goo blog サービス終了のお知らせ 

踏み出す

日常生活の中で感じたことをアウトプット

怒り

2021-07-01 22:03:56 | 日記

必要以上に怒る人がいる

 

怒鳴りつける、いつまでも怒りをぶつけ続ける、いきなり怒り出す、手を出す、余計な一言を付け加える、ネチネチと同じことを言い続ける、人格を否定する etc etc

 

人に怒りをぶつける時はどういう時なのでしょうか。価値観をもった人と人の関わり合いの中で、ぶつかり合うことや相容れないことはあるのが自然だし、そのようなことがあっても関係を続けていけるのは素敵だと思います。しかし時に自分の感情”だけ”をぶつける人がいます。特に相手が自分より弱い者に向けて、怒りをぶつけます。何より厄介なのは、そういう人に限って怒りをぶつけた相手から好かれていると思っている人もいることです。どういう考え方をするとそのような結論に至るのか、私には理解が及びません。寧ろあんな言い方をしてしまって、自分は嫌われたんじゃなかろうかと考える方が自然だと思います。

 

上司と部下、親と子、恋人同士等において、どうしても上下関係を作る人に多く見られるように感じます。相手を自分より下だと認識しない限り、理不尽に自分の感情をぶつけることは難しいからです。逆説的にいうと自分より上だと認識している相手には、そのような表現は用いません。肩書なのか、相手への気持ちなのか、もしくはその環境を受け入れているのかは分かりません。

 

ただ私が思うのは、そういう方はいつか下に見た相手から、見下されるということです。人生においていつ力のバランスが変わるかは分かりません。仮に今は上にいる感覚であっても、時を重ねるとその立場が逆転していることはあり得ます。それは例え親子関係においても、全てを否定できるものではないと思います。あくまで人は人として尊重することが大事です。少なくともその人自体を否定する言葉を投げつけるのは、かんかすべきではないと考えます。

 

しかしなぜこのような思考に至ってしまうのでしょうか。それは自分自身が同様の扱いを受けてきたからではないでしょうか。今いる環境ではないとしても過去のどこかや、場面の異なるどこかでこのような扱いを受けてきたから、自らも同様の行いをするのではないかと感じております。もしかすると自分でも悪いと感じながら、自分を止めることができないのかもしれません。最も不幸なことは、悪いことだと思っていない場合です。これが普通だからとか、誰々もやっていたから、逆説的に自分が同様の行いを受けてきたからと思っているのかもしれません。こういう方に対して掛ける言葉を私はまだハッキリと見つけることができておりません。

 

人である以上、誰かと自分を比べることは否定できません。しかし自分にとって大切な存在である相手の存在を否定するということは、自分自身を否定することになるのではないでしょうか。そう考えるとまず自分を愛せる環境が何より大事なのかもしれません。相手に愛を求めるのではなく、あくまで自らが自らを愛せるということです。何事も外側に原因を求めていては、いつまで経っても自らが抱える問題を解決することは叶わないのかもしれません。



コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。