2月20日、月曜日。
雨水を迎えた暦通りの暖かな一日。
重ね着のセーターをベストに替えて家を出ました。
このまま順当に行けば、
⇒コートをスプリングコートに替える、
⇒ベストを脱ぐ、
⇒コートを脱ぐ、
となるのですが、、、
今週は寒の戻りがあるそうですので、そう簡単には行かない様です。。。
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先週は港区の坂巡りを満喫しましたので、今週は日本橋川の橋巡りに戻ります~。😃
日本橋川で橋巡り(4)
シリーズ第四弾は、靖国通りに架かる俎橋から下流側の一ツ橋まで、計4本の橋を辿ってみました。
私にとっても初めて歩く界隈で、見るもの全てが新鮮です。
九段下からトコトコ
6時39分、九段下交差点から出発。
九段会館と昭和館の間に武道館のタマネギが光っています。
靖国通りの高架下が日本橋川と俎板橋です。
俎(まないた)橋
江戸初期からの橋ですが、架橋の年代は不明。
名前の由来は、2枚の俎板を渡したような板橋だったためとする説と、近くに在った台所町に因んだとする説があるそうです。
現在の橋は昭和58年に架け替えられた鋼桁橋で、何の面白味もありません。。。
下流側に向かいます。。。
川沿いのビルは千代田区役所の本庁舎です。
宝田橋
初代は昭和4年に架けられた震災復興橋で、現在の橋は昭和43年竣工の単径間鋼箱桁橋です。
暗い川面に朝日が当たってキラキラと、、、
川の左岸を歩いて雉橋通りへ、、、
共立女子大3号館
一帯に共立女子大学の校舎が集まっています。
雉子(きじ)橋
家康入府の頃、唐国の大規模な勅使団をもてなすため、諸国から雉子を集めた鳥小屋が付近に在ったことから雉子橋の名が付いたそうです。
雉の代わりに鳩がいました!😆
現在の橋は、震災後の大正14年(1925)に架け直されたものです。
戦後の没個性な橋よりも趣きがありますね。
一旦川筋を離れ、神田警察通りを東へ、、、
一ツ橋交差点
一橋大学の千代田キャンパスと一橋講堂。
正面は学士会館です。
一ツ橋
かつて一橋御門があり、徳川御三卿の一橋卿が屋敷を構えた場所です。
江戸期の古書によれば、「もともと丸木を一本渡した橋だったため、「ひとつ橋」「まろき橋」と言い習わしていた。」のだそうで、まさか、一ツ橋の由来が一本の丸木だったとは面白い話ですね。。。
現在の橋は大震災後の大正14年、従前の位置よりやや下流側に架けられたものです。
橋の全体像が見れないのが残念です。。。
一橋徳川家屋敷跡
現在は丸紅本社ビルが建っています。
丸紅本社ビル前の河津桜
昨日、どなたかがブログに書かれていたので立ち寄ってみました♪
丁度見頃を迎えていました♪
一ツ橋の下流の橋は、前回歩いた錦橋です。
今日は此処までーーー
残っている橋はあと6本です!
内堀通りを歩いて会社に向かいました。
(おまけ)
久し振りに皇居外苑を歩きました。
橋巡りのおまけの二重橋。
本日もご訪問頂きまして有難うございました。