愛知県美術館と大名古屋温泉

2014年02月27日 | 思ったこと
例年2月から3月にかけては新年度の準備で仕事が常に多忙である。しかしこの日はどういう訳かぽっかりと行うべき業務が空いた為、有給を取得することに。あいにく天気予報では終日小雨。早朝に雨音で目が覚め、気分がやや萎える。

雨の休日はいつもより二時間ほど遅くベッドを出て、窓の外の降り続ける雨を眺めながら朝食。今日の朝食は冷蔵庫にあった卵とソーセージと豚肉に塩胡椒を振りフライパンで焼き、トーストで焼いたパンとヨーグルトを添える。満腹になると睡魔が襲う。食後に一時間ほど昼寝をして、その後急いで外出の準備。愛知県美術館にて「印象派を超えて―点描の画家たち ゴッホ、スーラからモンドリアンまで」が開催されていることを職場のパンフレットで知り、かねてより混雑を避けられる平日に訪問したいとチャンスを窺っていた。

栄へは時間の束縛があれば地下鉄で向かうが、スケジュールに余裕がある日は市バスを利用する。乗換が必要ないことや車窓からの景色を眺めるのが好きという理由で、敢えて時間のかかるバスを選択している。最寄りのバス停から栄行きのバスに乗車し30分ほどで栄に到着。栄の街は雨の平日ということもあってかいつもより人が少ないように思える。地下街、オアシス21を抜け愛知芸術文化センターへ。10階の愛知県美術館入り口にてHPにあるチケット割引を提示し100円引きの1,300円にて入場券を購入。

この美術館に来るのは6回目くらいだろうか。展示会場に入ると、人気がある印象派の展示にしては来客が多くなく、ストレスなくじっくりと絵画を鑑賞できそうである。展示作品でまず目を惹くのは印象派の代表であるモネの絵画。うつろう光や暖かな陽光が見事で、描かれた世界を鮮やかに鑑賞者である私たちの心に訴えかけてくる。次は分割主義のスーラの展示。パレット上で絵具を混ぜるのではなく、キャンバスに原色を細かく塗り補色を用い色彩を際立たせる描写を、同じ絵画に近寄って見たり遠ざかって見たりとその技法を興味深く感じながら鑑賞。次はゴッホの展示。前時代の影響を受けつつ、独特の強烈な色彩を放つ作品に息をのむ。そして最後はモンドリアンの作品。絵画を極めたものが到達する究極の抽象という新たな局面を見出した作家で、凡人の理解を超越し、現代21世紀アートの基盤となっている部分をこの作家の絵画から感じ取れた。企画展のビデオを鑑賞した後に常設展にも入場。何度か見たクリムトの黄金の騎士と再び再会。

常設展は足早に駆け抜け、来場時に気になっていた8階の名古屋芸術大学卒業制作展に立ち寄る。こちらの展示は予想以上に興味深いものであった。それぞれの学生が制作した作品はどれも若い感性を放ち、輝きを持っている。若さを持つ絵画やカラフルな衣装、機能性に優れた道具、デザイン性に富む雑誌…。いつの時代も効率面や機能を追及するだけでなく、芸術面や遊びの気持ちを持つことで、人々の心を豊かにしているのではないだろうか。若い人の作品からそんなことを改めて感じた。

次の目的地は中川区の大名古屋温泉。ここは古くからあった天然温泉施設で2014年3月末をもって閉業となるとのことを知った。栄から名古屋駅へ地下鉄で移動し、名古屋駅からは市バス横井町ゆきに乗車し。30分後中村住宅にて降車。ここから特徴のない住宅街を5分ほど歩き17:30頃に大名古屋温泉へ到着。

日没前で空は強い蒼色を放ち町を染める。スマホで時刻表やバス停の場所、地図のGPSを駆使し、迷うことなく目的地に着くことができた。券売機で550円支払い入場。やや古びているが温泉施設としては申し分ない。脱衣所や浴場では地元住民の声が行き交う。開業以来多くの客を集め、地域の交流の場としての機能を果たしてきたこの施設も後1か月の営業。温泉とはくつろぎの場を提供することで入浴者を癒す場所であり、同時に地元の人を繋ぎ生活に潤いを与える場所である。、閉館は経営者のことを思うと致し方ない面もあるが、悲しく残念な出来事である。雨が降り続く露天風呂で暮れゆく空を見上げながら、この温泉を愛してきた人の気持ちを考えた。帰路は寺腰のバス停から市バスで金山駅へ。金山からは地下鉄で帰宅。

最近はふと自省と自責の念に駆られることがある。

愚かで弱い自分。寛容さを持たずに虚勢を張る自分。気付いてはいる。反省もする。変わりたいと思う。でも、すぐに忘れる。言い訳をする。自分を見失う。年を重ね、経験から何を学んだのだろう。変化を誓った言葉はなぜいつも実践に移せないのだろう。成熟した心を持てなかったことで、どれだけのものを失ってきたのだろう。自分の人生にとって、大切なものはなに?ちっぽけな虚栄心の陰で、重要なものを見逃してきた。例えば大切な周囲の人との繋がり。人との繋がりは、信頼や優しさ、愛情が前提。自己主張や憎悪、不信感からは何も生まれない。思い遣ること、赦すこと、愛することを、本当に大切な人は理解してくれる。それも分かってはいる。人に対してそうあればいいことを。そうありたいことを。損をしても、負けても構わないことを受け容れられない自分がどこかにいて、そこが未熟な部分なのだろう。我慢ではなく、広い心を持つこと。人間性を失わないこと。自分に負けないこと。いつもそれが目標。目標ではなく、それが自分だと、そう言える日がいつか訪れるだろう。それには努力が必要。忍耐や悔しい気持ちもきっと伴う。でも、笑顔でいる。強くいる。行動を伴う意志を。言葉を。今、そう誓いたい。

終日小雨交じりの天候も、日の長さや寒さの緩んだ空気に春の到来が近いことを実感。花が咲き乱れ、新年度を迎え気持ちを新たに持てる春が待ち遠しい。