~⊂'"゛`づ,゜Д゜彡つ<一方、黒田先生はマイナンバーに全力投球なのであった。
~⊂'"゛`づ,゜Д゜彡つ<これを隠してどうすんのかと・・・
①仕事のため『あさま山荘1972』上下巻、坂口弘著・彩流社刊を読了。山岳ベース事件で12名が集団リンチ殺害に至る過程が描かれており、リーダーである森恒夫の特殊性が目立つ。自分達の思想的立場を深化するために同志に無理やり罪を告白させ、その言葉を逆手にとってさらに追求を激化していく。
②驚くべきは森恒夫が「総括が足りない」として次々と同志をリンチの標的にして殺害していく中で、30名弱のメンバーの誰一人「お前はどうなんだ」と森の自己矛盾を指摘しないことであった。同志の死は紛れもなく追求先導者の失態であるはずだが、「それは被害者が総括しきれなかったからだ」
③「我々が殺したのではない。強靭な精神力と信念があれば生き抜けたはずである。そうでなかったということは、自ら死を選んだのだ」(大意)という、あとになって落ち着いて考えればハチャメチャな理屈による責任転嫁があり、また集団内で一度その正当化を受け入れたことで、
④この「総括」は雪だるま式にどんどん加速していくことになる。
著者の坂口弘(確定死刑囚)によると、殴打の最中に「なぜ殴られているのかわからない」と叫ぶ被害者もいたそうだが、森が追求している途中に反論を述べる者は非常に珍しかったそうだ(対する森の返答は「自分で考えろ」)。
⑤こうした「相手の論理的整合性に異様に厳しい人」は、頭の回転が早く論理構成力が高い。そして何より、相手が目の前にいるうちは「自分はどうなんだ」という心の声を徹底して封じている(その善し悪しは置く)。なお、山岳ベース事件の首謀者である森恒夫は、逮捕後半年で獄中にて自殺した。
⑥本書の著者である坂口弘は、1996年4月、オウム真理教教祖・麻原彰晃の初公判の際に、証言を拒否する元信者や逃亡を続ける指名手配犯に向けて、朝日新聞に手記を発表している。その中で坂口は、カリスマ性を持つ指導者への「恋も及ばぬ指導者への愛」を語っている。
⑦「この体験から私は、自らの行為に疑問や迷いが生じた時には、何にもまして実感を大切にしなければならない、と心するようになりました。自分の心に感じたものにこだわり、それがスッキリするまで、しつこいように追求していく、ということです」前述手記より引用
⑧坂口弘にも、森恒夫と同じような熱情と盲目性を感じる(坂口自身も17名の殺害に関与している)が、同時に両者の思考の違いも感じる。目の前に論破すべき相手がいるうちは、自己矛盾を封じて相手の弱点を徹底的に追求する。そしてその相手がいなくなると、その思考を自らに向け、森は自殺を選び、
⑨坂口は獄中で山岳ベース事件の全容と森の論理構成の破綻を明らかにする本書を執筆した。本書は、終わり方は壮絶だが(何しろ表題の「あさま山荘」に辿り着く前に、原稿消失で途絶している)、歴史的な意義のある本である。ただ私には、森と坂口の「思考の速度と質の違い」が大変印象的だった。(了
~⊂'"゛`づ,゜Д゜彡つ<元連赤の坂口弘は正直にあるためにはを葛藤し続けている感がある。
既に死刑は確定してるんだけど「坂東逃げてくれ、捕まるな」との思いがあると正直に綴っているんだよなぁ。
@plqueplqu オランダの方だそうで、ありきたりのようですが、大変良いアピールだと思います。
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