@naniwacchi 政治素人だからしょうがないw
自民に左右などありませんしね。アホなネット情報鵜呑みにしすぎなんですわ。
~⊂'"゛`づ,゜Д゜彡つ<エネルギー戦略会議の件で二階は橋下の梯子を外した事が闘いの嚆矢であるw
@Mugu_RI 全く同感です。
平野が勝てば野党連携に楔が打ち込まれる形になるでしょう。
橋下徹ってまだ45歳だからなぁ…吉田茂も「国家の舵取り」という表舞台に出てきたのがたしか70近くだっただろ。そう考えりゃ年齢のアドバンテージは計り知れない。絶対、政治の場に戻ってくるよ。というより日本国家が在野のままの風雲児・橋下徹を看過するはずがない
~⊂'"゛`づ,゜Д゜彡つ<それはないと思われ。
風雲児とは二階みたいなのを言うw
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~⊂'"゛`づ,゜Д゜彡つ<おそらく森功は知ってて書いていない・・・ 学会ネタの方が一般受けするからだろうなぁw
~⊂'"゛`づ,゜Д゜彡つ<丁度、良い機会なので今まで書いたことがなかった二階俊博と公明との関係について書いてみる事にしよう。
中央において公明と二階の関係が明確に見えてくるのは1995参院選においてである。
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@fusagikosan 経緯は省くが当時、二階は新進党の選対委員長となっていた。新進党は新生、日本新党、民社党そして公明党などが合併して誕生した党であり、選挙文化の異なる集団の調整が二階の主な仕事であったという。
これは初めての事であったが為に骨が折れる仕事であったそうだ。
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@fusagikosan 中でも公明と党内をどう折り合いをつけていくかについて腐心したそうである。強力な支持団体であった創価学会であるが、反面で自民党は反創価キャンペーンを張って対抗するという新進党にとっては諸刃の剣状態だったからである。
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@fusagikosan 1996衆院選で新進党で二階が採った戦術は公明隠し戦術で、比例を公明系の多くを回し、他の党派は主に選挙区に立てるというものであった。
代わりに比例に回った公明系は比例上位、選挙区で立つものは比例重複下位、あるいはなしというもので、結果は死屍累々であったw
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@fusagikosan この結果、多くの議員が僅差にも関わらず落選の憂き目を見ることになる。野田佳彦もその一人だった。経験を持つ多くの議員の落選は後の政界に深刻な世代層不足を引き起こすことになってしまった。
だがこれによって公明議員は残り、二階の関係は強化されることになる。
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@tmw5223 現職自民VS新人民主。民主には多分生活が乗る。
岩手には岩手県民クラブという会派がそこそこの力量があって、自民+県民クと民主+生活の戦いになりそう。
あの地もまた、大阪同様、独自の戦いw
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@fusagikosan やがて新進党は分党され、公明系議員は新党平和、そして後継政党の自由党に分かれる。だが当然の事ながら公明党復活を求める支持者の声は高まり、参院公明と新党平和が合併し今の公明党ができる。
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@fusagikosan 自由党に参加していた公明系議員の多くも公明党に参加した。が、三人の議員は自由党に残留、小沢と行動を共にすることとなる。
こうした経緯に交渉役として窓口となり便宜を図っていたのが自由党国対委員長となっていた二階であった。
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@fusagikosan 自自連立成立後、自民は公明を引き入れ自自公政権となるが、そこに二階が一枚噛んでいた事は言うまでもない。
ところが小沢はもがき続ける、離脱病が度々再発、もともと連立に乗り気ではなかった小沢はついに飛び出してしまう。
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@fusagikosan この時、公明は野中らと共に二階に慰留工作を行う。当時の公明としてはかつてネガキャンを張った自民との緩衝材が必要であった。その役目を二階に求めたのである。
実は動画でも解説しているように、様々な事情から自自連立推進派最右翼であったため離脱の選択肢はなかった
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@fusagikosan かくて自由党は分裂、政権与党に残った者で保守党が誕生し自公保政権となる、こうして公明は緩衝材を確保した。二階は自公の緩衝材としての役割を担うことで自身の立場を確保する。
ただそれに嫌気がささなかった訳ではない。それを見透かしていた漢がいた、旅田である
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