は処分する処理場でも無いモン哉…
若しくは、この糞見たいな自尊心だけでも食い潰すバクテリアが在れば善いのに。
あ、序でにコノ詰まらん妄想癖諸共…。
って、其れが無くなったら一体僕は誰なんだ?
ま、いいや、そんなモン要らんし…。