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呑兵衛風来堂

tannaru Nondakure-jan

ねむり姫

2009-09-21 10:43:23 | Weblog
姫は眠ってる。
月曜の朝の10時なっても起きようとはしない。
昨日の夕方から今朝の今朝迄まったく起きる気配が無い。
死んでいるのかな?
いや…そうでもないらしい…だって時折寝返りをうつから。

そもそも「姫」なんてこのブログで言ってるだけで
現実には姫なんて呼んだことないし
本人もまさかブログで姫なんて書かれてるなんてゆめゆめ思っていまい。
「姫」という名前はけっして可愛いからではない。
ずっと寝てばっかりいるから
眠り姫…つまり…そこから姫という名前がきてるのだ。
第三者であるこのブログファンの会社のスタッフなんかが
「姫さん」などと言うのも考えてみたら可笑しな話だ。

じゃあ…姫はブスなのか?
っていうと…他人からみればことのほか美人らしい。
らしい…と書いたのは
結婚してから随分経てばわからなくなってきてるからだ。
再会したとき
あ!中島みゆきだ!と思ったほど彼女に似てて
たぶん…それは未だに変わっていないし
甥っ子や姪っ子に
「J(姫の愛称)ちゃんは昔と全然変わっていない!歳とらないの?バケもんだ!」
と言わしめる。
しかしながら確実に歳はとってる。

子供がいないせいもあるだろう。
彼女自信が子供なのもある。
妙な話だが肌は生娘のように若い。
いつだったか
兄のSigeちゃんをして
墓参りの折車を降りて前を歩いて行った姫を見て
「Jちゃん…いいケツしてんなあ~」と言った。
おいおい!弟の嫁を…なんちゅう!と思ったが
たしかに…いいケツしてるんである。
Baby-Hipとでもいうのか可愛いお尻には違い無い。
ほんとうはJちゃんてスタイルいいよなあ~ってSigeちゃんは言いたかったんだろうが
茨城弁に変換すると…いいケツ…になっちまうらしい。

さて。
姫はまだ眠ってる。
昨日茸ご飯を焚いたっきり。
未だにご飯をつくってくれてない。

夕べはその茸ごはんに小松菜の胡麻会えと
高菜の漬け物で夕飯をしのいだ。
彼女が起きないってことは
朝昼兼用のごはんも、まだ炊飯器にしっかりのこって茸ごはんと
冷蔵庫のなにかしら?で食べることになるだろう。

「おい…」
「……」
「J」
「ん?……」
「朝だよ!いつまで寝てるんだ!ドライブいかないのか?」
「どこか連れてってくれるの?」
「お前次第だ」
「ん……」
「おい…」
「SSS……」
「…………」
朝昼兼用のごはんも茸ごはんに決定である。

この眠り姫には
王子のKissさえ効きそうにない。

とろろ飯と麦とろ

2009-09-21 01:02:13 | Weblog
箱根そばでとろろめしが出たので
ちょっと書いてみよう。

麦とろは苦手だが
ストレートなとろろご飯は好きだ。

麦とろは
なんでわざわざ美味しい山芋をダシで薄めるのか
まったく理解できないし
見てるだけでダシで薄める様は気持悪くて適わない。
しかも
なんで麦なのか…さっぱりわからん。

麦とろを食べるのは都会の人だけだと僕は思う。
田舎の人は山芋をあんなにしちゃって食べたりしないし。
天然を薄めるなんて邪道なことはしない。
麦とろが
上品だと錯覚してるだけだし
子供の頃。
麦7の米3分が殆どのご飯を食べてた僕らは
二度と麦めしなんて食べたくないし
今後だされても死んでもたべたくない。

一度上野だったか根岸だったか忘れたが
上京して間も無い頃の随分昔に
小奇麗なお店で麦とろをご馳走になったが…
ひとまずその人の手前
笑顔で食べたは食べたが
たべた後で吐きそうになった。

うげ…
なんで…へんな味がついてんの?
しかもとろとろに…薄い…

僕は麦とろは此の世で最悪な食べ物だと思った瞬間で
その時からトラウマになってしまった。
その後も麦とろを食べなくっちゃいけない機会があったが
やっぱり気持悪いだけだった……。

なんであんなに美味しい山芋をこんなに不味くして食べるのか
理解できなかったし今も理解出来ていない。
どんな名店で名のある調理人がつくったとしても
麦とろなんて二度と食べたく無い。

確かに麦とか雑穀とか
健康ってことで人気でもあるが
泡や稗なんて
むかしは貧しい農家の食べ物か馬や牛の餌だった。
それをいまさら健康食品とか言われたってねえ……。
僕には
ペットショップの鳥の餌にしか見えない。
干いも(乾燥芋)の白いもだって
昔は薩摩芋みたいな香ばしさとほくほく感がなくって
水っぽかったから家畜の餌か乾燥させて保存食にしたくらいだった。
時代が変われば食べ物のランキングも随分と変わるものだが
いやはや。

そもそも
都会でいう「麦とろ」と
田舎でいう「とろろご飯」はまったく異なるものだと思ってる。
先の「麦とろ」はダシでことのほか薄めて麦めしにかけて食べるのに対し
後の「とろろご飯」は
堀立ての芋の土をはらい
よく洗って皮もそのまんまに擦り降ろし
醤油をいれるだけ
そして真っ白な白米にかけていただく。
食べたあとに口の周りがアクで痒くなる。
それは天然だという証し。
これ以上のとろろはない。

生まれてはじめて
麦とろを食べていれば状況は変わっていたかもしれない。
麦とろFanの人には申し訳ないが
やっぱり麦とろは勘弁である。

休日出勤

2009-09-20 23:32:33 | Weblog
金曜日のことである。
「常務次第です」と僕。
「じゃあ!半日だけお願いします」とOgajho。
本当は連休なので土曜日は全員休みだったが
前日Ogajhoに「今週はKenさん達の出勤の日ですか?」と言われ
思わず「そうっすよ!」と言ってしまったが
あとから
ゆうこたんとみぃとちゃんが
「ぶちょ~~!!土曜日はみんな休みっすよ!」
「ええ~~??なんだよ~そん時言ってくれよ~~!」
とはいえ
半分了解したのも同然だし
前から土曜日は出る日だと思ってたから
別にいい。

で…昨日の土曜日。
ロマンスカーで出勤。
さがみ62号(EXE10-4Car9D)
Ogajhoは僕よりも早くきてた。

タイムカードは打たなかった。
別に打ってもよかったし
会社から言われたわけでもないが
肝心のOgajhoがタイムカードを打ってないのに
僕だけ打つ事はできない。

僕にも意地がある。

ほとんどOgajhoのフォローと
普段なかなかできなかった机周りの整理をして
淡々と
しかしながら充実した時間が過ぎた。
昼飯を食うこともなく。
午後2時頃仕事を終えた。

別にOgajhoの為に休日出勤してるわけじゃない!
前にも書いたがOgajhoは嫌いだし
しかし…やることをきっちりやってるからこそ
言いたい事も言える
僕もやれる事はやり
フォローできることはフォローをする
Ogajhoの為じゃ無い
しいては会社の為でも無い
自分の為だ。

帰りも
ロマンスカー。
さがみ71号(EXE10-6Car10D)
プレミアムのリングプルをあけながら
土曜日のタブロイドに目を通す。

相模大野で降りて各駅で町田に戻ってくる。
駅の北側の「箱根そば」で遅い昼飯。
とろろご飯セット480円。
肝心のそばはぜんぜんだったけど
とろろご飯はうまかった!


命日

2009-09-20 07:00:00 | Weblog
「お先に失礼します~~っ!」と言って
経理のかわもんが帰っていった。
……とおもったら電撃的にUターンしてもどってきた。
「おかえり~~^^」と僕が冗談で出迎えたら
まっすぐ僕の処にきて小声で言うんだ。

「今朝さぁ~夢を見たの」とかわもん。
「え?」
「すんごい変な夢…専務が3階の窓から落っこちで地面に倒れてるの」
「^^…………」
「ああ~~死んじゃったぁ~専務が死んじゃったぁ~って思ってたら
 誰かが…未だ死んでないよ…って」
「…………」
「なんか変な夢だった…で…それを斉藤さんに言ったら『やっぱりね…
 今日は木村さんの命日だからね』と斉藤さんが言ったの」
「へ?……」
「知ってた?今日が木村さんの命日だって?」
「知らねえ…ってか……」
16日(木)のことである。

実は僕は忘れてた。
木村さんの命日。
ってか…木村さんだけじゃなくって
杉本さんもあいつも…渡辺さんも…おふくろも…叔父さんも…
古くは…従兄弟の慶子姉さんも…好子おばさんも…爺さんもばあちゃんも
ばっぱちゃんも…
つまり
僕は亡くなった人の命日をだれひとり覚えていないんだ。
いや…鼻っから覚えようとも思っていない。

かといって
亡くなった人達に命日を忘れて申し訳ない…って気持も更々無い。
言い訳をするつもりはないが
未だに皆が死んだことを納得してないので
死んだとは思っていない。
だからそれぞれの命日は僕の中で存在しないのだ。

それぞれの故人が愛おしかったり懐かしかったり
僕が故人みんなを思う気持に変わりはない。
それでも
最近だろうか…
僕の前から居なくなってかなり久しい人達を
ああ…ほんとうに死んでしまったのだろうか?
などと思うようになったのは。

それぞれ葬儀にも出て
死顔を見て…骨になって…そんな儀式をみてるのだけれども
みんなが死んだ…などとは未だに思えない。
命日…を記憶する。
ってことは
それぞれの死を受け入れること。

僕はこころと了見が狭いのか
それは…僕にはできない。
一番新しい別れのみよちゃん(おふくろ)も
死んだ…などと思っていない。

それは僕の兄妹や家族もおんなじだろうけれど
だから通夜でも葬儀でも…不思議に涙はでてきなかった。
たぶん…みよちゃんの死を受け入れたら
僕たちはしばらく脱け殻のようになって生きた廃人になってしまうだろうから。

だから
これからも皆の
命日を覚える気は微塵もない。

ただ
春と秋のお彼岸に
それぞれを想いながら手を合わせて頭を垂れ
故人を偲ぶことは忘れない。
僕はそれでいいと思ってるし命日を覚えても僕にはまったく意味がない。
不義理な奴だ!冷たい奴だ!と人は思うだろうか?
しかしながら
覚える気がないんだから仕方ないのだ。

そう。
これでいいのだ。

さて。
かわもんから
「知ってた?今日が木村さんの命日だって?」と言われた夜。
僕は家に帰って
キッチンからグラスを取り出して
久米島の久米仙を注いだ。
そのグラスを宙にかざして
木村さんの二枚目で素敵な笑顔を浮かべながら
「ども!」って言いながら一気に空けた。

ああ…。
木村さんのあんこう鍋が食いたくなってきた。

微熱週間

2009-09-17 23:45:30 | Weblog
風邪が適度に長引いてる。
先週の金曜日の深夜…つまり土曜日の夜に引いてから
かれこれ1週間になろうとしてる。

咳はさほどではないが
朝晩に微妙に苦しくなって出たりするが
日中はさほどでもない。
しかしながら
微熱が続いてる。

微熱というか
けっこう暑いくらいだったりする。
面倒なので体温を測ったり
風邪薬を飲んだり
いかにも風邪対策!はしていない。

前にも書いたが
食欲はすこぶるある!
ことのほかお腹が空いて困るくらい。
だから、それだけは救いである。

ついでながらビタミンC系ドリンクは
けっこう飲んでる。
だからだろうか
それ以上風邪は悪化していない。
そうそう。
龍角散ののど飴はなかなかいい。

ただ…
微妙な体温
つまり微熱ってやつがうざったいけどね。

彼岸花の頃

2009-09-16 23:49:57 | Weblog

出掛けに下界に足をつけて
歩き出したとき
北側の庭にいきなり紅い彼岸花が咲いてた。

え?も~う彼岸花?
思わず叫んでしまった。

薬師池公園で満開の彼岸花を見たのは
つい半年前だったような気がしたが
あれから実に1年経ってたんだね。

なるほど
百日紅が終りを告げてるわけだ。
しかも
花水木も紅葉しはじめてるしね。

本当に
花暦を追いかけてると
1年はあっ!というまである。

年々1年が早く感じるのは
僕だけだろうか?

微熱な時間が流れる

2009-09-14 00:15:16 | Weblog
寝ては起き
食べては…すこしだけおきて
パソコンしつつ
また…眠る。

ベッドとリビングの往復。
熱があがってくると耐えきれず
リビングに戻りクーラーをかけて眠る。

こんな時は
何処へも出掛けられないし
何処へも生きたく無いし
誰とも会いたくもないし
何もしたくない

ただただ
うなされるように
夢とも現実ともつかないことが
目の前に
はたまた脳裏に起こっては消えてゆく。

情熱大陸シンドロームも終わって
時計はある意味シンデレラ・リバティー。

何時間でも寝るのは平気だが
腰と背中が痛くなるのは適わん。

松茸おこわ

2009-09-13 23:45:27 | Weblog
遅い朝食のあと
どうやら寝てしまったらしい。
目が覚めたら午後の4時だった。

テーブルには
昨日とおなじように
ラッピングされた巻寿司が…
「え?また巻寿司?」ちょっとげんなりした僕。
「ああ…ごはん別に焚いてあるよ」とイカの刺身を出しながら
姫が言う。
「あ!そう^^」喜々としながら茶碗片手に炊飯器を開けようとしたら
「松茸おこわだけどね」
「へ?」一瞬蓋をあける手が止まる。
僕の頭の中にはたった今迄真っ白いごはんが描かれていた。
正直…落胆の色はかくせない。

それでも
炊飯器の蓋をあける。
たしかに…
「2合だけどね」
いい香りとともに凡そ炊飯器の下のほうに
茶碗2杯分の松茸おこわがある。

たしかに松茸おこわである。
作ってくれたことに対しては嬉しいけれど…
しかし…正直嬉しくは……ない。

なぜ…まだ完璧な秋でも無いのに松茸おこわなのか?
しかもなぜ今日なのか?
しかも姫は買って来た巻寿司を食べてる。
理解不能だ。

単純に普通の白いご飯が食べたい。

うむむ……。
まあ…それでも
なんとか松茸おこわを食べる。
正直胃はことのほか機嫌が悪い。

蒼い栗

2009-09-13 11:20:40 | Weblog
ちょうど今頃だろうか
ほぼ最終の大きさになった栗が
撓わに実って緑の葉に包まれて揺れてる。
しかし毬は蒼く収穫の時期迄は未だ早い。
もうまもなく
森の景色が茶色に色づく頃
秋の味覚の収穫の時期はやってくるんだなあ。

僕は
実はこのまだ茶色に変わっていない
蒼い毬の頃の栗が好きなのだ。

水戸の実家にも栗山がある。
自然の山栗ではなく
いわゆる農産物として出荷する大きなものだ。

「桃栗3年柿8年柚子の大馬鹿18年」とはよく言ったものだ。
桃のように栗も植えて3年目から実をつけるから
そう言う意味では元を取りやすく
米や麦より大きなお金になったので
昔は村のどの家でも作ってたもので
最盛期には村中あっちこっち栗山だらけだった。
しかし
家人達は年老いて農業を注ぐ若者さえ今はいない。
現状維持も難しく必然的に農業も衰退し
今は最盛期の陰もなく村の彼方此方に
荒れるが侭に栗山は点在するだけだ。

我が家もご多分に漏れず
ついぞ親父だけになってしまったので
必然的にお金になるキウィーフルーツとかに
力配分と管理がいってしまうから
今の栗山は荒れ放題だ。

さて。
肝心の栗の話に戻ろう。

僕は夏の終り頃に食べる蒼い栗が好きだ。
毬も痛く無くて毬を剥くと
これまた蒼い…まさに未完成な皮に包まれた
しかしながらちゃんと栗のカタチをした実が3つ並んで現れる。

実のひとつをとって
皮を剥くと糸も簡単に剥くことができる。
皮を剥くと実は未だ柔らかい渋皮に包まれている。
茶色になってしまうと
この渋皮も実にくっついてしまって剥きにくいし
渋が指や爪についてすぐ固まってしまい
あまり気持のいいものではないが
まだ蒼いこの渋皮は
くるん!と
まるでレインコートをぬぐように
ほとんどまるごと綺麗にむけるんだ。

渋皮を剥かれた実は
そうだなあ…
人間でいえば少年少女って感じで実に瑞々しい
(変な意味じゃ無いよ^^)

そして
その蒼い実を食べてみる。
コリコリ…カリカリ
濁音の混じっていない実に軽快な歯応えと食感が堪らない。

もちろん成熟してないから
甘味も弱く成果の半分にも満たないだろうが
僕はこの
未成熟な蒼い栗が僕は好物なんである。

風に吹かれながら鬱蒼とした栗山の樹海で
蝉の声を聞きながら蒼い栗を食べると
ああ…
夏も終わりなんだなあ…などと思ったものだ。

日曜の遅い朝食

2009-09-13 11:19:38 | Weblog
ああ…腹減ったかも…
っておもって
ふと
なにげにテーブルを見たら
ラップされた昨日の残りの
ゴーヤチャンプルと巻寿司がある。

それに
おかめ納豆の小パックを出して
それで
ひとりで遅い朝食なんである。

そういえば
お弁当復活もうやむやになってるし
日曜の朝食くらい作ってくれよ!
っていうリクエストもいつのまにか自然消滅し
今日に至ってる。

朝食は単純でいいんだけどなあ
目玉焼きにハムにレタス
それにお新香と味噌汁にご飯があればいい!
じゃあ!
俺が作ろうか?
いやいや…
姫は自分の聖域であるキッチンを触られるのをことのほか嫌う。

日曜日の朝食くらい一緒に食べたい!
そんな小さな願望も叶わない日曜の遅い朝。
もうすぐお昼だというのに
ひとりで
昨日の残り物を食べている。
ゴーヤチャンプルがことのほか苦いのは気のせいだろうか?

姫はパンにカフェオレで
ひとり簡単な朝食を済ませ仕事に行った。

ああ…
自分で自炊してた独身時代がなつかしい。