僧侶のあれこれ(新)・・・・・願宗寺

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平成とういう年号

2018年10月19日 | 日記

【平成とういう年号の終わりにあたり】
毎年上越地区では先の大戦の戦没者追悼法要が8/15に高田公園内の慰霊塔で行われます。
公共の施設内ではありますが、忠霊塔、慰霊塔、その他いくつかの碑が建てられています。
この公園は自称日本三大夜桜と称し期間中100万人が来場する観桜会が開かれる
場所でもあります。













また8/15の追悼法要は蓮まつりの期間中であり東洋一といわれる蓮の群生地で高田城跡お堀に見渡す限り咲いている風景は現世において浄土を垣間見ているようでもあり追悼の場にとしては最適であります。



この法要で高田仏教会会長として導師をお務めておりますが、ここに塔、碑を建立した先の人々の戦没者に対する想いが心に沁みます。





さて戦争はなぜいけないのでしょうか?
全世界が平和であっても確率的に平均寿命から年間世界人口の約1/80の死者が出ます。
平和であっても世界人口約70億人のとすれば年間約9000万人位は自然死しします。

私は約35年間住職として多くの方の死に携わりお見送りいたしました。
どの方の死も悲しくつらいものであります。
私たちは必ず死を迎えます。大切な人愛おしい人でもいつかは別れなくてはいけません。
そのような無常の世において悲しみの中でも安心してお別れお送りすること。また後ろ髪惹かれる思いでこの世を去っていかなければいけない人でも安心してこの世を去っていけるのが宗教の持っている力です。
しかしながらその力が及ばない場合があります。それは死の順番が変わることです。
子供を亡くした親の苦しみは計り知れません。
また本来死ぬべき年齢ではない人は子供が小さい親は子の将来を案じ、残される家族に思いを残しこの世を去っていかなければいけません。そして残された家族には不安な将来が待ち受けています。

これらのことは平和の世にあってもまれに起こりうることでありますが日常的ではありません。しかし戦争では人の死の順番が狂うことが日常的に起こります。
人の死の順番が狂うことこそが悲惨なことであります。
多くの親は子の死に辛い悲しみに、また親を亡くした子は寂しく路頭に迷います。

自然界は私たちに多くの試練を与えますが、私達自身が自分の手で自然界より酷な仕打ちをするのが戦争です。

日本が戦争をしていないのは近代国家になって平成の年号以外はありません。
来年には平成が終わりますが
次の元号も戦争をしないでもよい日本であってほしいと切に念願する次第です。

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