
☆心の空間
自分の時間を有意義に過ごせることは素晴らしい事です。
自分という空間が広く、奥深い事が解ります。
一人の時間をどう過ごすか?
賑やかな環境に中にいると、ふと間が空いてしまうことに違和感を覚える人もいるかと思いますが、その時間、その空間をどう埋めていくか?で、自然な形で心の修正もできるように思います。
その時間をただ何となく過ごすか?何か趣味を持ち気分転換の、自分修正の時間として大切にするのか?で人生を生きる満足度が違ってくると思います。
自分というものを探求していくと、多くの発見があり、その発見や気づきは尽きないのだと感じます。
たった一人の人間であっても、一生を通して観察すると、退屈どころか。。。驚くほど素晴らしい叡智が詰まっているのかもしれません。
これほど沢山の変化や、数多くの目の前の問題・課題を抱え、奮闘している自分に興味を持ったら、意外と面白いかもしれません。
ただ、面白くない。。と感じるのは、今この瞬間に学びを得ようとしていないからではないでしょうか?
自らが目の前の学びや、新鮮な発見を拒否してしまえば、これほどつまらなく、退屈で不満な日々は無いのかもしれません^^;
自分という存在に、若いうちから興味を失い、飽き飽きしてしまっている人も多いように感じます。
人の人生なんて、そう簡単に飽きてしまえるものでもなく、次々と無理難題ばかりを押し付けられ、結構ハードです^^;
ちっとやそっとでは、簡単に満足を感じられず、目の前の事に直ぐに興味を失い、直ぐに退屈していく自分がいたとしたら、環境そのものが停止し成長が止まったのではなく、完全に自分の心の成長が止まってしまっているだけにすぎない。。。と思っても良いのかもしれませんね。。。
周囲は動き続けているのです。。。
ひとつの満足感が長く持続せず、直ぐにそれが完結に繋がってしまう、パターン化された、負の思考回路が出来上がってしまわないように、気をつけなければいけません。
習得する喜びの経験や、物事を完成させる達成感を味わう事で、楽しさは倍増します。
どんな事であっても、何かを真剣に学んだ経験や、やり遂げた経験は、貴重なものとなっていき、自分の中で、限界まで挑戦した経験などは、成功体験として記憶に残ります。
このような成功体験が乏しいと、結果に辿り着くまでの過程にこそ、楽しみがあり、ワクワク感があり、生きる実感もあるはずだ。。。とは思えなくなり、簡単にその楽しみを手放してしまう場合もあるようです。
そのものが持つ価値観を感じる前に、早々と諦める人生は?一歩出遅れたものとなりそうです。
物事のスタートというのは、緊張感も漂いますし、不安もつき物です^^;
その不安を克服する前の段階で、つまらないことに首を突っ込んでしまった。。。と、早々と後悔してしまうのは、自分の人生を単純にしてしまうだけです。
私は子供の頃から父親に、自分のやりたい事をやれ!自分の時間を持ち、人生を豊かに保てるような趣味を持て!と、独りの時間を有意義に過ごす事の大切さを教えられ、心の成長を応援する言葉を、繰り返し言われてきたように思います。
心がどれだけ人を救うか。。。ということを、幾度と無く聞かされ、潜在意識に刻み込まれた。。。^^;というのはこのような事を言うのだろう。。。と、最近思います。
戦争の時代を経験し、波乱万丈の人生を送り、決して思うような人生ではなかったかもしれませんが、常に心と向き合ってきた父だからこそ、深い説得力が生まれてきたのだと思います。
父の事を思い出すと、いつも原点に戻れ、温かな気持ちになれます。。。^^
父の言葉は私の奥深くに浸透し、不動のものとなっているのでしょう。。。
現在に至るまでの、人生の学びの原点を創ってくれた父に感謝ですね^^
土台となるものを、自分の中に創っていくことの重要な意味が、今やっと?こうして理解できるようになりました。
そして、その大切さ?父の教えてくれた魂を、誇りを持ち次世代へと繋いで行こうとも思えます。
人は、自分の人生にただただ脇目も振らず、向き合って生きているだけであっても、充分すぎるほどの説得力も生まれてくるのです。
ただ、肝心なのは真剣に向き合ったか?という事だけなのだと思います。
自分は何も持っていない。。。などと嘆くことはありません。
どんな辛い経験も、それを消化し生かす場を与えてあげるだけで、その経験・想い出は修正されていくようです。
こうして人生にただ日常をこなすだけでも、結構退屈などせずに、楽しめるものなのです。
最大限の自由は無いかもしれませんが、自分の与えられた範囲の中で、その枠を最善のものにするのか?つまらないものにしてしまうのか?は自分の心次第なのだと思えます。
そして、心の空間を自分なりのアレンジで満たし、バランスを取っていく。。。
ひとつの事に向き合う習慣の大切さ。。。
人は皆、どのような人であっても、学習する事や向上することは好きなのだと感じます。
ただ、どうしたら良いのか?コツを掴むまでが試練であって、少しだけ我慢しながら諦めずに進む事で、いつしかそれを克服できる段階に突入します^^
興味があることに対し、自分に必要か?不要か?を判断できる段階まで進んだとしても、決して無駄にはならないはずです。
一瞬興味を持ったものが、もしかしたら、今後の自分の人生の目的を満たすものとなる可能性もあるかもしれません。
興味を感じるものとは、潜在的な部分に潜む自分自身の欲求かもしれません。。。
少しでも興味を持ったものを、自分自身の心の中で育てる工夫は必要です。
育てる事を怠る事で、心までもが育たなくなり、全く変化してはいかなくなってしまいます。
自分の心に変化が起こらなくなるが為に、現状に楽しみを見出せない。。。
どう見ても?それほど自分と生活環境が違うわけでもないのに、自分よりも常に新鮮な表情で、何かに活き活きと向かっている人というのは、日々心の成長があるからこそ、退屈を感じないという事なのでしょう。。。
どんなに単調な作業の繰り返しであっても、毎日の単純な繰り返してあっても、何かを発見する心があることで、毎日が豊かに充実してくるようです^^
研究を続ける人や、創造的なお仕事をされる人などは、退屈する暇など無いのかもしれません。
次々と、興味が沸き、自分の内面が、一箇所に留まることなく、成長し続けているはずです。
同じことの繰り返しでも、同じ顔ぶればかりの単調な生活であっても、自分の心が常に再生を繰り返し、留まる事を怠らなければ、新鮮な毎日そのものです^^
自分以外のものに変化を求めるのではなく、自分自身が変化していく勇気と楽しみを持つことですね^^
自分の時間を有意義に過ごせることは素晴らしい事です。
自分という空間が広く、奥深い事が解ります。
一人の時間をどう過ごすか?
賑やかな環境に中にいると、ふと間が空いてしまうことに違和感を覚える人もいるかと思いますが、その時間、その空間をどう埋めていくか?で、自然な形で心の修正もできるように思います。
その時間をただ何となく過ごすか?何か趣味を持ち気分転換の、自分修正の時間として大切にするのか?で人生を生きる満足度が違ってくると思います。
自分というものを探求していくと、多くの発見があり、その発見や気づきは尽きないのだと感じます。
たった一人の人間であっても、一生を通して観察すると、退屈どころか。。。驚くほど素晴らしい叡智が詰まっているのかもしれません。
これほど沢山の変化や、数多くの目の前の問題・課題を抱え、奮闘している自分に興味を持ったら、意外と面白いかもしれません。
ただ、面白くない。。と感じるのは、今この瞬間に学びを得ようとしていないからではないでしょうか?
自らが目の前の学びや、新鮮な発見を拒否してしまえば、これほどつまらなく、退屈で不満な日々は無いのかもしれません^^;
自分という存在に、若いうちから興味を失い、飽き飽きしてしまっている人も多いように感じます。
人の人生なんて、そう簡単に飽きてしまえるものでもなく、次々と無理難題ばかりを押し付けられ、結構ハードです^^;
ちっとやそっとでは、簡単に満足を感じられず、目の前の事に直ぐに興味を失い、直ぐに退屈していく自分がいたとしたら、環境そのものが停止し成長が止まったのではなく、完全に自分の心の成長が止まってしまっているだけにすぎない。。。と思っても良いのかもしれませんね。。。
周囲は動き続けているのです。。。
ひとつの満足感が長く持続せず、直ぐにそれが完結に繋がってしまう、パターン化された、負の思考回路が出来上がってしまわないように、気をつけなければいけません。
習得する喜びの経験や、物事を完成させる達成感を味わう事で、楽しさは倍増します。
どんな事であっても、何かを真剣に学んだ経験や、やり遂げた経験は、貴重なものとなっていき、自分の中で、限界まで挑戦した経験などは、成功体験として記憶に残ります。
このような成功体験が乏しいと、結果に辿り着くまでの過程にこそ、楽しみがあり、ワクワク感があり、生きる実感もあるはずだ。。。とは思えなくなり、簡単にその楽しみを手放してしまう場合もあるようです。
そのものが持つ価値観を感じる前に、早々と諦める人生は?一歩出遅れたものとなりそうです。
物事のスタートというのは、緊張感も漂いますし、不安もつき物です^^;
その不安を克服する前の段階で、つまらないことに首を突っ込んでしまった。。。と、早々と後悔してしまうのは、自分の人生を単純にしてしまうだけです。
私は子供の頃から父親に、自分のやりたい事をやれ!自分の時間を持ち、人生を豊かに保てるような趣味を持て!と、独りの時間を有意義に過ごす事の大切さを教えられ、心の成長を応援する言葉を、繰り返し言われてきたように思います。
心がどれだけ人を救うか。。。ということを、幾度と無く聞かされ、潜在意識に刻み込まれた。。。^^;というのはこのような事を言うのだろう。。。と、最近思います。
戦争の時代を経験し、波乱万丈の人生を送り、決して思うような人生ではなかったかもしれませんが、常に心と向き合ってきた父だからこそ、深い説得力が生まれてきたのだと思います。
父の事を思い出すと、いつも原点に戻れ、温かな気持ちになれます。。。^^
父の言葉は私の奥深くに浸透し、不動のものとなっているのでしょう。。。
現在に至るまでの、人生の学びの原点を創ってくれた父に感謝ですね^^
土台となるものを、自分の中に創っていくことの重要な意味が、今やっと?こうして理解できるようになりました。
そして、その大切さ?父の教えてくれた魂を、誇りを持ち次世代へと繋いで行こうとも思えます。
人は、自分の人生にただただ脇目も振らず、向き合って生きているだけであっても、充分すぎるほどの説得力も生まれてくるのです。
ただ、肝心なのは真剣に向き合ったか?という事だけなのだと思います。
自分は何も持っていない。。。などと嘆くことはありません。
どんな辛い経験も、それを消化し生かす場を与えてあげるだけで、その経験・想い出は修正されていくようです。
こうして人生にただ日常をこなすだけでも、結構退屈などせずに、楽しめるものなのです。
最大限の自由は無いかもしれませんが、自分の与えられた範囲の中で、その枠を最善のものにするのか?つまらないものにしてしまうのか?は自分の心次第なのだと思えます。
そして、心の空間を自分なりのアレンジで満たし、バランスを取っていく。。。
ひとつの事に向き合う習慣の大切さ。。。
人は皆、どのような人であっても、学習する事や向上することは好きなのだと感じます。
ただ、どうしたら良いのか?コツを掴むまでが試練であって、少しだけ我慢しながら諦めずに進む事で、いつしかそれを克服できる段階に突入します^^
興味があることに対し、自分に必要か?不要か?を判断できる段階まで進んだとしても、決して無駄にはならないはずです。
一瞬興味を持ったものが、もしかしたら、今後の自分の人生の目的を満たすものとなる可能性もあるかもしれません。
興味を感じるものとは、潜在的な部分に潜む自分自身の欲求かもしれません。。。
少しでも興味を持ったものを、自分自身の心の中で育てる工夫は必要です。
育てる事を怠る事で、心までもが育たなくなり、全く変化してはいかなくなってしまいます。
自分の心に変化が起こらなくなるが為に、現状に楽しみを見出せない。。。
どう見ても?それほど自分と生活環境が違うわけでもないのに、自分よりも常に新鮮な表情で、何かに活き活きと向かっている人というのは、日々心の成長があるからこそ、退屈を感じないという事なのでしょう。。。
どんなに単調な作業の繰り返しであっても、毎日の単純な繰り返してあっても、何かを発見する心があることで、毎日が豊かに充実してくるようです^^
研究を続ける人や、創造的なお仕事をされる人などは、退屈する暇など無いのかもしれません。
次々と、興味が沸き、自分の内面が、一箇所に留まることなく、成長し続けているはずです。
同じことの繰り返しでも、同じ顔ぶればかりの単調な生活であっても、自分の心が常に再生を繰り返し、留まる事を怠らなければ、新鮮な毎日そのものです^^
自分以外のものに変化を求めるのではなく、自分自身が変化していく勇気と楽しみを持つことですね^^