人の感情は難しい
「片膝をつきバラの花束をもって意中の相手にプロポーズ」「校舎の裏で長年言えなかった想いを伝える」「口で伝えられない想いを手紙にしたためて渡す」素敵な場面ですね。しかし、なかなか人の感情表現はこのように綺麗なことばかりではありません。寧ろもっとトゲトゲしかったり複雑であったり汚さもあるかもしれません。
相手のことが好き過ぎて怒鳴ってしまう、泣いてしまう、冷たい言葉を投げつけてしまうということもあるとのことです。それは寂しさを上手く表現できずに、また相手が上手く汲み取れずに生じるとのことです。本当に難しいもので言葉の刃を向けて傷つけてきた相手には、素直に愛情を感じることはできません。
本当は傷つけたくないのに自分でも自分を止められず刃を向けてしまうのは、なぜなんでしょうか。相手と距離をとれば、もう自分が傷つかなくてよくなるからなのでしょうか。答えは本人にしか分からないのかもしれません。若しくは本人にも分からないのかもしれません。
私自身もそのような状況を経験したことがあります。相手方から攻撃的な言葉を一方的に投げつけられ続け、最後には寂しいからと言われたことがあります。正直に申し上げると、その時の私には理解が及ばない言動でした。しかし落ち着いてから、なぜそのような言動に至ったのかを聞いたり調べたり自ら考えてみると、上手く伝えられない感情をぶつけたという見方もあるのかもしれないと考えるに至りました。考えるには至っても、理解には結びつかないというのが正直な所ではあります。ただ人の感情や見方というのは、一方向からだけ考えても及ばないとは感じております。相手の立場に立って考えてみると見えてくるものもあります。
全ての人に対して相手の立場に立って理解を深めることは、現実的に難しいことです。しかし自分の身近な方であったり大切な方であるならば、辛いかもしれないけれど一度相手の立場に立って考えるということも必要なのかもしれません。
そうしなければいつまで経ってもその関係に進歩はないし、どこかで相手が悪いとしか考えれなくなるのではないかと考えます。先程も記載しましたが、全ての人に対してできることではありません。あくまでも色々なことがあっても今後もその人と関係が続くならば、適度な距離を保ちつつ相手の考えに想いを寄せるのも必要ではないでしょうか。
そして何より自分自身の在り方や立ち居振る舞いを見直すことが重要なのかもしれません。他人を変えることはできません。人が変わるのはあくまで自分で自分を変えたい、若しくは変わりたいと強く思ったときです。仮に自分の言動で他人が変わったと見えても、それは相手が自ら望んで変わったから変わっただけです。若しくは何かしらの力で屈服させているだけです。
相手に対する見方を変える、若しくは本当に相手を変えたいと思うなら自分が変わる以外に方法はありません。自分の何を変えるかは分かりません。しかし何より自らの意志で自らの変化や進歩しようとする姿勢が、自分を変えていけるのではないでしょうか。そのためには自分自身を諦めてはいけないと考えます。
結局ついてきてくれない人は、どれだけ説得してもついてきてくれません。あくまで普段からの自分に対して何かしらの評価を下さし、その人なりの判断基準でその人についていくかどうかを決めます。なのでやはり自分自身の人格を磨き続けることが大事になります。お金や年齢、地位というのは時とともに増減します。それは自らコントロールするのは難しいです。それでも人格を磨くというのは積み上げ続けることができます。たとえ途中で少し崩れても、そこからやり直せば良いのです。
私も人格を積み上げ続けていきます。
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